岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

法華津峠の松村建築。

2006-11-30 09:38:09 | 建見楽学
さて、法華津峠に出かけた理由は、松村建築の確認。

27日の月曜日に、K大のH先生と。
氏は、「建築家松村正恒」の研究をされてる専門家なので、コレは観てもらっておかないといけない、ということでの法華津行き。
日土小学校に代表される戦後モダニズム建築の生みの親である松村さんは、他にも多くの様々な建築を手がけている。
今回のブッケン、法華津峠展望台は、まだ研究者には知られていない未発掘のもの。写真は、階段部分のアップだが、これだけでもモダニズムとしてのキレが分かろうというものである。
大体、昭和30年代後半、40年前後くらいかと見当を付けているが、正確な建築年を目下調査中である。

色んな人のお陰で、また一つ、地域に宝物を見つけてしまった。

愛車に紅葉。

2006-11-28 19:06:58 | 季節感
ひょんなことで、法華津峠に上った。
雨だったから、景色は見通しが利かなかったが、その代わりに美しい紅葉が見られ、楽しめた。
購入後10年以上が経過する愛車CR-Vも、こうして見るとナカナカ捨てたものではない。
誰も25万kmが目前だなどとは思うまい。いつも、何も文句も言わず同行してくれる良き友である。タマにはこうして、イイとこを撮っておいてやらないと。

旧船戸川橋の部分アップ。

2006-11-28 18:47:18 | 土木遺産


船での見学ならではのアングルで写真を撮ることが出来た。

水深の関係からも、見学できるタイミングが難しい。水位が高すぎると、美しいアーチが見えない。
また、渇水の程度によっては、長年の土砂堆積があるために近づけない。特に上流側は橋のたもとまでかなりの土砂が積もっている(前の写真)。
この日は、横林地区振興協議会の皆さんのお陰で、絶妙のタイミングで見ることが出来た。

橋梁専門家に言わせると、当時の型枠技術をもってしても、これだけの造形美は全国的に見ても屈指の橋だとのこと。
数年前に行った県の近代化遺産調査の際も、他にもいくつも見られる愛媛県のこうした近代橋梁群のレベルの高さに、専門家の間から西日本エリアでは群を抜いていると、お墨付きがあった。

眼鏡橋水上見学会。

2006-11-28 18:37:07 | 土木遺産


実は、去る11月18日、西予市文化財審議委員会と、地元の横林地区振興協議会の共催で、「眼鏡橋」水上見学会を行った。(翌19日の愛媛新聞掲載記事参照)

これは、ただの見学会ではない。わざわざこの日を選んで、準備を進めて実施した。何故ならば、普段はほぼ水没している船戸川橋を眺めるために、渇水期を待っていたのと、この日でなければならない理由があった。
11月18日は、知る人ゾ知る(知らない人は知らない)「土木の日」なのだ。つまり、十一(土)・十八(木)ということで、旧建設省の時から決められている。
土木遺産に光を当てるためには、この日でなければならなかった。
(それが報道されてないのだから・・・涙)
地元での意識付けも含めて、来年こそは、一般の方にも公開見学会が出来るようにしてゆきたいものである。

年に限られた期間だけその美しい姿を現す「旧船戸川橋」。故郷にはトンだお宝が隠れている。

船戸川橋の凄さ。

2006-11-28 18:24:15 | 土木遺産


西予市野村町に坂石という集落がある。肱川の主要な支流がここに集まり、かつてはその物資集散で栄えた。

四国カルストから流れる船戸川、城川町から下る黒瀬川、そして宇和盆地から流れる本流の宇和川が、この坂石地区で合流する。
ところが戦後間もなく、下流の肱川町に鹿野川ダムが建設され、旧横林村の中心地であった坂石地区は全て水没することとなった。やがて全戸が移転し、ダムが完成、新しい道路網が敷かれ、そこには新しい橋が架かり、集落の様相は一変した。

この写真の「船戸川橋」は、その時に水没した昭和5年竣工のコンクリートアーチ橋で、既に廃橋となり、常時は水面ギリギリに欄干が顔を出している。ただし、その上を鉄骨アーチ橋が架かり、あまり誰も意識して下を覗かなければ、気づかずに過ぎる人の方が大いに違いないが。
今の時期は、渇水期になり、水位が下がっているので、アーチ部分が三分の一ほど見えている。
この橋が、今、脚光を浴びつつある。いや、岡目八目ほか我々は光を当てようとしている。

八高写真展について。

2006-11-24 10:06:31 | まちづくり
以上、11月3日の文化の日に開催された八幡浜高校文化祭での写真展の様子をアップしました。

元はと言えば、9月12日に、八高1年生への講演がきっかけとなって、文化祭での写真展依頼になったのだが、この講演では色々とこちらも勉強になることがあった。演題は「郷土愛(EYE)ウォッチングの勧め!」、小一時間の講演。320名の一年生に対して、岡目八目のスライド写真の内容が、どう受け取られているのか、気になることもあって、先生方の協力で講演終了後、アンケートを取ってもらった。
約50枚の、八校生が通っていると思われるエリアを想定した写真内容にしていたが、最後に戦時遺産系の写真を数枚入れておいた。
アンケートは、どの写真が一番印象に残ったか、それから自由感想を記入するもの。
集計をして驚いた。最高得票は、宇和海に浮かぶ大島の夕景(映写の最初の写真)であったが、同数に近い次点にはナント「八幡浜第一防空壕」が入り、他にも戦時遺産系の写真が上位を占めた。
全体としては、各地の魅力的建築や石垣などの文化的景観にも、概ね関心度は分散していたが、これほど戦時遺産系に反応があるとは思っていなかった。
感想に書かれている文章を読む限り、彼らには余程新鮮なニュース?であったらしく、つまりは、広島の原爆投下や東京大空襲などは知っていても、郷土が受けた松山空襲や宇和島空襲、あるいは土蔵などの白壁に見られる戦時迷彩など、あるいは身近な防空壕など、それらは生まれて初めて見る、聞くことばかり。

身の回りに、本当に戦争と言う時代があったんだァ、とそんな状況であった。保内の内之浦公会堂がアメリカ軍機グラマンの機銃掃射を受けている話(建物の天井にはその時の穴がいくつも)なども、かなりの臨場感があった様子。

そうしたアンケート結果を知るにつけ、彼ら彼女たちの置かれている現状に愕然とした。彼らは、何も知らされていない、と。
無理も無い、15、6歳の彼らの親の世代は40代、祖父母でも60代、戦争体験には程遠い。しかも、学校では戦争の事柄などは、殆ど教えられることは無い。教える先生方の年齢がモチロンそこには届かないし、昨今の受験体制下での歴史教育の問題もある。事態は深刻と言わざるを得ない。
戦後60年を越え、平和教育が今、問われている。

八高写真展・23

2006-11-24 09:41:29 | 路上観察


「地層の石畳」

大洲市おはなはん通りに、吉本邸という建物がある。
今は、確か「旬」という食事処になっている家。その入り口から玄関までのアプローチには、肱川の河原で採石したと思われる石が敷かれている。チャート系の石アリ、青石アリ、何種類もの石質のものが確認される。つまりは、肱川水系の地層が、この石畳に現れている。(この写真は、下側をトリミングすべき・・デシタ)

八高写真展・21

2006-11-24 01:36:23 | 建見楽学


大洲城の冬景色。

木造復原された大洲城天守閣。四層の天守は全国的にも珍しく、岐阜の大垣城天守(鉄筋コンクリート復原)など数例。愛媛県には、現存天守閣が全国で12城の内松山・宇和島とあり、大洲を加えると木造天守が3城、あいや4城か。久万高原町に天体観測の出来る星天城がある。いずれにしても、木造天守の数は全国一でもある。
他に、RCの天守が今治城、仏殿城(川之江)、波方城などもあり、愛媛は城のメッカ。