岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

バス停。

2006-04-11 06:49:11 | 路上観察
干拓地にあるバス停の名は、そのままストレートな地名となっている。

岩松干拓地のこと。

2006-04-11 06:37:32 | ノスタルジー
この延々と続く眺めは、旧津島町岩松干拓地のもの。汐留め堤防と防風林である。

読者からの岩松モノを、というご要望もあり、アップしてみました。ところが、この岩松干拓は、県内では殆ど知られていない。地元の方には申し訳ないが、「岩松」という名もまだまだ知名度があるとは言い難い。この干拓地は、岩松川河口に開けた広大な干潟を、戦後間もなくの頃、食糧増産の政策あってのことだろう、昭和20年代から10年ほどかけて農地造成された場所。

私事で恐縮なれど、父がその県耕地課の仕事に従事していた。 それも今は昔、この干拓地、今は減反農政のご時世であるからして、既に農地ではなくなっている。完成してから、本来の目的で20年ほどは機能したのだろうか。近くには、南予レクレーション都市構想という、今思えば「アレは何だったんだろう」、というような事業で出現した「南楽園」もある。

昭和20年からの戦後60年を、20年づつくらいのスパンで見てゆくと、昭和39年に東京オリンピックがあり、右肩上がりの高度経済成長の時代になってゆくが、こうした干拓地や南楽園などの大規模事業の出現を時代的に見てゆくと、何だか不思議な気がしてくる。ある種の熱にうかれたような開発の時代があって、今冷静にそのことを眺めると、感慨が深くなる。

こうして現地に立つと、しかしながら今も前面に干潟が広がり、なかなか風景としては爽快である。もっと知られてイイ、場所としての魅力度は申し分ない。