岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

④石垣フェチの言い分

2006-01-31 13:34:19 | 建見楽学


伊予市と宇和を行き帰りする間に、気になる石垣がある。R56号を伊予市から南下すると程なく犬寄(いぬよせ)峠に差し掛かり、やがて中山町(今は伊予市)となるのだが、左手に私好みの石垣がある。
いつも、車窓からそこにあることに満足しながら眺めて通り過ぎるのだが、フト写真に撮っておこうと立ち寄る。以前にも写しはしたが、デジカメでは初めて。緑泥片岩独特の袈裟懸け状の積み方である。特にここのは足元の立石使いが面白い。とある農家の屋敷地の造成石垣である。
是非ともいつ頃の石垣か、石工職人はどういう人物か、知りたいものだが、まだ聞き取りが出来ていない。この日も家人は留守であった。

東西に走る中央構造線が、旧双海町あたりで伊予灘にすべり込むが、ここはその南縁部にあたると思われる。例の別子銅山から佐田岬へと続く青石ベルト地帯である。地域観察をする上で、地層は重要なキーポイント。地域の風景・景観は、結構そうした地域素材で成り立っているものである。
石は重い、フツーに重い。従って、昔は特に遠くまで運ぶのは至難であった。その場にある石を積み上げ、屋敷地として生活の場が営まれた。段畑も棚田も、そうやって先人が一つ一つ築いてきた賜物である。こうした光景に宿る、先人の想いや費やされたエネルギーを想像すると、石垣とはまさに意志の積み重ねそのもの、スナワチ「意志積み」だと思うほかはない。

一月の雑感。

2006-01-31 12:25:49 | Weblog
早くも一月が終わろうとしている。

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。昔から言い慣わされてきたことだが、この年始めの時間経過は、毎年そう思ってしまうから不思議である。
正月という特殊な行事を終え、いつもよりも仕事期間が少なく感じるからか、二月は例月よりもたった二、三日少ないだけでそう思ってしまうのか(確定申告の慌しさか)、三月は31日あっても年度末でそれどころではないのでそうなのか。いずれにしても、面妖なことである。

そう言えば、この「面妖な」という言い方もあまり周辺では聞かなくなった。言うまでも無く、何だか怪しいとか、不思議とか、奇怪なとかの場合に使うワケだが、言葉の変化が目まぐるしい現代では、普通の言葉のハズが、いつの間にやら隅っこに置かれた言葉になってたりする。
私の場合は、地域ウォッチングや建物観察を通じて、比較的古い言葉遣いを使用することが多い。最近では、文章化する時に、以前にも増して「漢字が多い、読みづらい」という指摘を受けることもあったりする。ヘソ曲がり体質の私は、それでもルビを打ってでも出来るだけ昔の言葉を使おうとする傾向がある。「卯建(うだつ)」「棟札(むなふだ)」「持ち送り」「入母屋(いりもや)」「戸袋」などなど、建築用語を中心にそれらは枚挙に暇(いとま)がない。

困るのは、そうした言葉が、一体それぞれどの年齢層によってポピュラーなのかどうかという判断がつけにくいこと。
先日も、某所でのやり取り。ある原稿校正の際に、「よすがが残る」という表現を分かってもらえない私よりも年上の方がおられて、「様子が残る」の間違いではないかと指摘されてしまった。不安になって調べると、「縁、たより、ゆかり」などと辞書に掲載されいてるので、方言ではない。こうなるともうヨスガもヘチマもなくて、何となく日本文化の奥ゆかしさを感じる「よすが」という言葉も哀れなものである。

そういう社会世相を反映してのことだろうか、本屋へ行くと、漢字やら言葉をテーマにした本が相当数置かれている。このブログでキーを叩きながら、漢字の筆順やら、その字が持つ本来の意味やらと次第にかけ離れていきそうになる自分もまた、かなりやばい状況にあるかも知れない、とフト真顔になるのでありました。


③三瓶ウォッチ・パートⅢ

2006-01-29 01:45:17 | 建見楽学


米利(メリー)商会について。

建て主は井上力松、三瓶じゃチョイと知られた人物だった。八幡浜、西宇和地区から多くの密航者を輩出した明治から大正期にかけて、そうしたブームの中で、彼もまた徒手空拳、一攫千金を求めて渡米(密航ではなく)、かの地で横断鉄道工事に従事。勤勉に働き、信用を得、蓄財にも恵まれてやがて帰国。それで建てたのが擬洋風建築、米利商会。メリーは亜米利加のメリー。二階の鉄道客車風内装もうなづける。奇妙な内部空間には、商いのタイルが多用され、少しキッチュな商品見本展示。軒先の、日本建築ならさしづめ「板暖簾(いたのれん)」と称する部分も、何やらアーチ形状にして、西部劇のパターン。二階手摺りも、和風のソレではなくベランダ調。
また不思議なことに、戦後の一時期、三瓶高校教諭として赴任中の坂村真民氏がこの建物に寄宿していた。偶然とはいえ「念ずれば花開く」、その共通項をこの建物にも見る想いがする。

特別、観光地でもナンでもない西予市三瓶町。そんな意識の外の地域こそお宝アリ。物語性に満ちている。ことに上記の建物がある朝屋新地の界隈には、味な空間が広がり、観る者を飽きさせない。

何故か・・・

2006-01-28 22:27:17 | Weblog
今、私はJR卯之町駅にいます。上り最終列車待ち。八幡浜からの帰り、いよ石城駅で降りるべきところ、ついウトウトと。アッと思ったら、あっちゃー、乗り過ごし。そんで致し方なく戻り便を待つ始末。「一人待つ卯之町駅の寒さかな」トホホ・・・

携帯から更新って、そんな。

2006-01-27 21:12:58 | Weblog
携帯からブログにアクセス出来るらしいので、初試み。最近の、身の回りで起こるデジタル進化は、凄いと言うか置いていかれそうというか、ともかく目まぐるしい。
でも、森永卓郎は講演で飛び回る途中、携帯からブログ更新をしてるらしい。(だから真似してどうする〓)
いや、チョッとやってみたかっただけ。


看板の目的。

2006-01-27 02:37:04 | まちづくり


この写真でコメントを書こうとすると、多分意見が分かれるだろうナー。と思いつつ書いてみる。

今話題の(と言っても、地元地方新聞連載の)某公設ミュージアム。今や、経営が大変なハコモノへの風当たりが強い。
その中の一つ。いつも見慣れているので、見るともなく見ていて、最近「おやっ!」とある事に気が付いた。以前は無かったハズの大看板が取り付けられていて、しばらく唖然。(ここで冒頭の、見解が分かれるだろうなぁという局面。)

私の場合は、一言「うわっ、ダッセーっ。」・・・。
実はこの建物、設計は日本最大の設計事務所N建設計。山の上に立地する関係で、建物自体を突出させないよう、出来るだけ全体を低く抑え、山の端、つまりスカイラインを山と一体になるようにデザインした苦心の作でもある。そのコンセプトは、なかなか悪くない。だから見上げても全く威圧感はなく、遠景は正直気に入っている。
ただし、上へ車で上がり、駐車場からのアプローチとなると、ウーン。正面入り口への距離がチト遠く、入ってからのエスカレーターやらエントランス空間も異様に長い。とてもお年寄りや弱者向きとは言えそうもない。その勿体つけた、展示までに至る矢鱈と動線を長くしたのはどうよ、と言いたくなる。展示物への期待感をふくらます演出効果・・・かも知れないケド。

それはともかく、でアリマス。当方が比較的気に入っていた遠目の外観。それがクッキリハッキリ、いつの間にか大きな看板を貼られている。思うに、ここはミュージアムでは無かったか。だから金がかかってもあぁした外観になってたのでは無かったか。
ここで少し、独断と偏見の妄想(想像)タイム。
丁度世間の風が冷たくなり始めた頃、入館者数の少ない理由調査の中に、「遠くから見た時に何の施設か表示が無いので分からない。」というコメントがあったとする。あるエライ人が「そらお前、ハッキリ分かるように表示せんと。」と言ったとする。またソレを聞いた人がチョー真面目な仕事熱心な人だった、とする。で、予算はともかく目的どおりによくワカル看板が、ほんとワカルように取り付けられた。
ただそれだけのコト・・・だったのカモ知れない、ひょっとして。

でもナァ、なんかコンセプト台無しな気がするナー。ミュージアムって、デザイン大事だけどなぁ。でも気にならない人は気にならないからなぁ。皆さん、どっち?
(以上、勝手な妄想?コメント。真実は不明なり)

本の紹介【3】

2006-01-26 09:28:56 | 良書紹介


「街角のホームズ・えひめ面白散歩学」えひめ路上観察友の会・編 創風社出版(¥1500)

前回に引き続き、私たちの「えひめ路上観察友の会」が結成10周年で企画し、2000年に発刊した本。参考までに。県内くまなく街から町へ、よく歩きました。その中に、県下各市や町のマンホールの蓋のデザインを集めたページがありますが、思えば当時の70市町村は今や20市町に。(当時っつったって、たかが数年前ナンですが)そのマンホール蓋デザインにチラホラ見られる市章や町章も、当然今では変わってきたワケで、もうそれだけでもレトロな路上観察。いやはや。

本の紹介【2】

2006-01-25 11:48:24 | 良書紹介


「人類と建築の歴史」藤森照信・著 ちくまプリマー新書(¥760)

この本は友人のN君から頂いたものだが、ナカナカいい。人と建築との関わりを、マンモス時代の大元から説きほぐし、最終章の20世紀モダニズムへと読者を導く。世界的な視野で、建築文化が歩んできたこれまでを、分かりやすくエイヤッと切り割った一冊になっている。
著者は、本質的な建築のエッセンスを読者目線で分解整理し、どう現在我々が目にする建物の姿、あるいは街並みに至ったかを解いてみせる。こうした明快さは藤森流の独壇場である。
思えば、この著者からは、「建築探偵術入門」に始まりベストセラーとも言える「建築探偵シリーズ」のお陰で、建物の見方、魅力への迫り方を随分と教えてもらった。若い頃に、全国全ての洋館という洋館を見て歩き、東大の村松貞次郎先生の門下生として次第に近代建築の分野で地歩を築く。

何より、それまでの建築というどちらかと言うとお堅いイメージの世界を、この人ほど一般目線で世に紹介した人は居ない。事実、建築の本を本屋に探しに行くと、住宅雑誌はともかくとして、大抵それは専門書のコーナーに置かれていて、その前で本を開いているのは建築関係者くらい。ところが、藤森氏の本は、一般の書棚でも扱える。ちょっと知的な主婦が買ってゆく。建築の魅力を、その見方の面白さを一般化させた革命児と言っても過言ではない。と、かつてハマッてしまった私が断言している。その現場主義の建築史家である当人は、ナント今では実際に建築を設計する建築家にまでなってしまっている。その建築物もまぁ藤森流でオモシロイ。(紹介したいが文章が長くなるので割愛、いつかまた。)

ともかく氏のタネは、ある時愛媛にも直接蒔かれた。氏の松山講演がっきっかけとなって「えひめ路上観察友の会」が発足し、アレが1987年だったから来年で20年を迎える。「俳句の盛んな松山という土地柄は、観察のDNAが王道として存在していて、路上観察の下地が出来ている」という趣旨に、ナルホドと妙に納得させられたのだった。