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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

お金のために働くと(=^▽^)σ

2019年01月09日 14時00分51秒 | 徒然なるままに
徒然なるままに(o^^o)

人は働かないとろくなことを考えない。
世の犯罪者の多くは『無職』と報道されているのが、これ理なり。

働くことが楽しいと思うようになればよし。
目的や目標を持ち志を高く持つことが肝要である

決して『お金』のためにだけ目的を持っては労働は、つまらないものとなるべし。

お金のために働くと
見えるものも見えなくなり盲目に等しい。
労働時間を提供する対価だけに重きをおくと
成長は止まる。

仕事が楽しく思えてきたとき。
一生懸命に働いているのである。

頑張っている!
この言葉は他人から言ってもらって輝く言葉である。

頑張れるのがお金だけは
悲しいことである。

仕事は人のために、世の中のためにと志を持ってやっていれば
必ず報われる時もくる。
チャンスもくる。

天は、そのような志の高い人間には
与えるべきものは与える。
しかし。
天は試す
ホントに志が高いのか?どうか。
それが試練となる出来事である。
試練の『試』は、ためすと書く。

試練を乗り越えた者だけに
チャンスや出会いなどを与えるくれる。

仕事をうまく行きやすいようにであるが、決して簡単ではなく努力を求められるものなり。

それを乗り越えたとき。
ご褒美として『お金』がついてくる。
そして
そのお金をどのように使うか?
天は静かに見ている。

人のために、世の中のために使えば
天は更に新たなチャンスを与えてくれるが、
贅沢や快楽などだけに使っていると
今まで築いてきたものが
一瞬で壊れることも少なくない。

仕事。
仕える事。
それは社会や人に仕える事なのである。

愛(^^)

2019年01月09日 10時40分52秒 | 徒然なるままに
徒然なるままに(^^)
魂はこの世へと生まれるのは『愛』を学びに来ているのである。

母の愛を受け、成長し、やがて自らも家族を持つことで愛を学ぶのである。
子の間は親からの愛を受けるのみであるが
自らが親となれば与える愛も学ぶのである。

人は外へ出るようになると他人へ愛を与える事を学ぶ。
それは学校や職場を通じて。
赤い羽根の募金も愛の実践である。
ベルマークを集める事も。

大人になれば
仕事や職場、また人間関係を通じて『愛』を学ばなければならないのである。

愛ある行動と言動は『徳』となり、その継続が積み重なると
自ずと経済的にも人脈的にも恵まれていく。

愛がなくとも一時的に経済的にも人脈にも恵まれる事もあるが、それは一時的であったり
たとえ続いたとしても、大抵の場合は
山たければ谷かしの如く落ちぶれる。

愛を人知れず行う者もいる。
目立たぬように。

稼げば稼ぐほど自分のためにだけ使うと
その先には苦しみや悲しみが大きく立ちはだかる

稼いだ分の、たとえ10%いや5%でも
社会のために寄与したり困ってる人へ寄付する事で徳となり、それは自らの安定へと繋がる。

誰も見てないからと他人の物やお金を奪う行為は天からは丸見えになっている。

天は、それを逃さない。
物やお金をうばう事は愛を奪い
持ち主を絶望的にさせる行為である。
また親や兄弟など周囲を悲しませ、困らせる行為である。

これは大きく不徳となり
必ず、この不徳の返済を天から求められる事態が目の前やってくる。
それは今世とは限らない。

他人や親を悲しませる事。
それも愛の学びなのである。
今、この今世は誰からも信頼され親しまれている人物も
かつては前世において悪行を重ねてきているものである。

愛の学びは人生一度や二度で悟れるほど浅くなく
魂は何度もこの世へ降り立ち学び得ていくものである。
よって
過去を悲観し悩むだけでなく
反省を行い
感謝を持って生きて行けば
少しずつ愛を学び実践出来るようになるものなり。


人生12年サイクル??24歳〜36歳 テーマは離婚と結婚

2019年01月09日 10時05分31秒 | わが半生
人生で60歳が第2のスタートと思っています(^^)

60歳以降の人生を決めるのは。
それまでの60年間である事は言うまでもなく。
人生のテーマがギッシリと詰まっていて。
それを5分割(^^)

では。24歳から36歳の私を振り返ってみたのです

23歳で初めて結婚しスタートしたのですが。
27歳で離婚しました。
妻の浮気が原因。
その前の年 26歳で勤めていた大手消費者金融会社の支店長へ昇進もしています。

社会人として小さな節目を迎えた12年間の初期。
離婚した妻と、よりを戻したのが29歳だったかなぁ。
支店長になって初めての異動命令が出たのが
八尾支店の支店長でした。
八尾は離婚した妻の実家がありました。

何の縁なんや?と思いましたが、近鉄八尾駅で
別れた妻とバッタリ再会しよりを戻すことになったのですが、またまた離婚。妻の浮気。

平成3年の秋、
私は近鉄上本町駅の支店へ異動となりまして。
その後に現在の妻と出会ったのです。(^^)
32歳で結婚し自宅も購入しました。
平成6年には長女が誕生(o^^o)
35歳の時でした。

そして平成7年
支店長の更に上のポジションであるエリアマネージャー昇進の推薦を受けたのです。

36歳の時でした。
マネージャー選考の対象にはなったものの、昇進は叶わず保留となり
私は京都河原町支店へ異動となったのです。

振り返れば、この12年間は
これからの人生を作っていくための布石の期間。
公私ともに。
まだまだ苦労も困難もホントに味わう前。
苦難に耐えんがための12年間の基礎づくりであったように思えます。