岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

『わらぐろ野外写真展』のご案内。

2007-02-03 11:38:32 | 季節感
“わらぐろ”もご覧の通り。
これでアマチュアカメラマンもわらぐろを撮りに出てきてくれることだろう。

3月24・25日の両日、宇和町石城(いわき)地区の県道宇和・三瓶線そばで、「わらぐろ野外写真展」を実施する。
主催はモチロン「宇和わらぐろの会」。

田んぼに設置した“わらぐろ”に、直接写真額を掛けて、皆さんに観ていただこうというもの。田んぼがそのまま会場、今年で四回目。
24日には、午後1時から餅つきもする予定で、沢山の応募をお待ちしている。

作品出展者には、参加賞として当会の上甲会長オリジナル、藁(わら)クラフトの“亀さん”を進呈。24日に来て頂いた出展者にはおにぎりも。

作品の宛先は、
〒797-0024 西予市宇和町西山田石城公民館「わらぐろ写真展係」
TEL 0894-62-9445 まで。

ふるさとの雪景色。

2007-02-03 11:19:04 | 季節感
写真だけで見ると、とても四国の片田舎の写真には見えない。

正確には、西予市宇和町山田から見た西山田地区の2月2日、昨日の光景。
暖冬異変の今年の冬、久々の積雪。
手前の青いキャベツ畑のようなものは、ケールである。つまり、これが青汁の原料。

大ウナギの写真。

2007-02-03 10:56:37 | ノスタルジー
これが、岩松川の大ウナギ。

岩松には名代の銘菓「善助餅」があるが、その三島堂のご主人に小学生の頃の記念すべき写真を見せてもらった。子供数人の手には負えなくて、近くの大人にも助けてもらって引き上げたそうな。
昭和20年代も末頃のお話。

岩松橋、その2。

2007-02-03 10:45:34 | 土木遺産


橋脚の頭には、何やら妙な飾りが付いている。
ギリシャ建築などの装飾の一種であるキャピタル(柱頭飾り)と思われる。
何とも奇妙なアクセントだが、当時の土木業者(左官職人)が見よう見まねの擬洋風を施したのだろう。
微笑ましくもハイカラな時代の気分が、ささやかに伝わってくる。

橋脚と橋脚の間、緩やかなアーチの中央部分には、要石(かなめいし・キーストーン)の装飾まである。

岩松橋

2007-02-03 10:38:05 | 土木遺産


こちらが岩松橋。

宇和島市津島町の岩松川に大正期に架けられた。この川には、昔は大ウナギが生息していて、捕獲された際の写真が新聞に載ったりしていたが、環境悪化か最近見た者は居そうにない。

興野々橋、その4。

2007-02-03 03:52:55 | 土木遺産


流石に重量制限の看板が立てられている。
欄干の長さで測ると、全長が約90mあった。

県下で大正期の現存するコンクリート桁橋を探すと8橋あるが、その中では最も長く、次いで岩松橋が80m級である。
幅員は2.8mなので、車一台がやっとだが、農作業や通勤車が時折通っている。

専門家の話によると、この長さの大正期の桁橋は全国屈指という説もある。

興野々橋、その2。

2007-02-03 03:06:19 | 土木遺産


川面からの高さも10mを越え、80年以上にわたって健気(けなげ)にも支えてきた橋脚は、意外にスリムなプロポーションである。

近くの人の話では、終戦直後の昭和20年秋には大洪水があり、この欄干まで水位が上がったという。
大正12年にこの橋の完成を見た時、当時の人々はどんな気持ちで見上げたのだろう。今まで見たことも無いコンクリートの大きな橋。まだ地方では自動車もめったに走っていない時代。

興野々橋、その1。

2007-02-03 02:49:54 | 土木遺産


興野々(おきのの)橋という名の橋が、鬼北町(旧広見町)興野々の広見川に架かっている。

前から見たいと思っていた橋だが、やっと先日現地へ行くことが出来た。
大正十二(1923)年の架設と親柱にあり、当時としては県下屈指のRC桁橋。齢(よわい)83歳で、かなりくたびれてきてはいるが、ナカナカどうしての立派なフォルムを見せている。