岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

旧野村警察署武徳殿、その5。

2007-01-27 00:44:37 | 建見楽学


内部天井に施された換気口デザイン。

板材はベニヤ。と言っても、当時の状況からすると、日清戦争の後、台湾が日本領土になって30数年が経過、南洋材がある種の高級材として流行し、近代の建築デザインの中で多用された。
また、こうした薄い板材の製材技術自体の近代化にも目線を向ける必要があるだろう。

ただし、雨漏りなどの老朽化に起因する建て替え計画が地元から上がり、このままいくとこの建物は消滅する。
いつのケースでも行き当たる問題なのだが、その建物の正確な価値判断が地域に浸透していないことが、建て替え論議に拍車をかけることにもつながったりする。

旧野村警察署武徳殿、その4。

2007-01-27 00:29:36 | 建見楽学


この建物が面白いのは、武徳殿なのに外壁が洋風意匠をまとっていること。

洗い出しの技法で左官職人が洋風に鏝(こて)仕上げでデコレーションしている。
時代背景の中で、文武両道の思想の元、全国に武徳殿が建てられていった中で、殆どのものが古式豊かな“和”の建築を重厚に表現していったが、何故野村では洋風化したのか。

旧野村警察署武徳殿、その2。

2007-01-27 00:11:55 | 建見楽学


屋根瓦は、武徳殿の定番である“入母屋(いりもや)”屋根スタイル。

ただし、セメント瓦で、もしこれが建築当初からのものだとしたら驚キ桃ノ木サンショノ木。昭和7年に、果たしてセメント瓦があったかどうか。
ひょっとしたら、途中で葺き替えられているかも知れない。

しかし、千鳥破風(はふ)の組格子(くみごうし)や懸魚(けぎょ)の意匠は、堂々の武徳殿建築。

旧野村警察署武徳殿

2007-01-27 00:04:32 | 建見楽学


西予市野村町にある旧武徳殿。マッタク知られていない昭和7年築の建物。齢(よわい)75歳。

現在は、二丁目集会所として機能している。
でも、県下には戦前期のこうした武徳殿はたった3棟しか残っていない。

他の二つは、新居浜市にあるもの(国登録有形文化財)と西条市の堀端にある武徳殿。
加えて、例外的には新居浜市の塩田経営で財を成した旧家の藤田家にある私設武道場。
いずれにしても、官の私設としての武徳殿は3棟のみ。しかも、中南予ではこの野村警察署武徳殿ただ一つ。

ただし、これが今解体の危機に面している。

蔵貫の火の見櫓(やぐら)。

2007-01-26 22:41:39 | 建見楽学


火の見櫓も、歴史建造物の世界では絶滅危惧種。

携帯電話などの圧倒的情報化社会の中で、アナログ的防災施設である火の見櫓は、次第に町からその姿を消しつつある。
しかし、その独特なフォルムと紅一点とも言うべき町中の存在感は、なかなか得がたい故郷の心象風景と重なる。

建物の氏素性(うじすじょう)。

2007-01-26 22:26:25 | 建見楽学


この建物が面白いのは、最初に書いた、元からの郵便局では無かったこと。当初のルーツを物語るのが、屋根瓦のこのマーク。

軒丸瓦に全て入れられている「やまさ」印の屋号。
佐竹家として建てられたことを、その屋号マークが明確に今も主張している。

〒マーク。

2007-01-26 22:20:12 | 建見楽学


擬洋風建築としての窓には、上部にこのような装飾がある。
旭日を意識したかのような「〒」マーク。

元より、コーポレートアイデンティティ(CI)の歴史的代表選手のようなお馴染みのマークだが、これが郵政省の前身「逓信省(テイシンショウ)」の“テ”から発案されていることは、意外に知られていない。

旧蔵貫郵便局。

2007-01-26 22:10:39 | 建見楽学


郵政民営化で揺れる郵便局だが、地方における古(いにしえ)の特定郵便局の局舎には、建築作品として見た時、ナカナカのものがよくある。

西予市三瓶町蔵貫(くらぬき)地区のこの元局舎もその一つ。

大正末か昭和初期の建物で、海岸町蔵貫浦の町なかにひっそりと佇む。

ただし、最初から郵便局舎として建てられたのではなく、佐竹家という住居(洋館、旅館という説も)としてお目見え。しばらくして所有者が代わり、黒田家が購入。以降郵便局舎として昭和43年まで存続した。

四国鉄道文化館、そのニ。

2007-01-16 23:12:37 | 建見楽学


見た目は何事も無く美しい佇まいだが、現場は大変だったらしい。
現場の大工さんは初めての工法チャレンジに、緊張の日々が続いたとのこと。

鉄骨アーチと違って、当たり前だが“木”は生き物。一本一本の氏素性が皆違う。つまり、曲がり方やねばり、弾力性などについて、それぞれがマッタク微妙に違うものらしい。例えば、ある学校の教室に40人の子供たちが居て、みんな同じ人間だけど顔も性格もみな違うように。
しかし、こうやって全体で見渡した時に、その微妙な不揃いさは、まったく気にならない。というより、むしろファジーで心地良い。

施工は主として地元の弓山建設が当たっていて、寺社建築の経歴にも預かり、スライス状の木をダボ(栓)で留めアーチに組むという、伝統工法との融合を可能にした。
完成予定は年度末の三月。ミュージアムとしてのOPENは、今年の11月頃となる模様。