岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

⑥原家の墓参。

2008-03-24 04:38:37 | 産業遺産


土台部分。しっかりした基壇部分の煉瓦積み。

煉瓦工場の経営者だった千代吉氏の、面目躍如な墓石である。全国的にも珍しいのではないかと思われる。

⑤原家の墓参。

2008-03-24 04:33:25 | 産業遺産


光線の具合で、こちらから見ると煉瓦調の色合いもよく分かる。

近代の社会資本整備の状況を文化財的に見てゆくと、所謂(いわゆる)それが近代化遺産と呼べるものになるワケだが、これはもう立派な産業遺産である。
煉瓦は、古今東西で古くから使われた建築素材であるが、日本では幕末から西洋の影響を受けて次第に広まった近代のもの。
明治35年に建てられた“旧大洲商業銀行(現おおず赤煉瓦館)”には、“ハラ”の刻印が認められる煉瓦が使用されている。

④原家の墓参。

2008-03-24 04:25:23 | 産業遺産


目的は、この風変わりなお墓の調査。

まずは御花を供え、焼香をしてから拝見させて頂くことに。
墓には「十代千代吉夫婦」と刻まれているが、これは、かつて大洲市柚木にあった「原煉瓦」の経営者だった原千代吉氏夫妻の墓。
煉瓦職人らしく、墓まで煉瓦仕立てで造られている。土台が煉瓦積みというに止まらず、塔身本体も煉瓦素材を焼いて作った陶製の焼き物仕立てである。

このお墓へは、法華寺の裏手にある墓地を行くのだが、ちょっと案内がないと行けない。

鉱山用具。

2007-03-05 00:25:26 | 産業遺産


かつての鉱山用灯器具が資料館に寄贈されていて、実際に点火(灯)してもらった。これでもってアチコチに掘られた薄暗い坑道を、坑夫たちが行き来したと思えば、臨場感が湧くというものだ。

「銅の時代」

2007-03-05 00:10:59 | 産業遺産


伊方町の町見郷土館でやっている企画展「銅の時代」に出かけた。

2日の夜に、「銅の時代の近代化遺産」というテーマで、スライド映写講演をした。1時間の話の予定が、ついつい時間超過してしまった。
というのも、佐田岬半島に存在するそれらの事物の多いこと。勢い、スライド写真の枚数も多くなってしまった。
学校の授業で、私たちは別子銅山・住友のことは習っても、何故地元がかつて銅鉱山で活況を呈したことを習わなかったのか、という疑問も呈しつつ。
その意味では、小さいながらもこうした地域のミュージアム施設で、地域のある時代をまとめてゆくことは、とても大切である。

以前、県の科学博物館(新居浜)にて、県内の鉱山についての展示企画があったが、地元佐田岬半島エリアでは初めてのこと。いいきっかけになってゆくことを期待したい。

☆ 問い合わせ先 電話・0894-39-0241 町見郷土館


山神社。

2007-02-22 01:06:04 | 産業遺産


鉱山地帯には、全国どこでも、大体「山(さん)神社」なるものが存在する。
近代になってからも、山からの恩恵に感謝し、鉱石採取の安全無事をも祈願したものと思われる。生活の糧としては、耕地の殆ど無い急傾斜地ばかりの半島にあって、銅山開発の経済効果は、計り知れない富をこの地にもたらせた。

鉱山半島、佐田岬。

2007-02-22 00:46:43 | 産業遺産


佐田岬半島は、鉱山だらけで、実は半島じゅうが穴ポコだらけである。

そういう臨場感は、現代では全く感じられないが、かつてのそうした姿を髣髴とさせるであろう面白い企画展「銅の時代」が、近く催される。
場所は、伊方町二見にある「町見郷土館」。
2月24日から5月13日まで。
連絡先は・・TEL0894-39-0241

因みに、この写真は、そうした事の手がかりの一つである、“ズリ”と呼ばれる鉱石捨て場。銅鉱山から掘り出された大量の青石が、積み重なって層になっている。こうしたジミーな存在が半島のアチコチにはよく見受けられ、熱かった銅の時代を今も静かに伝えている。

八高写真展・2

2006-11-21 23:35:25 | 産業遺産


伊方町にある「女子(めっこ)岬精錬所跡の焼鉱窯」。

佐田岬半島には、かつて相当数の鉱山が分布し、精錬所も三崎童子バエ、女子(めっこ)、佐島と三ヶ所にあった。
別子銅山に続く、三波川(さんばがわ)変成帯の緑泥片岩(青石)層が四国の東西を貫いている。