脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

この世は人生の修行

2014年09月07日 09時31分45秒 | スピリチュアル
53歳で脳出血で倒れた瞬間『死』を覚悟しました。幸い命はとりとめましたが後遺症が残り残る人生への希望を失ったのも事実です。入院中に『もし死んでたら俺はどうなってるんやろ・・』その疑問を強く感じるようになり、ふと寿命は魂の修行期間。そう思えてきた頃、気が付いたらスマホでネット検索することは魂であったり死後の世界って本当にあるのか・・また私自身も、そして友人の話で不思議な経験を思い出したりもして次から次へと疑問が頭をかけめぐるのです。死後の世界・・科学で証明できないことを信じることが出来ない人も多くいます。しかし、いくら科学が進歩したと言っても果たして、どれほど進歩したのでしょう。大宇宙の広さに比べれば砂漠の砂一粒程度の科学とし証明できたものであるような気がします。宇宙人や幽霊・怪現象・死後の世界・・ありえないという人は『ありえない証明』をどれだけできるのでしょう・・UFOを見たとか幽霊を見たとか言えば気のせいだと言い臨死体験は脳内から出る物質がそうさせているという・・それはさておき人生、年齢を重ねるごとに苦悩も増え生きることの大変さを味わうように思えてなりません。何かの本で輪廻転生・・あの世から、この世に生まれてくる時は喜びでなく修行に出る・・荒波に立ち向かう勇気をもって来ると書いてありました。身体は魂の入れ物・・その入れ物を駆使して様々な体験、苦楽を味わい経験したことを身体が動かなくなった時、あの世に持ち帰る・・・私の母が癌で無くなった時、お坊さんに『私、後厄なんです。母が受けてくれたのでしょうか・・』そう言うと『自分のことは基本は自分で解決しなければいけません。お母様は貴方の厄を受けて亡くなったのではありません。天寿を全うされたのです。人の厄年は大厄が良くしられてますが人生の大半は厄年です。それを乗り越えたら、ほんの少しのご褒美があるくらいですよ。』藁って、そう言われたことを思い出しました。男性40歳~42歳 女性19歳と33歳?厄は、それ以外に沢山やってくるのです。お坊さんが『これを見てください』差し出されたものを見ると、まるで200mのハードル競争ではありませんが人生というフィールドに厄というハードルが等間隔のようにありました。『人生は修行です。人として成長すれば成長に応じて高いハードルが、スグにやってきます。ハードルをこかさず乗り越えたら、やった!と思うでしょ?それが御褒美だと思ってみればいいのです。』お坊さんの説教に耳を立てて聞いたのは、この日が初めてでした。『成長した魂は死んであの世に行きます。けれどマダマダ不足だらけ・・また、この世に来て修行するんです。その繰り返しが大切なのですよ。』話はここまででした。40代で未だ若く仕事仕事・・欲に突っ走っていた私には心までは染み渡らず頭?理屈で、お坊さんの話を聞いていたにすぎません。病気になり人様の優しさに触れ『怒りの感情』の多くは、どうでも良いこと物欲も必要なものがあればいいと思えるように少しでもなれたのは病気という神様からの処方箋のおかげです。今、友が癌と戦い余命13か月の宣告を受けています。その友人は本当に真面目で家族思い・・お金にもクリーンで奥様一筋・・まだ53歳です。私の思いは・・あと20年、友に人生の修行をさせてやってほしい・・そう願うばかりです。年齢を重ねること・・それは苦行が増え魂の成長を促進することなのかも知れません。人の苦行は他人には見えずらく自分が不幸だと思えば思うほど他人が幸せに見えるものなのでしょう・・でも人それぞれ不幸を背負って生きている。不幸を乗り越えることが修行なのかも知れません。不幸の度合いは、その人の器であったり心の広さであったりで千差万別。そう思えば神様も試練のメニューが豊富に持っているんやなぁ・・そんな事を思う今日このごろです。
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