脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

夢と希望を叶えませんか?(o^^o)

2017年12月14日 13時25分13秒 | 愛の実践スピリチャル
都会の洗練された場所に住みたいー!(o^^o)
いやいや自然に囲まれた生活に憧れる(o^^o)

様々な思い。
様々な価値観がそんな思いをさせます。

そう思うと言ってる人は?
都会は空気も悪くガヤガヤうるさくて嫌(ToT)
田舎はコンビニもないし?病気になったらどーするの?
と言う思いが現実を引き寄せていると言われます。

嫌いとか?嫌だ?とか思ってると?
嫌な場所へ転勤したり。
嫌いな人と同じ部署になったり?

中学生のころ、体育祭のフォークダンスの練習で『あの子とは絶対に踊りたくない!』と思っていると何故か、その子と踊る回数が多くなったり。

自動車教習所で『あの教官は嫌だなぁ。』と思ったら何故か、その教官に指導される事が多かったりします。私の経験ですけど。

マクドナルドでアルバイトしてた頃。
夏場にミートを焼くかかりにはなりたくないもの。それを思ってると何故か昼の忙しいときに『おーいY君、ちょっとミートパーソン入ってくれ!』と命令が(ToT)

想いは引き寄せると。最近、スピリチュアルに関心を持って、あ、そうそう。たしかに。と過去や現在でも納得する事が少なくありません。

だから。望みを叶えたければ。
お金が欲しいと思うのでなく…
お金、あるもんね。と思う事だそうです。
たとえ財布に1000円しかなかったとしても。
お金がある事は事実なのですから。
俺って、いつもお金あるもんね。と。
するとね。気持ちが軽くなるんです。

私は働いていたとき。
財布の中に必ず五万円以上は持ち歩いていました
使う使わないに限らず(o^^o)
え?そんなに持ったら使うじゃん!と言われますが何も無理して使う必要はありません。

だから財布は二つ持ってました。
一つには万札5枚。
もう一つは、一万円札と数千円くらい。
スーツのポッケには少ない方
鞄の中の財布には五万円(o^^o)

そしたら五万円の方は案外、使えないもんです。
ホントに、ここぞって時には使いましたけど。

話は逸れましたが。
想いや思考が必ず遅かれ早かれ目の前に現実となりますから。

前にも申し上げましたが。
出世も異動も
勤務地も
家も
奥さんも
私は全てがイメージ通り(o^^o)
でもね。良い事ばかりではありません。
脳卒中も少年時代になんかの書物で病気のページを見ていて脳卒中?何の病気?って意識したことはありましたが。その脳卒中という響きが病名が心の何処かで残っていたのかなぁ
見事に患ってしまいました。
離婚も左遷も降格も全てが
そんな風になりたくないなぁ。
でも?なったらどうしよう。とか。
離婚や左遷、降格など目の前で見てきたから。

それも
見事に現実となっちゃいました。
だから。
ポジティブシンキングが大切です。
イメージトレーニングが大切です。

こうなりたい。ではなく
そうなっている自分をイメージすると
努力すれば必ず現実となります。
勉強だって偏差値40の女子高生が慶応合格した話はもあるでしょう?
普通なら『無理無理!だって聖徳太子をせいとくたこって読む子に慶応??』となります。
でも、イメージして努力して慶応に行けると思い込めば、為せば成るわけです(^。^)

だから
家を持ちたい。可愛い奥さんが欲しい。良い会社に入りたい。ではダメ。(ToT)
家を持つ。可愛い女性と結婚する。良い会社に入る。と思うと更に、都心のマンションを買う。女性なら具体的な顔や性格をイメージ。良い会社とは自分にとって、何が良いのか具体的に思うです。強く強く、イメージして、そして努力すると必ず現実化となります(o^^o)
夢や希望は夢と希望に終わります。
より具現化していくこと。なりきること。
ある意味、役者にならなければなりません。
立ち居振る舞いや言動も
ポジティブな人は波動も良く周りからも憧れとなったり目標とされたり。
存在感が大きくなるので目立ちます。
目立つから、人が、その人に引き寄せられチャンスを与えてくれます。
もちろん、チャンスを与えた人も与えられた人も互いにウインウインの関係にならなければ現実化となりづらいのです。
夢と希望を持つ事は素晴らしいことです。
ならば現実としなければ勿体ではありませんか。
この世も
あの世も
想念の世界。
この世は物質的なもの唯物的なものがあるから想念を信じない人が多いだけです。
この世とあの世は地続きだあーと
丹波哲郎さんが、仰っていた意味が漸く解りかけた今日この頃です(o^^o)
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サラ金という職業差別(ToT)を通じて。

2017年12月14日 10時10分09秒 | わが半生
昨日、たまたま、とある掲示板を目にしたのですが(´-`).。oO
職業差別。
キャバ嬢やサラ金、風俗、パチンコなど。
書きたい放題。
掲示板に書かれている言葉使いも品はなく
差別してる時の人間って
汚く見えます。と
かく言う私も知らず知らずに差別をしていました。消費者金融でお客様への融資審査の際に業種や職種に偏見を持っていたのです。
恥ずかしい話で申し訳ありません。
例えば
公務員の方と職人さんでは融資判断も違い与信も大きく差がでます。
公務員で2年勤続の独身でも50万円は貸せますが職人で10年勤続、結婚していても当時は新規融資なら30万円からスタートかなぁ。
その審査の時に
差別してるんです。
同じ公務員でも部署によったり。
また当時は、外国人には融資はしませんでした。
国民健康保険の番号で在日か、どうか。また永住権の有無が当時ではわかったのです。
社会保険なら必ず免許証を見せてもらいます。
国籍が日本以外の場合は、さりげなく融資をお断りしたりも。
仕事とはいえ知らず知らずに差別していました。

また、地域によって、延滞率の高い地域には融資は小さくします。居直りやクレーム、居留守を使われたりしましたしね。
すると『この地域は貸禁や。』と当時、支店長だった私は平気な声で部下に言ってました。
だって。
ある日、取立てで債務者の住む団地の前でくるまを止めてたら、近くの住民から囲まれたりされましたから。そりゃ貸したくなくなるでしょ?

そうやって差別していた消費者金融。
でも社会からサラ金と言われ昭和50年代ではクレジットカードの審査が通らなかったケースが多かったのです。
友達からは『大手やけど、サラ金やろ?大丈夫か?』と。中には疎遠になった友達も。
今の妻と結婚する時。
義兄から大反対。
『そんな仕事してる奴、ヤクザと同じやろ!』とか。でも会社も大きくなりアコムやプロミスが東証一部上場した頃から風当たりは弱まりましたが。そんな差別を受ける業種にしたのは業界のモラルがるなかった取立て問題が昭和40年代後半から報道されたからです。
自業自得ってやつ( ̄▽ ̄)

だから高い給料を出さないと人が応募してきません。
そんな環境の中で私も『どこで働いてるの?』と聞かれる事が、とても嫌でした。

社名を言うと『あー。あの漫画の?大きいから大丈夫やね。』でも、その表情でわかるじゃないですか。
でも24年間勤続しました。
いろいろ勉強も経験もしました。
会社もイメージ向上に努めて何よりも人の育成にお金をかけたましたね。
だって。社員研修センターまで当時で10億円以上かけて建てたんです( ̄▽ ̄)
それを、また写真週刊誌が叩くわけですよ。
儲けすぎサラ金大手と。
差別されるとなにをしても気に入らんのでしょうね。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつです。

話は逸れましたが。
差別してる時の心は泥だらけになってる事を知って欲しいのです。差別してる時の自分の表情を見る事は出来ませんが。それは、何とも言いがたい表情なのです。
差別用語は重く荒い波動となり周りを嫌な思いにさせてしまいます。
少し前にヘイトスピーチ問題がありました。
私もユーチューブで動画を見ましたがヘイトスピーチをしてる当事者とは絶対に知り合いにはなりたくないと思いました。
拡声器でバンバンと罵り地域を回っている。
その言葉は突き刺さるのです。

差別を意識して行ってる時もありますが
無意識のうちに差別している時もあります。

差別されている側も差別している側のも
なんか寂しい😔
同じ神様の訳御霊を頂いている人間なのに。
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昭和40年代の大阪は自然色豊か(o^^o)

2017年12月14日 07時47分42秒 | わが半生
昭和40年代(o^^o)
大阪市内にも田んぼや川も自然色豊か(o^^o)
カエルやヘビも結構、見たり捕まえたり。
小学校低学年の時かなぁ。
カエルのお尻にストローを突っ込んで風船🎈
みたく膨らましてたやつ、いてました(^。^)

野良犬も多くて、路上交尾も(//∇//)
だから仔犬もね。可愛いので家に連れて帰ると
ホンマ怒られます。
犬に限らず、カエルやトカゲ、虫(o^^o)
男の子は家に持ち帰るんで、その度に母から血相変えて怒られる( ̄▽ ̄)

トンボや蝉も今の大阪市内では考えられないほど多くの種類がいました。
シオカラトンボやギンヤンマが多かったですけど時々、オニヤンマとか?オニヤンマは滅多に目にしないので子供心に必死で網を振り回したり(^^)

蝉はアブラゼミやツクツクボウシが多かったのですが、ミンミン蝉やクマゼミは貴重で捕まえたらは自慢(o^^o)
そんな頃でもカブトムシやクワガタムシはデパートや商店街に露店を出してるおじさんから買わないと手に入らない時代に母が『カブトムシ?お金だして買うの?バカらしい。お母さんの子供の頃に東京でも木を見たらカブトムシやクワガタムシがいたわよ。』は?東京で?
戦争。第二次世界大戦が始まる前の東京。
中目黒でもカブトムシやクワガタムシがいたそうです。だから『虫にお金なんか出せません!』

話は逸れましたが。大阪も大都会。
昭和40年代は自然色豊かな大阪だったのです。
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