昨年から、半年間にわたって開催されてきた日土小再生検討委員会の最終回が、27日八幡浜市役所でありましたので、ご報告。
第3回の前回で、建築学会と地元PTA側との協議の結果が図面化され、一応の成果を見た・・・ハズであったが。
結審となるべき今回の「日土小学校再生計画 報告書(案)」は、かなり玉虫色のものとなった。
平面計画の詳細を言葉で述べるのは難解だが、要は、全面改築を要望するPTA側の意見がかなり取り入れられる可能性を盛り込むこととなった。
つまり、図面は前回の改修案となっているが、それをタタキ台として、大幅に再度内容を変えられるような文章を追記することとなった。ただし、実施計画の立案に当たっては、地元住民の意見を取り入れながら、学会の専門的な助言をもとに進めること、となっている。
ウーン、こういう問題は、ブログで実況をお伝えするのはかなり難しい。キチンと伝えようとすると、かなり文章量が長くなり、また誤解も招きかねない。別な視点で述べてみる。
結局、PTA側としては、改修案(外観)に同意する代わりに内部についてはこちらの意向を重視して欲しいという意見。つまり、改修そのものが取引になってしまっていること。全く意見の違う考え方の者同士が同一の報告書を作成するために、あい矛盾する記述にせざるを得なかったという結末。
私が奇異に感じるのは、PTA及び学校側には、この類稀なる価値を持つ校舎を、地域の教育素材としてどう活かすかという視点・論点が全く感じられなかったこと。専門家集団である学会からの改修案が目の前に存在するがゆえに、仕方なく応じているという以上の何ものでもないこと。
そこを強力に行政側が誘導することもなく、ただ地元の意見を尊重するという姿勢でのみ(地元とは誰か、改築論を声高に主張する人だけが地元では無いはずだが)終始している。
あくまで全面改築を基点としてしか発想を変えようとしない頑迷さには、聞いていて底知れない教育的不毛を感じた。しかも、子どものため、という言葉が形容的に何度も冠されての発言である。そこまでのこだわりは、改築以外は子どものためにならない、と言っているのと同じではないのか。市側(教育委員会・学校)と地域(歴代のPTA)でこれまでに醸してきた教育的風土か、あるいはそれが日土だけの特殊事情かは分からないが、いずれにせよ「こどものため」という論拠が違い過ぎてその部分の本質的な話には至らない。
加えて、これまでの行政の事なかれ主義がそれに輪をかけている。
果たして、明日意向のマスコミ報道は、これらをどう記述しているのだろう。
第3回の前回で、建築学会と地元PTA側との協議の結果が図面化され、一応の成果を見た・・・ハズであったが。
結審となるべき今回の「日土小学校再生計画 報告書(案)」は、かなり玉虫色のものとなった。
平面計画の詳細を言葉で述べるのは難解だが、要は、全面改築を要望するPTA側の意見がかなり取り入れられる可能性を盛り込むこととなった。
つまり、図面は前回の改修案となっているが、それをタタキ台として、大幅に再度内容を変えられるような文章を追記することとなった。ただし、実施計画の立案に当たっては、地元住民の意見を取り入れながら、学会の専門的な助言をもとに進めること、となっている。
ウーン、こういう問題は、ブログで実況をお伝えするのはかなり難しい。キチンと伝えようとすると、かなり文章量が長くなり、また誤解も招きかねない。別な視点で述べてみる。
結局、PTA側としては、改修案(外観)に同意する代わりに内部についてはこちらの意向を重視して欲しいという意見。つまり、改修そのものが取引になってしまっていること。全く意見の違う考え方の者同士が同一の報告書を作成するために、あい矛盾する記述にせざるを得なかったという結末。
私が奇異に感じるのは、PTA及び学校側には、この類稀なる価値を持つ校舎を、地域の教育素材としてどう活かすかという視点・論点が全く感じられなかったこと。専門家集団である学会からの改修案が目の前に存在するがゆえに、仕方なく応じているという以上の何ものでもないこと。
そこを強力に行政側が誘導することもなく、ただ地元の意見を尊重するという姿勢でのみ(地元とは誰か、改築論を声高に主張する人だけが地元では無いはずだが)終始している。
あくまで全面改築を基点としてしか発想を変えようとしない頑迷さには、聞いていて底知れない教育的不毛を感じた。しかも、子どものため、という言葉が形容的に何度も冠されての発言である。そこまでのこだわりは、改築以外は子どものためにならない、と言っているのと同じではないのか。市側(教育委員会・学校)と地域(歴代のPTA)でこれまでに醸してきた教育的風土か、あるいはそれが日土だけの特殊事情かは分からないが、いずれにせよ「こどものため」という論拠が違い過ぎてその部分の本質的な話には至らない。
加えて、これまでの行政の事なかれ主義がそれに輪をかけている。
果たして、明日意向のマスコミ報道は、これらをどう記述しているのだろう。