岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

昭和30年代。

2008-11-02 00:27:36 | ノスタルジー


宇和盆地の石城(いわき)地区、その昭和30年代の光景である。

汽笛を鳴らし、黒煙を上げながら、わらぐろの群れの中をSLが走る。

あの頃、時代はゆっくりと流れていた。

シジミ、しみじみ。

2008-07-20 23:24:11 | ノスタルジー


何日か前、“早起きは三文の徳”というワケでもなかったのだが、朝、近くを散歩していた際、ナント“しじみ”を発見してしまった。

もう天然モノをこうして拝むのは何年ぶりだろう。
小さい頃には、毎年夏休みになると従兄妹たちが集まり、近くの溝で“シジミ採り”をするのが日課だった。夏の朝飯には、しょっちゅうシジミの味噌汁が出ていたが、それを特別に意識していたワケではない。
今思えば、それこそ奇跡のような食卓の光景だ。
その溝には、もう私の身体は大きさ的に入らない。

写真のシジミは別な場所で見付けたのだが、頬ずりしたくなる位の再会だった。


石川琢木の句碑。

2008-04-13 07:24:32 | ノスタルジー


この句碑も懐かしい。

「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」
学生だった岡目八目は、何故かいたく感動した覚えがある。旅の感傷か、若さのゆえだったのか。

戦前期の伊勢河崎。

2007-08-14 01:42:24 | ノスタルジー


戦前期の貴重な古写真。

NPO伊勢河崎まぢくり衆の運営する「伊勢河崎商人館」には、こうした資料展示を始め、地域の豊かな歴史性を醸す仕掛けが集約されていて、並々ならぬまちづくりへの情熱が感じられる。
つまりは、伊勢河崎をこよなく愛する人々の館であることも、当然ながら観る者に伝わってくる。

宇和町小の変遷。

2007-04-02 10:37:32 | ノスタルジー


宇和町小学校に今も残る「平和の像」。
乗松巌氏の製作だったか。

かつては、この像のバックに洋風の木造二階建て本館が建っていたが、現在の鉄筋校舎を新築する際に取り壊された。
後方に写っている移築校舎は、第一校舎(米博物館)と第二校舎、講堂のみ。

大ウナギの写真。

2007-02-03 10:56:37 | ノスタルジー
これが、岩松川の大ウナギ。

岩松には名代の銘菓「善助餅」があるが、その三島堂のご主人に小学生の頃の記念すべき写真を見せてもらった。子供数人の手には負えなくて、近くの大人にも助けてもらって引き上げたそうな。
昭和20年代も末頃のお話。

梅小路機関車区。

2006-10-05 00:28:09 | ノスタルジー


転車台と扇形車庫。

ここでは、ズラリと往年のSLが十数輌並び、実に壮観。しかも、その内の7輌は動態保存だから恐れ入る。
あの腹の底から響き渡る独特の汽笛の音を、何年ぶりに聴いただろう。もの哀しいような、しかし迫力満点の音が、石炭を焚く臭いと共に、ノスタルジーを呼び覚ます圧倒的な臨場感。

小学生の頃、予讃線で八幡浜から宇和へ、SLに乗った時は、そう暑い夏のある日。今のように車輌内に冷房がある訳ではないので、笠置トンネルまでは窓を開けていて、トンネルに入る手前で、皆一斉に窓を閉め(降ろし)、すると直ぐに車輌は蒸し風呂のようになる。しかしこのトンネルは結構長い。スピードも遅く、あえぎながら上る感じ。
それが、やっと明るくなり、トンネルを抜けると、皆どの座席でも窓を開け、その時に車輌内に吹き渡る、宇和盆地のアノ涼しい風の感覚を、岡目八目は忘れることが出来ない。トンネル内の暑さが暑さだったから、事の外涼しい一服の清涼感は、子ども心にも鮮やかなシーンとして今も甦る。

なお、転車台は、愛媛県内では、もう松山駅と宇和島駅の二箇所にしか残っていない。