岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

岬十三里の道標。

2006-06-27 11:37:41 | まちづくり
この道標は、保内町(現八幡浜市)宮内の、とある街道沿いに人知れず立っている。

掘り込まれた字が写真では分かりづらいが、右側に「右こんぴら道」、その左に「左みさき十三り」と刻まれている。
通常の道標と違い、当地にあってこの金石文はとても重要な意味を持つ。

古来から(本当にいつ頃から言われ始めたのだろう)誰言うとなく呼ばれた佐田岬半島の呼称「岬十三里」。
その証拠とも言うべき存在がこの小さな道標である。197(イクナ)酷道と呼ばれた宇和海沿いの旧国道も、モチロン今のメロディラインも無かった頃、この地域の人々は半島の山、峠を越えて三崎へと歩きの道が通っていた。
陸上よりも船で行き来するほうが楽に通えた時代。

その全行程の道は、恐らくもう途中で途絶えて、今となっては全貌を知る由も無いが、この道標を基点に旧道の復活とはならぬものだろうか。メロディライン沿いを歩くイベントは、時々開催されているが、往時の道が今どうなっているのか、この碑を見る度に、前々から気になる岡目八目であった。

舟板の家。

2006-06-27 11:18:56 | 建見楽学
旧津島町の宇和海に面して、下灘地区に泥目水(とろめず)という不思議な地名の集落がある。

ここには、キョービとても珍しくなってしまった石波止が残っていて、その確認に行ったのだが、フトかたわらを見ると、こういう建物が目に入った。
かつての漁家には、全国どごでもよく見られた「舟板」を使った家である。日本中が(いや世界も)木造船ばかりだった頃から、やがて老朽化し廃船となる際のその行き先として、家の壁面を飾ることとなり、第二の人生を歩むというワケ。
現代のように、FRP製の腐らない船が老朽化し、処分に困るという馬鹿げたことは起きなかった。
中には出世して、数奇屋建築の茶室なんかで用いられる舟板もあったりした。
こうした小さき、風土が生み育てた造形を見ていると、このささやかな存在も、果たしていつまでここにこうしていられるか、誰からも顧みられることなく、やがて朽ち果てるのだろう。
真珠景気に沸いた喧騒が去った後の、こうした集落にあっては、唯一それ以前の村の佇まいを教えてくれる貴重な遺構なのだが。

赤い蘇鉄の実。

2006-06-27 01:21:06 | 季節感
光円寺の蘇鉄をよく観察すると、幹のテッペンに、何やら赤い実が成っている。
 
そう言えば、♪赤いそーてーぇつぅのぉ実ィ、実ぃも熟れーる頃ぉ♪という唄が昔流行っていたような気がする。
ただ、こうして間近にその実を見るのは初めてのような。蘇鉄の木を見ることは度々あるが、実際に赤い実が成ってるのに感動した。
和尚の話によると、南に面した海沿いの立地条件が良いのか、とても樹勢が強く、実が沢山なるとのこと。しかも、境内には奥に小さめの雄の株があり、こちらは雌株。だから実をつけるのだとか。

光円寺の蘇鉄。

2006-06-27 01:11:30 | 季節感
宇和島市の下灘地区(旧津島町)を走っていて、大きな蘇鉄の木に遭遇。

海沿いにある、光円寺という名の寺の境内。
説明看板によると、樹齢400年とか。それにしてもデカイ。県指定の天然記念物になっている。ご住職が出てこられて、色々と教えて下さった。

布マルチの敷きなおし。

2006-06-20 10:42:29 | Weblog
結局、敷きなおすしかない、ということで、昨日ご覧のような復旧結果となりました。

M産業の方も手伝ってくれて、二時間足らずで慎重に敷きました。もうメンドーなので裸足で田に入り(これが結構気持ちヨカッタ)、何とか復旧の格好がつきました。ロールを引き、その上から水をかけ、綿を落ち着かせる。幸い大敵の風もあまりなく、好天だったので無事完了。
後、問題は水を入れ、綿を浮かせて、しかし既に苗が着土している周囲の部分とのかねあいで、しばらくは、水管理に気を遣わねばならない。この新たに敷いたマルチ(綿)から、また芽が出始める一週間くらいを何とかしのがねば。

「失敗は成功の母」とはよく言われるが、やはり素人の場合は、「成功は失敗の元」となったかも知れない。昨年、最初にしては、ホントうまく行き過ぎた。それほど苦労も無かったし、こんなに楽な農業でえぇんじゃろか、と思ったくらいの「楽農家」。多分、それを見とったお天道様が、このまま農業をナメさせたらアカン、という配慮の大雨だったようにも思われる。
農業は、天候異変も想定内と知るべし。



布マルチ修復作業。

2006-06-20 10:26:25 | Weblog
仕方ないので、その日の夕方、田に入り、出来るだけそうっと綿を引き戻し、と言ってもそんなにうまくもいかず、出来るだけ修復に努め、水抜きをした。
これが翌日の写真。三分の一くらいは助かるかナー。
でも、綿の無い部分が出来てしまったから、無農薬の米づくりのため、これから生えるであろう雑草をどうするか。やっぱり新たに敷きなおすしかないナー。

布マルチは、綿の間に種籾があり、入水後しばらくして、一週間から10日で芽と根が出始めたら落水、着土をさせる。今回のように落水・着土の前にこうなるとお手上げ。(想像を越えていたとは言え、対策を怠ったツケ)
苗が着土の後は、綿をパリパリに乾燥させることで、完全に雑草を抑える、という無農薬栽培農法。
取りあえず、M産業(布マルチ出荷企業)に連絡し、指導を仰ぐことに。

好事魔多し。

2006-06-20 10:10:15 | Weblog
先日、15日のこと。
愛しの我が布マルチが、ご覧のような悲惨なことに。
大雨も大雨、西予市宇和町山田では、一度に異常な出水があり、台風並みの雨と風。その結果が、この北側に吹き寄せられた哀れな布マルチ状況。
折悪しく、岡目八目は伊予市に居て、母からの電話、「アンタ、田んぼが流されよるヨ!」「えっ、エェーッ!?」
夕方、宇和に戻り撮影したのがこの一枚。悔やんでも後の祭り。やっと芽が出て、そろそろ水抜きをして、苗を着土させないと、と思ってた矢先のこの有様。アチャー。

昨年の「布マルチ」初体験が予想以上にうまくいき、まぁ言ってみればチト、タカをくくってたのでありました。まさかこうなるとは。約半分以上が片方に寄ってしまってます。さぁどうする。

嬉しい葉書。

2006-06-18 13:40:49 | 季節感
馬路村からご覧の葉書が届きました。

上治村長直筆の、魚梁瀬(やなせ)杉を使ったウチワ型の葉書。表には宛名と切手120円が貼ってある。
心憎いのは、「森の風をお届けします」と表書きに書かれてあり、確かにこのウチワで風を送ると、杉の香りがプーンとほのかに。ウーン、まいりました。
もう何人にもこの話をし、いつの間にか馬路村の親善PR大使になった感。やられますナァ。

鏝絵救出作戦、その四。

2006-06-18 13:35:01 | まちづくり
現場からの眺めは、宇和海が目の前に広がり、風光明媚な場所。
ここで件の「鶴」は、伊方町町見地区古屋敷の周囲を眺めながら、百年内外の風雪を絶え暮らしてきた。
左官職人の名も、入れられた時期も判然とはしないが、確かにこの地区にあってささやかな人の暮らしを、静かに見守って来たのだった。