岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

四国鉄道文化館、その六。

2007-06-30 23:37:42 | 建見楽学


直ぐ側をJRのアンパンマン列車が走り去る。

大正期に西条まで開通した旧国鉄時代の雰囲気を残す駅の構内が、通過車両と共にこの内部から眺められるよう、外壁はガラス張りとなっている。

鉄道ファンには、立地条件として、そうした臨場感のある関係性も喜ばれそうだ。

四国鉄道文化館

2007-06-30 22:46:20 | 建見楽学


29日(金)には、JR西条駅前に建設中だった四国鉄道文化館の落成式が行われた。
地元材を使用した木造建築。砥部町にある和田建築設計工房(和田耕一氏)による設計。
発注者は(財)日本ナショナルトラスト。

世界に一台、へんろリヤカー。

2007-06-30 11:36:57 | Weblog


左右はタイヤホールだが、その段差利用で小さな棚も用意されている。
頭上には道中安全のお守り札が、まるで民家の棟札の如く貼られていて、宿に10日、このホテルに30日、お大師さんのご加護もあって無事に帰って来られました。

74歳、さりげなく凄いことをやってのける矍鑠(かくしゃく)たる人生の過ごし方に、頭が下がりっぱなしの岡目八目でありました。

リヤカーの内部。

2007-06-30 11:29:10 | Weblog


リヤカーホテルの玄関部分。

扉を開ける際には、持ち手の部分に当たらないよう二つ折りになっていて、それがそのまま庇(ひさし)代わり。
室内は、寒い夜にも最低限耐えられるよう、銀色の断熱材が張られている。

浜田さんのオリジナル・リヤカー。

2007-06-30 11:19:36 | Weblog


この写真が種明かし。

ご覧の如く、実はこのリヤカー、浜田さんがこの春歩き遍路をされた時に同行した、寝泊り兼用のマイカー。

当年とって74歳の浜田さんは、現役の建具師でもあり、一念発起してこのリヤカーをご自身で作られた。
車体は出来るだけ軽く総“桐(きり)”製で、金属部はアルミ。それでも全体重量は60kgになった。

当初は、通常の歩き遍路の所用日数45日の倍を見越して、90日の計画で明石寺を皮切りに4月10日から出かけられた。でも帰って来られたのは、ナントたったの40日後。その健脚ぶりたるや、恐れ入り谷の鬼子母神。
平坦路ばかりでない四国遍路道の難所をどうクリアーされたのか、驚異的な日程だ。

車体の長さ170cmで、丁度なかでゴロ寝が出来るサイズ。四日に一度は宿に泊まり、疲れを取りながら周られたとか。ある所では山の下にリヤカーを置いてピストンをしたり、どうしても通過せざるを得ない所は、頑張って急坂を引いて登ったとのこと。
「ゆっくり参ろう」と亀さんの絵が描かれている割には急ぎ旅やったですネー(笑)、と冗談交じりにお聞きすると、「慣れてくると、少しでも先が気になって自然とペースが速まってしまって・・。」とはにかんだように語られたのが印象的だった。

また、この前後で大きさの違う変則的な形状は、風対策なんだとか。風の強い日は細い方を向けて。停車時も流されないよう。加えて、地面に突き刺すアンカーも備えてある。
一方、前後に付いている伸縮自在のキャスター(車)は、例えば歩道の狭いトンネルなどで、方輪を歩道に乗せて引く場合の処置なんだとか。
安全面では、バックミラーを付けて、後ろからの車の追い越しに備え、大きな「交通安全」と書かれた旗を後ろになびかせ、車体のコーナーには黄色い蛍光テープを張って視認性を高めている。
そうしたあらゆる局面を考慮して考案された優れモノのリヤカー。
多分、全国リヤカーコンテストがもしあったら、きっと“リヤカー・オブ・ザ・イヤー”に輝くに違いない。

果たしてこれはナンダロウ。

2007-06-30 10:43:11 | Weblog


さぁてオタチアイ、ここに取りい出したる物体は、果たしてナンでありましょうや。

一目見て、「あぁ、これはアレよ。」と直ぐにお分かりになる方は、そうそう居ないと信じたい。
以前に新聞に載ったので、ご覧になられた方もおられるには違いないが。

岡目八目が住む宇和町山田の近所に浜田文治郎さんという方がおられる。
なーんとナント、この物体の正体は、その浜田さんが自作された“リヤカー”。
ただし、形を見てお分かりの如く、そんじょそこらのリヤカーとは訳が違う。