脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

友の肺がん・・元気な声

2014年09月10日 10時28分46秒 | 日記
昨日、夕方”pruuuu♪"・・携帯が鳴りました。画面に目をやると着信は肺がんを患い入院中のKからでした。『もしもし・・』電話に出ると『○○?突然、電話して・・今週末か来週早々に一旦、退院して自宅療養やねん。ほんで25日から、また抗がん剤治療や。』元気な声が私の耳に飛び込んできて少し安堵していると『医者って最悪の事態を考えて言うやろ?ホンマ、落ち込むで!!残る時間を家族で有意義に過ごしてくださいだと!!絶対に死んでたまるかッ!!って思った。』力強い言葉と声でありながらも口惜しさが感じられつつ、どこか寂しそうなところもありました。『もちろんや!!医者に診断がミスでしたと思わせたったらええねん!』そう言葉を返しながらも私自身も、どう答えてよいのやら・・K氏は戸惑った私を察知したのか『お見舞い・・別にええから、お前も体調、大変やろ?遠いし・・』Kの入院先に行くには乗り換えが多く私の後遺症を気遣ってに言葉でした。『何を水臭いこと言うんや・・例え東京でも沖縄でも会いにいくで!!』Kが、これまで転勤で東京や沖縄に行った経験があったせいか思わず、そう言うと『ホンマ・・ええから・・でも、ありがとう。』それまで勢いよく話していたKが急に声が小さく弱弱しくなったので『俺のことなんかええから・・とにかく治療に専念すんねんで!!』電話を切ったあと隣で聞いていた妻が『一旦、退院?25日から?そんな事、知らせてくるんは、お父さんに来て欲しいんやワ。私は、いつでもええから・・』後遺症もあってKの入院する病院へは私一人では極めて困難なので妻に付き添ってもらって行く予定にしていたのです。医師から家族との時間を有意義にと言われたKの気持ちは相当、ショックであったと思います。でも、余命宣告された者にしか心の内はわかりません。私もKに対し”わかるよ”とは、とても言えません。病気は違っても脳出血で死にかけ後遺症を残した私の気持ちは同じ病気になった人と、その家族にしか分からないし同情もして欲しくありません。癌になってしまった友人の気持ちを理解できないまでも、彼の居たたまれない気持ち、余命宣告を受け、癌に立ち向かう心に対し正直、どう受け止めればいいのか・・それも、わからないのが事実です。妻が『Kさんがお見舞い辞退したとき、お父さんKさんの家に電話したやん。それでも辞退したら互いに後悔はないと思う・・けど自宅に電話もしないでメールだけの、やりとりで互いに会えなかったら互いに後悔してたんちゃう?お父さんが自宅に電話して奥さんに病院名聞いたけど・・その時は教えてくれなかったけど・・その後Kさん自身から電話あって病院名教えてくれたやん。やっぱり来てほしいねんって。今日も、わざわざ退院日と再入院日を知らせてきたんやったら絶対に行かなアカン!!』黙って妻の言葉に耳を傾ける一方で(もし俺が余命宣告されたら、どんな気持ちになるんやろ?)そんな事を思うのは不謹慎かも知れません。友からの再びの電話は”心の叫び”なのでしょうか・・『今日な・・レントゲン撮ってん。癌・・また小さくなってた。』電話の向こうで元気に、そう言っていた友の言葉が頭の中でコダマしているのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする