脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

施設を変えるかも?

2019年01月11日 15時08分14秒 | 義母の認知症
平成27年夏。
妻の母は軽度アルツハイマー認知症と診断され、平成29年の3月、施設入所をしましたが。

入所時は終末期まで入所していられるとの説明でしたが。
先日、遠回しに出て行って欲しいような事を言われました。

妻も私も、もう施設に対し何ら言うつもりはありません。
それなら、それで構わないと。

義母のアルツハイマー認知症の進行は最近になり早まっているようにも思ってた矢先であるし。

キチンと受け入れ出来る施設の方が先々、安心でもあるし。

今年83歳を迎える義母。
私達夫婦が住んでる隣の、おばあちゃんは義母より一つ年上ですが
とても元気。呆けるどころか
益々、冴えてきてるの?と思うほど。

なーーんか。ね。

今月半ばに大阪の病院へ診察を受け
薬の調整とか。
来月には介護更新の認定もあるようです。
今は要介護2
次は、おそらく要介護3かなぁ。

要介護度が上がると施設費用も上がります。

ま、お金の心配はありません。

もう義兄夫婦の事も関係なく
私達夫婦で義母を守って行こうと決めましたから

認知症は
少しずつ少しずつ天国へと近づいていき
記憶を無くしながら苦痛もとっていくそうです。
癌のような治療の苦しみはないので、
ある意味、神様からのプレゼントだと、とあるネットのブログにも書かれてました。

人間は死の瞬間は安らかになれるのですが。
それまで多少なりの苦しみや辛さがあるのですが認知症だけは無いそうです。

そう思うと戦前生まれ義母は幼い頃から苦労もあったし、中学を出てからは働きづめ。
弟の学費も負担したそうです。
持病もあって乗り物に乗れないので
旅行も行ってません。

とにかく働いて子供を育て
懸命に生きてきた人生は
私は心から尊敬しているのです。

消費者金融に勤めていた私と妻が結婚する事も何の偏見も持たず許してくれた義母。

長女の拒食症の時も、それは壮絶な毎日だったはずなのに全てを受け入れてくれ長女を住まわせてくれました。

どれだけ恩返ししても足りないほど。

だから。
せめて、残る人生を見守りながら支援させて欲しい。

まだ、私の名前は覚えてくれています。
孫である私達の娘の名前は忘れてしまいました。

私には電話をかけてくれてます。
ガラケーを開け宛先の一番上に表示されてる名前は私だからです。
息子の義兄に電話をすると
『いつも怒られるから。』と。
息子には電話をせず私に電話をしてきてくれるんです。

新しい施設探しもしなければなりません。

少し忙しくなりそうです。
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人生12年サイクル(^^) 48歳から12年間が勝負!

2019年01月11日 11時34分32秒 | スピリチュアル
宇宙という絶大な力と不思議(^^)
世の中は全てサイクルなのか?と思うのです。
数値。
宇宙も規則正しいサイクルで回っています。
地球も🌏一年365日で太陽の周りを。

数字には、それぞれ意味がある。
その中で『12』が最近では気になり、人生にあてはめて考えてみたのです。

すると意外にも人生の節目節目になっているように思えてなりません。

12、24、36、48、60と。
その数字前後の歳に。

前置きが長くなりましたが。(^^)

私の48歳前後は大きな転換期でもありましたが、それが本当に、これまでの生き方を試され人生と思えてなりません。

47歳でリストラとなり転職。
よく年に昇進しましたが。
47歳から
まぁ。波瀾万丈で
家族は崩壊寸前まで叩きのめされました。
長女の拒食症、次女のリストカットのダブルパンチ、これは後々、長女から聞いたのは
学校で友達から太ったねぇ。の一言がキッカケで拒食症になったと言うのです。
長女の拒食症で私達夫婦は長女にばかり気を取られました。
その陰で未だ中学生だった次女は、とても寂しかったため非行に走って挙句は自ら手首を切る行為に。
妻は毎日泣いてばかり。

そんな最中に長女は家出をし義母宅へ居候。
そして私が53歳の時に脳出血。
もう、我が家は大炎上です。

それでも妻は頑張ってくれました。
でも。長女は大学を中退、次女も公立校を退学し通信制高校へ編入。

その後、妻の母の認知症が分かり
妻の兄と揉めることとなり事は家庭裁判所での話し合いまで。
まぁ。ドロドロでした。

私夫婦が乗り越えたか?どうか?
それは分かりません。

でも
60歳を私は今年、迎える今、とても
穏やかに
家族の笑顔も戻り
経済的にも全く不安なく暮らせるようになったのは
天からのご褒美。
人生の課題を乗り越えたご褒美だと思ってます。

もし?
48歳からの行動を間違えていたら。
60歳からの人生は
それまで以上に過酷な人生が待っていたのかも知れない。
そう思うのです。
還暦以降の人生を第2の人生と捉えるのは
なーーんとなく
わかったように思う今日この頃です(^ν^)
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あーー!600円!

2019年01月11日 11時10分10秒 | 日記
昨日(^^)
妻とイタリアンのお店へランチに行きました。

今年は2人で美味しいものを食べに行くぞ!と
思っておりまして。

以前から気になっていたお店なので(^ν^)

店内は広くて女性が殆ど。

ランチメニューは
前菜にハムを蒸したものに野菜🥦が添えられ

メインはパスタ🍝
トマトソース、ペペロンチーノ、クリームの三種類からチョイス。
パン🍞が付いてます。

デザートには
少し変わったアイスクリーム🍨にティミス。
このティラミスが意外にも美味しいのです。
「バプルの頃、流行ったね!ティラミス。」
妻がポツリと(^^)

そうです。昭和の終わりから平成初頭にかけて流行ったスィーツがティラミス。
当時、イタリアンの食事を「イタメシ🇮🇹」
と申しておりまして(^^)
流行ったものです。

最後にコーヒー☕️。

お味は美味しかったのですが。
ガーリックが効いてなかったのが
やや気になって。

妻は美味しいお店だと
また行こうね。と言うのですが。
今回は言わず(p_-)

まぁ。あんなもんかなぁ。と一言。

自宅に帰りポスト妻が📮を覗くと
「あーー!何でやのん?!もー!腹が立つ!!」
手に持っているのは
宅配されている地元のリビング新聞。
この新聞はカラーで紙質も良いのですが。

行ったイタリアンのお店の300円割引チケットが付いていたのです。
「あーー!600円!!損したぁー!」

節約家の妻は
しばらく、愚図っていたのは言うまでもありません(^^)
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失ってわかる( ´Д`)y━・~~

2019年01月11日 10時42分22秒 | 徒然なるままに
徒然なるままに(*´∀`*)

失ってわかること。
大切な人なりけり。
近くに
いつも居てくれてると
その有り難みを忘れ、つい言葉で大切な人を傷つけていることかわからない。

いつも側にいてくれて自分を支えてくれていることが当たり前と思ってしまう。

自分の知らないところで陰になり見えないところで支えてくれていることを知ろうともせず。

ただただ生意気な事を
ただただ偉そうな事を
その大切な人に言っている。

そんな大切な人から
ある日、突然、別れを告げられたり。

そんな大切な人が居ながら浮気をしたり
好き放題する人もいる。

そんな事を繰り返していると
大切な人も去ってしまう。

去った後

漸く気づくのである。

しかし。
時既に遅しなのである。

側に居てくれてる人から去られないために。
普段から
その人を大切に思う言葉と行動をしなければならない。
それは
そんな難しい事ではないのである。

居てくれてる事に感謝することだから。
感謝すれば。
お茶をいれてくれれば
ありがとうと言い

ご飯を作ってくれたら
美味しいよと言い

朝起きたら
おはようと言う

何かしてくれれば
ありがとう😊なのである。

ありがとうと自分が言う事で
そのうち
自分が、時々でも
お茶を入れてあげたり。
お風呂を沸かしてあげたり
時にご飯を作ってあげるようになるから不思議である。

なぜか。
それは
自分が相手から「ありがとう😊」という言葉を聞きたくなるからではと思うのである。

ご飯を作ってあげて相手から「美味しい!」と言ってもらいたいからかも知れない。

「ありがとう😊」には失わせない魔法があるのかもしれない。

失ってわかるもの。
それは
人に対する感謝の心なのかもしれない。
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