岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

我が家の春。

2006-04-26 09:58:08 | 季節感
宇和の山田では、我が家の裏の竹やぶがご覧の状況。

次から次に竹の子が生えて、その整理もこまめにやらないと、ちょっと油断すると直ぐにこうなっている。このまま大きくしてしまうと後が大変なので、可愛そうだが伸びすぎないウチに倒すことになる。
モチロン、まだ小さいウチに掘って食用とする。竹の子を食べる分には、好きなほうなのでいくら生えてもイイのだが、だからといってイノシシじゃないんだからそう一辺には食べられない。
で、ご関心の向きにお配りすることとなるのだが、我が家のはあまり手入れもしないご覧のやせた竹やぶで、売り物のように大きな竹の子ではないので、遠慮しつつお渡ししている。
でも、毎年必ずニョキニョキとこの時期になると生えてくる竹の子が、私はとても愛しい。また、不思議なもので、掘れば掘るほど、怒って出てくるような錯覚を覚えるくらい、竹やぶは活性化する。ここしばらくは、家に戻ると竹やぶが気になる季節。

さて、今日はこれから29日「れんげ祭り」の準備。「宇和わらぐろの会」出動である。月曜日にNHKで、うちの会長たちが「わらぐろ」づくりで紹介されてたが、観ていただいた方もあるだろうか。

東雲学園のモダニズム。

2006-04-26 09:41:12 | 建見楽学
東雲学園にある建物では、この校舎も岡目八目の好きな建築スタイルである。

このスッキリした外観は、とても美しい。
ところが、これは間もなく改築となり壊されてしまう。実際のところ、どんな建物になるのか心配をしている。
岡目八目、思うに、教育環境と“美”の相関関係はとても重要である。多感な青春期を過ごす建物として、それがぞんざいな建築であって良いハズがない。かつての日本の小・中学校が、ある種の文部省スタイルというか、どこへ行っても同じ白い箱状のコンクリート建築であったのだが、いつもそのことを不思議に思っていた。どの町へ行っても、学校だけはそれと分かる。恐らくは、機能とコスト、加えて管理の考え方が生んだ、全体デザインであったのだろう。
しかしそれは、よくよく考えてみれば、学校なのだから、何が最も大事かというと、情操や人間性を育むための入れ物として本当は考えないといけない。
そうした知識教育だけでない人間教育の観点からすると、“美”はとても大切な要素なのである。

東雲学園には、このほか、「みつばハウス」と呼ばれるとても素敵な宣教師館があるが、それはまた後日。

外国人建築家と松山。

2006-04-26 09:24:51 | 建見楽学
この建物は、さてナンでしょう。

知らない人がこれを見たら、きっとどこかの城の城門だと思うに違いない。ところが、これは戦前期の擬洋風建築。設計者はJ.H.モーガン。
タネを明かせば、コレは松山にある東雲学園の正門入り口。建築当時のホイテ校長によって、松山城の東麓に立地することから、周辺の環境に合わせた設計意匠が求められ、このような外観の建物となった。もし日本人校長なら、ミッション系の学校であれば、逆にきっと洋風然とした建物になっていたに違いない。そう思うと、外国人ならではの環境配慮、つまりはランドスケープの考え方が教育環境として構想されたことが、とても重要に感じられる。
現在の建築家に求められる、周辺との調和、そういう意味ではとてもレアな歴史遺構なのだ。
モーガンの建築は、昨年の夏に藤沢市において、モーガン自邸が「旧モーガン邸を守る会」などの市民運動によって、(財)日本ナショナルトラストの取得するところとなり、保存された。
その意味では、まだこの東雲学園の建物は全く無名で、その価値が知られていない。実は図面も残っていて、その史料価値も高い。日本人妻をめとったモーガンではあるが、彼の設計作品の中でも特異な建築であることは間違いない。

坊ちゃん劇場。

2006-04-26 08:55:54 | Weblog
先日、日曜日に新装なった「坊ちゃん劇場」へ行ってみた。

ここは松山市の郊外、東温市(旧重信町)。ショッピングセンターや入浴施設もあり、駐車場も広い。秋田県にある「わらび座」が進出したものだが、写真は入り口にあるレリーフ。右端に居るのは正岡子規。野球の名づけ親とも言われる子規さんは、確か野球殿堂入りもしている人で、こんな姿の古写真があったから、それを陶製にしたのだろう。下に並んでいるのは寄付者名を下駄の形の砥部焼きで表現。大きさは寄付の額か。面白い表示方法でした。
それにしても、坊ちゃんスタジアムに続いての坊ちゃん劇場、松山いや愛媛の代名詞?として「坊ちゃん」は偉大でアリマス。