岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

飾り瓦

2006-03-28 19:23:47 | 路上観察


西予市宇和町下川(しとうがわ)地区を歩くと、面白い飾り瓦に出くわした。

唐獅子だと思われるが、どうしてこういう姿勢になっているのかは分からない。取りあえず「逆ウナバウアー」と名づけてみたが、どうだろう。

「抜粋のつづり」 【7】

2006-03-28 08:50:17 | 良書紹介


先日、久しぶりにこの本を入手した。「抜粋のつづり・その六十五」。
津島町岩松商工会(宇和島市)にあるものを頂戴した。

これは知る人ぞ知るもの凄い本である。片手に納まるハンディタイプの冊子であるが、私にはこの本にちょっと思い入れがある。
かつて、「あけぼの」という地元建設会社の広報担当だった頃、私はこの冊子と出会いとても驚き感銘を受けた。発行元は株式会社熊平製作所。広島の宇品に本社のある金庫の会社である。今はどうか、確か以前は熊倉和雄?(人形劇「ひょっこりひょうたん島」の声優)を起用したCMがテレビで流れていたような。

ともかく、これは質実な金庫のメーカーから年一回発行されている冊子であり、つまり「その六十五」ということは、昭和6年からの発行(戦中戦後の混乱期を除く)で、今も続けられていてその歴史は75年に及ぶ。これは小・中学校や図書館を中心に全国8万ヶ所に無料配布されており、その部数ナンと45万部。
内容は、その年の新聞各紙や雑誌などから、人々の為になると思われる文章の抜粋で構成されている。この号では、新井満氏の「千の風と千の花」(読売新聞より)から田辺聖子氏の「お酒と口別嬪」(日本経済新聞より)まで新玉のエッセーが33編。

前述の「あけぼの」は、営業マンが地域へ無料配布するという形式を取っていたので、その編集にあたっては企業メセナやフィランソロフィーなどといった、企業の地域貢献について、それは仕事柄とても大切な関心事だった。20年ほど前にこの「抜粋のつづり」の存在を知った私は、戦前から既にそんなことをしていた企業があったことに驚愕した。しかもクマヒラの金庫。
私事にはなるが、本社のある広島の宇品には、学校を卒業して就職したジャスコ時代に住んでいたので(在住当時は知らなかった)、早速私は愛媛から連絡を取って熊平製作所を訪問した。そうすると、やはりと言うべきか、比較的地味な佇まいの工場から地味な感じで年配の方が出てこられ、応対していただいた。
聞けば、たった一人で編集し、全国に送り続ける作業をされているとのこと。信用第一の金庫製作会社で、連綿と続く企業メセナの真髄を見た瞬間だった。

因みにこの会社、今年で創業108年を迎えるという。ライプドアではないが、時代という厳しい経済変動の中で企業が生き残り、長きにわたって存続することの難しさを思うと、その長さは国内でも希少な企業の一つである。
「抜粋のつづり」は、その創業記念日(1月29日)を期して全国に配送される。

巻頭にある創業者の「創刊のことば」を記してみる。

『日頃の御好意に対して感謝の意を致したいと存じてをりますので、その一端として、このパンフレットを発行したしました。
 積極的消費論と学校教育の普及と改善、又宗教に現世の浄土化思想の必要は私の持説とする所で御座いますが、私の陳弁よりも、近頃読みましたものの内で、こうした方面における諸名士の御意見を紹介してみたいと存じまして編纂いたしました。 昭和六年霜月  熊平源蔵』


日土小学校・第4回再生検討委員会

2006-03-28 00:31:52 | まちづくり
昨年から、半年間にわたって開催されてきた日土小再生検討委員会の最終回が、27日八幡浜市役所でありましたので、ご報告。

第3回の前回で、建築学会と地元PTA側との協議の結果が図面化され、一応の成果を見た・・・ハズであったが。
結審となるべき今回の「日土小学校再生計画 報告書(案)」は、かなり玉虫色のものとなった。
平面計画の詳細を言葉で述べるのは難解だが、要は、全面改築を要望するPTA側の意見がかなり取り入れられる可能性を盛り込むこととなった。

つまり、図面は前回の改修案となっているが、それをタタキ台として、大幅に再度内容を変えられるような文章を追記することとなった。ただし、実施計画の立案に当たっては、地元住民の意見を取り入れながら、学会の専門的な助言をもとに進めること、となっている。
ウーン、こういう問題は、ブログで実況をお伝えするのはかなり難しい。キチンと伝えようとすると、かなり文章量が長くなり、また誤解も招きかねない。別な視点で述べてみる。

結局、PTA側としては、改修案(外観)に同意する代わりに内部についてはこちらの意向を重視して欲しいという意見。つまり、改修そのものが取引になってしまっていること。全く意見の違う考え方の者同士が同一の報告書を作成するために、あい矛盾する記述にせざるを得なかったという結末。
私が奇異に感じるのは、PTA及び学校側には、この類稀なる価値を持つ校舎を、地域の教育素材としてどう活かすかという視点・論点が全く感じられなかったこと。専門家集団である学会からの改修案が目の前に存在するがゆえに、仕方なく応じているという以上の何ものでもないこと。
そこを強力に行政側が誘導することもなく、ただ地元の意見を尊重するという姿勢でのみ(地元とは誰か、改築論を声高に主張する人だけが地元では無いはずだが)終始している。
あくまで全面改築を基点としてしか発想を変えようとしない頑迷さには、聞いていて底知れない教育的不毛を感じた。しかも、子どものため、という言葉が形容的に何度も冠されての発言である。そこまでのこだわりは、改築以外は子どものためにならない、と言っているのと同じではないのか。市側(教育委員会・学校)と地域(歴代のPTA)でこれまでに醸してきた教育的風土か、あるいはそれが日土だけの特殊事情かは分からないが、いずれにせよ「こどものため」という論拠が違い過ぎてその部分の本質的な話には至らない。
加えて、これまでの行政の事なかれ主義がそれに輪をかけている。
果たして、明日意向のマスコミ報道は、これらをどう記述しているのだろう。