岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

花の東京、パートⅤ。

2006-03-22 00:21:43 | 建見楽学
『建築家 グンナール・アスプルンド展』について。

 新橋にある松下電工汐留ミュージアムにて、4月16日までやっている展覧会を観させてもらった。
 昨年末、日土小のシンポジュームで知遇を得た、ドコモモJAPANのK氏から是非にと勧められ、噂に違わずの内容に満足の一時を過ごした。笑われそうだが、無知な私は、それまでアスプルンドを知らなかった。しかも、世界遺産にもなっているスウェーデンのストックホルムにある「森の墓地」、その設計者として彼が通算で関わったことも。
 ただ、前知識なく観ることが出来、余計に得たものの中に感銘があった。会場は撮影禁止なので、購入した絵葉書から雰囲気を察してもらうほかないのだが、チラシには「癒しのランドスケープ」という言葉も添えられている。
 森の墓地は、その名の通り、日本の葬祭場とは違って、まさに広大な森の中に存在する。礼拝堂、十字架の道、火葬場、墓地などが適度に分散し、すっぽりと森の中に佇む。
人が、その人生における終焉の地を選ぶことが出来るなら、そうした場所に葬られて眠りたいと思うのではないか。また現世の人々にとっては、その避けられない“死”という悲しみを、こうした場所で受け止め、理解し、故人を偲びたいと思うのではないか。そんな気にさせる、フトコロの深い森に包まれた癒しの場。
 そうした、単に建築単体ではなく、環境も含めた全体設計の出来る建築家アスプルンド。彼は1885(明治18)年生まれで、ストックホルムを中心に活躍し、1940(昭和15)年56歳で亡くなる。
 写真左下の氏の作品「夏の家」にしても、北欧の豊かな自然と共に建物が存在する。上記「森の墓地」の中にある森の礼拝堂の寄棟屋根のフォルムは、まるで日本の民家であり、自然と一体となった建物配置は、借景などと同様に我々には馴染みやすい感覚。ハテナ?、と会場を回りながら思っていると、やはり日本に対する氏の関心度が相当高かったらしきことが、出口あたりの最後の方でタネ明かしされていた。
 それにしても、森の墓地にある氏の遺した言葉は含蓄が深い。建設当初の30代の時には「今日はあなた。明日はわたし。」と礼拝堂への入り口の門に刻み、40代では園内に立つオベリスクに「今日はわたし。明日はあなた。」と書かれている。つまり、現世と来世の立場を代えて言葉が刻まれているのだ。建築に寄り添い、人生を重ね合わせた氏の優しさと厳しさとが伝わってくるようにも思えた。