「わらぐろ」の製作体験に、宇和高校の生徒さんが先生と参加してくれた。
キョーピ、農家に育つこと自体が貴重になっている現状があるが、ましてや「わらぐろ」を作る体験をしている子どもなどは皆無である。この子たちのお父さん世代だって殆どやっていない。経験値としては祖父の世代くらいの文化である。
大体年齢的には60歳代くらいから上でないと、今や「わらぐろ」は作れない。
昨年、生まれて初めての米づくりに挑戦した岡目八目も、最後はやはり「わらぐろ」づくり、と心に決めていたので、何とか近くの方の協力で(実際は友人と自力で作っていたら、見かねて田んぼに入ってこられた)小さいのを一基だけ作った。ところが、アレほど一所懸命に作ったのに、先日今年の田植え準備もあってその「わらぐろ」を解体したら、約三分の一の藁は使い物にならなかった。何故か。中に水が入っていたのであります。結局、積み方のどこかに欠陥があり、水が回ったものと思われる。「わらぐろ」は、当然、現地における乾燥貯蔵が目的なので、これでは何にもならない。素人では容易な領域ではないのである。
そんなことを思い出しつつ、高校生数人のチャレンジを眺めていると、こうした体験をしてくれるだけで、こちらも嬉しくなってくる。教科書では学べない、「農」の文化の奥深さを、少しでも実感して欲しいものである。
キョーピ、農家に育つこと自体が貴重になっている現状があるが、ましてや「わらぐろ」を作る体験をしている子どもなどは皆無である。この子たちのお父さん世代だって殆どやっていない。経験値としては祖父の世代くらいの文化である。
大体年齢的には60歳代くらいから上でないと、今や「わらぐろ」は作れない。
昨年、生まれて初めての米づくりに挑戦した岡目八目も、最後はやはり「わらぐろ」づくり、と心に決めていたので、何とか近くの方の協力で(実際は友人と自力で作っていたら、見かねて田んぼに入ってこられた)小さいのを一基だけ作った。ところが、アレほど一所懸命に作ったのに、先日今年の田植え準備もあってその「わらぐろ」を解体したら、約三分の一の藁は使い物にならなかった。何故か。中に水が入っていたのであります。結局、積み方のどこかに欠陥があり、水が回ったものと思われる。「わらぐろ」は、当然、現地における乾燥貯蔵が目的なので、これでは何にもならない。素人では容易な領域ではないのである。
そんなことを思い出しつつ、高校生数人のチャレンジを眺めていると、こうした体験をしてくれるだけで、こちらも嬉しくなってくる。教科書では学べない、「農」の文化の奥深さを、少しでも実感して欲しいものである。