岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

東雲学園のモダニズム。

2006-04-26 09:41:12 | 建見楽学
東雲学園にある建物では、この校舎も岡目八目の好きな建築スタイルである。

このスッキリした外観は、とても美しい。
ところが、これは間もなく改築となり壊されてしまう。実際のところ、どんな建物になるのか心配をしている。
岡目八目、思うに、教育環境と“美”の相関関係はとても重要である。多感な青春期を過ごす建物として、それがぞんざいな建築であって良いハズがない。かつての日本の小・中学校が、ある種の文部省スタイルというか、どこへ行っても同じ白い箱状のコンクリート建築であったのだが、いつもそのことを不思議に思っていた。どの町へ行っても、学校だけはそれと分かる。恐らくは、機能とコスト、加えて管理の考え方が生んだ、全体デザインであったのだろう。
しかしそれは、よくよく考えてみれば、学校なのだから、何が最も大事かというと、情操や人間性を育むための入れ物として本当は考えないといけない。
そうした知識教育だけでない人間教育の観点からすると、“美”はとても大切な要素なのである。

東雲学園には、このほか、「みつばハウス」と呼ばれるとても素敵な宣教師館があるが、それはまた後日。

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2 コメント

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15年以上前 (ヲタ福)
2006-04-26 11:36:18
高校の文化祭におじゃましたことがあります。普段めったに入る所ではないんで、興味深くウロツキました。でも、建物とかにあまり興味のない頃だったので、裏山迫るやけに狭い所に古い建物が密集しとるなぁー程度の印象。でも、卒業生は取り壊しを悲しんでいるだろうなー。学園の未来のためにも残せるものは残し、作るものは東雲らしさを生かしてほしいですね。

ところでこの辺りって、掘ったらなんか遺跡がうじゃうじゃ出てくるんではないんですか?
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今後はどう変わる? (オカザキ)
2006-05-01 22:23:55
松山藩政期には、東郭という場所ですから、発掘調査でもすれば何か出てきそうな場所です。現に、城門型の正門近くにある見事な高石垣は、当時のままですし、それらをうまく取り込んだ学園の立地になっていますが、さて・・。
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