脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

人生のシナリオには必ず神様からのリトマス紙が(^。^)

2017年12月02日 21時00分53秒 | 魂のトレーニング
損害賠償請求訴訟の係争中の私は最近になり闘う相手は会社ではなく自分自身であることに気づきました(>_<)
労災が認められ会社の安全配慮義務違反を理由として訴えました。
会社が悪い👎
だから障害者となったから金員をよこせ。と。
弁護士へ相談に行った時から訴訟提起準備中までは正直言って、100%そうでした。
しかし。
訴訟がスタートし回を重ねる事に心の何処かに何とも言えないモヤモヤが(>_<)
そんな心のモヤモヤの中で電通の過労死の他に数多くの過労死事件がメディアで報道されている時に、私は自分の裁判を自分の利益のみ考えてしまっていたから心が晴れないんだと気付いたのです。別にいい格好したいとかではありません。

今回の会社との係争は私がこの世に生まれてくる前に決めてきた人生のシナリオ?なのであれば。
天国で考えてきたシナリオならば『お金』ではないはず。魂は肉体に宿る前に人生のシナリオを考えてくるといいますd( ̄  ̄)

その考えの根幹は『愛』
訴訟提起前に示談交渉を弁護士は勧めてきた時。
弁護士事務所で示談には一切応じないと答えたのです。
理由は示談は私と会社側の利益だけですから。
そして訴訟をする志としてお金ではない!と。
私の障害を通じて会社は労働改善に取り組んで200名の社員が、この会社で働く幸せを感じでもらえる組織、そして社会の家族も幸せに。
適切な労働時間、適切な賃金支払い。
権限委譲もされ管理職も生き生き働ける。
そんな思いを込めて話したのです。
『ホンマか?ええかっこしたいから言うたんちゃうか?』と思われるでしょ?
ハイ(^。^)
その時は、本当にその通り。
心の隅には『お金💰』の影は根強くありました。
だって。人間ですもんね。(^。^)
でも先ずは言葉ありき。斎藤一人さんが申しておられました。
『別に最初は心に思ってなくてもいいだよ。先ずは言葉ありきでいいんだよ。』
この言葉は私の気持ちを楽にしてくれてました。

示談決裂。訴訟提起となり口頭弁論の回を重ねる毎に弁護士と電話で話すのですが、その都度、私の訴訟の真意はお金💰でない。会社の体質改善と社員の幸せです。と何度が言ってるうちに本当にそう思える自分へと変化して行ってるのです。
まだお金の風船は🎈小さく残っています。これ正直な気持ち(^。^)
でも?今回の口頭弁論が終わった後、弁護士へ電話で状況を伺いました。
もちろん、会社側の準備書面を読んでからです。
ぼちぼち和解という言葉が出てきました。
私は会社側の全く会社は悪くない!原告に全ての非がある。と言われ続け和解??と。
会社は今後も現在の社員が落度や大きなミスをしたら社員に責任を押し付けるであろうと。
そこを会社は会社にも非がある。認める代表者になってほしい。
社員も全てを押し付けられると??なるケースは双方にとって悲しいことです。
私は心から被告会社の社員の事、そして経営者に真の経営者となってほしい。
そんな話を弁護士にしてしまいました。
弁護士も『それが一番ですよね。』和解を裁判所から提案されるまでのタイミングで弁護士は私の気持ちを伝えてくれると。
電話を切った後
妙に私の心が軽くなりモヤモヤが晴れて行ったのです(^。^)
『これかぁ。』もしかしたら?
神様からのリトマス紙は?
お金が酸性なら愛がアルカリ性。
その後味は
とても新鮮で美味しかったです。
おそらくアルカリ性の味なのかなぁと思う今日この頃です。
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苦労も悲しみも、また人生楽しからずや(^。^)

2017年12月02日 20時30分59秒 | 魂のトレーニング
任天堂人生ゲーム(^。^)子供の頃、よく遊んだゲームでした(^。^)
双六ゲームなんですが仮装紙幣と株券や保険もあって小さな車のおもちゃでコマを進めるんデス。
サイコロの🎲代わりにはルーレット。
紙幣は何故か米ドルをデザインされてました。
三、四人で遊ぶのですが中々、これが本気モードになるゲーム。面白かったですね。
アナログゲーム。昭和の一押しです。(^。^)
それは、さておき。
人は生まれた瞬間から人生というゲームをスタートさせています。
魂の超リアル人生ゲーム(^。^)
ゲーム終了とともに病からの解放であったり、お金も家も全ての物という物質は置いてあの世へと戻ります。
人生。
学校教育を受け友達を作り社会に出ると仕事や人間関係、親からの自立。結婚や出産、財産を作ったり失ったり。出世したり転落したり。
病になったり離婚したり。
リストラされたり、左遷されたり。
様々な出来事や人間関係を通じて多くを学びますが学ばない人は?学ばなければ、どうなるのか?
を学んでいるんです。
苦しみ、悲しみも、また楽しからずや。
この心境をいつ味わう事が出来るのでしょうか。
苦労は苦労。悲しみは悲しみとして、その時は辛いのですが時が経つと
あの時があったから今があるんだ。
そう思っている人は少なくありません。
だから苦労も、悲しみもそれは、それでまた、楽しからずや(^。^)
そう思った時
魂は成長している実感なのかなぁと思う今日この頃です。
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人から愛されるためには長所を見ませんか?(^。^)

2017年12月02日 11時09分59秒 | 魂のトレーニング
欠点ばかり目がいく人もいれば?人の長所ばかり目がいく人もいます。(^。^)

やたらととんがってる人もいれば?穏やかで丸い人もいます。(^。^)

人を減点方式で判断する人もいれば?加点方式の人もいます。(^。^)

どちらがよい悪いをいうつもりはありません。

なんでかなぁ?って考えて見ました(^。^)
私なりの考えなので皆様は、また違った考えもおありかと思います。
だから?こんな考えもあるんだ。へぇ〜と思う程度で結構です。

人の短所、人を減点方式で判断する人は自分が周りから愛されてない気持ちを持っているのかなぁ。(>_<)
親や兄弟、友達から愛されてないと思う気持ちから、人の欠点を指摘したり、他人が出来てない事を指摘して減点方式を取る?

話は逸れるかも知れませんが。
いじめっ子の中で親から虐待されてる子供とか?親が側にいない。幼い頃、親に甘えさせて貰ってない子供が学校で同級生を虐めたりするって以前、何かで見聞きした事があります。
全てとは言いませんd( ̄  ̄)

この世で魂は愛を学びに来ています。
愛を与える学び。
愛を与えなかった場合の学び。
愛を頂いた学び。
愛を得られなかった学び。

人から愛されていると感じている人は心が満たされてるので人の長所に目が向けられるゆとりがあるのかなあ?
人を加点方式で判断する。事もできるのかなあ。

そして人を加点方式や長所に目が向けられる人は益々、周りから愛されていくのではないかなぁ。
人は必ず長所と短所があるわけです。
1人1人の見方は違っても必ず神様は、どんな人にも長所をお与えくださってます。

愛のプラス思考のスパイラルを身につければ
益々、魂は磨かれ
幸せになれるのなあと思う今日この頃です。
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