脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

友の肺がん・・お見舞いⅡ

2014年09月29日 09時50分05秒 | 日記
病室のカーテンを開けると問診を終えた友がベッドの上に座っていました。『久しぶり。』そう声をかけると下を向いていた友が顔を上げて『え?その身体で?遠いのに・・』二人は同じフロアの談話室に行きました。談話室に行くまで私は杖を杖をつき友は点滴のスタンドをころがしながら『来るの・・大変やったやろ?奥さんと?』妻が病院のロビーで待っていることは話さず・・『嫁の実家・・豊中やし・・嫁は実家におるよ。同じ阪急沿線やから嫁の実家から来た。』妻をロビーに待たせていることを言えば時間を気にして、ゆっくり話せない。そう気を遣わせては・・そう思ったのです。『それにしても・・乗り換えせなあかんし・・』気を使ってくれる友に『ま・・ええやん。俺は大丈夫!俺が来たくて来たんやから!!』二人で談話室のテーブルに腰かけ缶コーヒーを片手に雑談をした。お互いに頑張ってきた仕事の話ではありません。私は脳出血・・友は癌・・健康の大切さをしみじみと痛感しながら友は言いました。『咳が止まらなくて・・嫁にけしかけられて8月の夏休みに近くのクリニックに行ったら・・紹介状書くからって言われて・・ほんで、ここに来て何度も検査すんねん・・癌やって告知受けた時・・』暫く黙ってから『どれくらいですか?って聞いたら平均13か月・・それより早い人もいるし長い人もいるって言われたとき、どうしようもない気持ちが・・こみあがってきた。』表情は硬く寂しさも漂わせ『でも嫁と約束したよ。70歳まで生きるからって・・』友は宣告を受けてから傷病手当・保険のことなど奥さんが事務面に疎いらしく『全部、ノートに書いた・・生きるねんけど・・万一のこと考えて手続きのこと書いておいた。嫁は結婚して滅多に俺に涙は見せなかってんけど流石に宣告された日は泣きよった・・けど、その日以降は泣かないどころか、ずっと笑顔やねん・・』なんと気丈な奥様かと私は思いつつ生きる執着と同時に死の覚悟を同時に心の中に宿した友の妻への『愛』を感じました。抗がん剤治療で癌は小さくなっているらしく経過は良いようで『話、変わるけど・・元キャロルのジョニー大倉って知ってるやろ?』キャロルとは矢沢 栄吉らが結成した日本のロックンロールバンドで人気もあった。私達の世代で知っている人は多いはず。『そのジョニー大倉って肺がんで余命宣告されたドキュメントをテレビでやってるの以前に見てん』友は興味深く黙って聞いていた。『宣告受けた時は肺の中が大小いくつもあって肺の中、癌だらけやったけど今では結構、癌が消えて数カ所の影だけ。宣告時のレントゲンと今のレントゲンの写真がテレビに映ったけどホンマ、減って・・余命宣告以上に生きてるし車椅子やったけどギター弾いて歌ってたで!!』私は友に勇気づけたくて、そのドキュメンタリーを話したのです。ふっと・・友の顔を見ると目にうっすら涙が浮かんでいました。(よかった・・話して。)そう心に呟くと『ホンマ、気力やねんな。実は骨にもリンパにも転移してるんや・・でも頑張って生きていかな・・』友には社会人の娘さんと高校生の息子さんがいて経済的な心配もしていました。『保険会社から癌保険を含めた見直しを薦められてたんやけど・・まさか自分が・・でも会社の団体保険も入ってたから少しはマシで何とか・・正直、治療費だけでないし・・息子・・大学進学せんって言いよった。何かなぁ~』父親として複雑な思いを語りました。『障害年金・・癌の人も申請出来るんやで。知ってた?』私は思わず友に言いました。私自身が現在、障害厚生年金の申請準備中であるのですがネットでいろいろ調べていたのです。『申請の詳細はわからんけどネットで書いてあった。』そう言うと表情が少し明るくなって『もし・・貰えれば助かるし・・調べてみるよ。』かれこれ1時間ほど話をし、『そろそろ帰るよ・・身体、大事に。治療に専念してな』友はエレベーターの前まで送ってくれた。(来てよかった)エレベータが開きロビーを見ると人のいない待ち席の中に携帯を見ている妻がいた。受付で面会の札を返却して妻に近づくと『結構、長かったネ♪久しぶりやし当然か♪いっぱい話できた?』笑顔で話しかけてきた妻と病院のエントランスを後にしつつ『やっぱり本音で話せる友達ってええもんやな。見舞いに言って俺が見舞われた気分やった』その日は秋晴れの良い天気の日でした。
コメント
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