岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

春うらら。

2006-03-20 14:01:40 | 季節感
二時間ほど前の写真。別府から八幡浜港への九四フェリーから、名取あたりを遠望。穏やかな宇和海に差し伸べられた緑の腕が季節のせいか優しげだ。その昔、伊達が仙台から宇和島へ入部の折り、仙台空港の辺り名取郷の人たちを住まわせたとうう伝説の地。山の斜面にへばり付くように立地する集落からは、今も当然のように日振島が指呼の間。まだ戦国の気風が抜け切らない頃、一朝コトある時は狼煙リレーで宇和島城下まで急を知らせる手はずだったとかナントカ。(文字数オーバーで写真はこの後)



花の東京、パートⅣ。

2006-03-19 23:10:57 | まちづくり
日暮町風土記、いわゆる保内町風土記は、今回も一笑堂の豆板が登場。受付で販売もされてて、帰りに買おうと思ったら売り切れ。芝居の方も涙と笑いを誘っていた。終りに各若い役者さんたちに所長の金さんコト中村梅之助が、修了書を手渡しし、挨拶。「原作が良いと芝居も活き、予想以上の皆さんの頑張りがありとても嬉しかった。」と。あぁ、保内の人たちにこそ観せたい町並み保存感動劇。


花の東京だよりパートⅢ

2006-03-19 22:56:38 | 建見楽学
昨日の東京一日ウォッチングは、タイトな一日となりました。
かいつまんで、日土小OBのN君と現代建築巡り、黒川紀章のメタポリズム、大阪万博頃に出現した中銀センタービルを見学。同一パーツを組み立てた積み木のようなマンション。それから日本最古の、移設保存された明治11年のトラス橋「八幡橋」を確認。そして、スウェーデンの世界遺産「森の葬斎場」を設計したアスプルンド展を見学。更に夕方吉祥寺へ。「日暮町風土記」の前進座卒業公演へ。旧保内町のあたらしや保存の芝居が、活き活きと演じられていて感激。

花の東京へ、Ⅱ。

2006-03-17 22:02:11 | Weblog
私の携帯は古いタイプで文章量があまり送れない、続きをば・・・
消灯後は出来るだけ早く寝ること。車内の静寂が破られるのは消灯後しばらくしてからが多い。客運が悪いといびき責めに遭うからである。自分がかく場合は不幸にして知らない。朝起きた時に周りのナントナクの雰囲気から察するだけである。さぁ、その十時である。オヤスミナサイ。

花の東京へ。

2006-03-17 21:49:25 | Weblog
現在、夜行バスは東へ東へと向かっている。久々の上京。PM7:10分に松山市駅前をスタート、明朝AM7:10分新宿西口に到着する。
いつも思うのだが、こうした夜行バスの車内というのは、何故か異様に静かである。別にそれほど空いている訳でもない。春休みか学生さんも多い。皆所在ナゲに十時消灯までの間、本を読む者、何か初めての乗車か寝つかれない様子でゴソゴソしてる人、ボリボリ、ボリボリ何かよくワカランが何かを食ってるらしい人の立てる音、などなどの状況下で高速交通のエンジン音と振動とで夜が更けてゆく。消灯後は、ツヅク・

人物と催しもの紹介。

2006-03-14 06:49:47 | まちづくり
何故かナマモノはあまり扱わないこのブログですが、例外もあり。

ご覧のイケメンは伊方町「町見郷土資料館」の高嶋賢二さん。香川県出身にして、伊方町唯一の学芸員にして独身。(コレハカンケイナイカ)

目下、面白い手づくり企画をやっていて、それが「佐田家の食卓」。
“佐田みさき”ちゃん、というキャラクターを想定して、かつての佐田岬半島でフツーに営まれていた家々の暮らし、その食卓に目線を当てて展示している。
丸い飯台(チャブ台)やカンコロめしなど。写真に見られる漫画は、地元の高校生が描いている。小さな展示だけどナカナカ素敵である。
特に日曜は、名キュレーター高嶋さんのガイド付き。5月7日まで。

場所は、R197号メロディラインを西へ、八西CATVのある八西総合情報センターを過ぎ、トンネルを出て右折、海岸まで行くと九町の集落、そこからなお海沿いを走ると旧町見中学校の校舎を利活用した「町見郷土資料館」に到着。
(電話 0894-39-0241) 月曜休館日

余談ながら、こう言ってはナンだが、昨今の伊方ニュースは事件やら、選挙にまつわるダーティイメージが先行し、そうでなくとも原発の町としての良し悪しが顕著な財政力指数県下トップの町。そんな中、「佐田岬見つけ隊」を発足させ、地道に学芸活動に勤しむ彼の存在は、岡目八目には希望の灯火のようにさえ思う。

まだのお方は是非お訪ねアレ。

春の味、土筆採り。

2006-03-12 14:38:44 | Weblog
春本番の写真を一枚。

大洲市菅田の肱川の近く。野原にもの凄い数の土筆(つくし)が生えていた。久々に食べたくなり、採って帰った。足の踏み場も無いくらいの生え方で、あたり一面にニョキニョキと。キリが無いので途中でやめたが、あまり採り過ぎると、後のハカマを取る作業が大変である。手の爪が真っ黒になって、まぁそれでも春の息吹を味わう食感は、何ものにも替えがたい。
今年は梅の花が遅く、我が家(西予市宇和町山田・標高230mほど)では、やっと八分咲き。松山の堀の内では、早くも桜が結構見ごろになりつつあるのに。季節の移ろいが、少しヘンである。

戦争遺産・改良ボート

2006-03-12 14:25:37 | ノスタルジー
実家の納屋に眠っているコレと、久しぶりに対面。

8日にアップした「ゼロ戦のフロート」というのが、これ。ボートに改造して、裏の中池(西山田集落の溜池)に浮かべて、使っていたもの。意外にも安定感は悪く、よくひっくり返っていた。何故なら、フロートは両翼の下に取り付けられ、上からの加重に対して支えるように出来ているので、それ自体の安定性は良くない。ましてや溜池はすり鉢状になった池なので、泳げないとアブナイ。持ち帰った父としてもそれは想定外のことだったかも知れない。

頭に貼ってある小さなプレートには、製造所「株式会社福岡精工所」、使用機種「零式一号観測機一型」と刻印されている。

「国家の品格」と経済。

2006-03-12 09:42:01 | まちづくり
民放、竹村健一の番組にあの藤原正彦氏が出演していた。以前このブログにも良書紹介④で取り上げた「国家の品格」の著者。

私が何故この本の書かれた内容にヴィビットに反応するか、というと、それは建物の保存と密接なつながりがある。
保内や八幡浜、あるいは宇和における様々な保存に関わり連戦連敗の中、いつも感じたある“壁”のことが書かれてあるからに他ならない。その“壁”とは、市場原理主義。
つまり、町並みや建物の保存の際にそれを説いていると、必ず言われるのが経済的な裏づけ。勿論、遺す以上はそうしたことが大切なのだが、概してそうした活用策を段取りしたり企画したりする時間余裕など無い中で、通常の保存問題は起きることがほとんど。その段階で慌てて保存を講じようとしても、個人の資力には限界があり、どうすることも出来ず、写真に撮ったり、せめて実測調査をする、ということになる。

そうした緊急性のある場合でなくとも、経済的価値について言及する人は多い。というよりも、「こんなものを遺してナンになるんゾ」というつれない物言い。その言葉が象徴するのは、金銭価値でしかモノを見れない人の人心の荒廃。
人には、感傷という名のセンチメンタリズムや、物を懐かしむ感情や、人であるからこその心の向け方があるのだが、そうしたことが何かさもメメしいことのように後ろへ追いやられる。そんなやり取りを、私は様々な場面で思い出すことが出来る。

そんな価値観の壁は、戦後教育や、経済というものの本質に、疑問を持つに至るわけだが、元々経済というのが「経世済民」の略であることを思うとき、現在のマネーゲームが本来あるべき経済ではないこともよく理解できる。文学部出身で経営・経済のことが分からない私に、かつて故人のA氏は経世済民の意味を教えてくれた。民を救済する世の中の道筋、それが経済であること。ある意味、世直しやまちづくりがそれに近い。経済は、決してマネーや相場のことではない。