脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

スピリチュアル・・魂の修行

2014年09月15日 11時16分13秒 | スピリチュアル
昨日、あるサイトを見ていると人は自己中心で物事を考え行動するが苦難を乗り越えるにしたがって反省し反省すれば感謝の心が芽生えるそうです。苦難から逃げたり遠ざかったりしても必ず、同様の苦難が来るようで乗り越えたら次なる高いハードルが準備されてるようです。苦労を重ねることで他人を思いやる気持ち、人のために生きて行こうという思いが芽生えるそうです。そして人間の苦しみの源は『欲』だそうで物欲・名誉・性欲・・これをほしいままにできるのは『お金』かもしれません。人間、身の丈・己の器を知ること、それにあった生活が一番の幸せで、幸せとは苦しみない生活ではないかと、このサイトを見て思うのでした。昨年、脳出血で倒れ、その直後は自身の不幸に嘆き苦しみました・・その苦しみから解放してくれたのは家族は勿論ですが看護師の皆さんの働く姿、私に投げかけてくれる言葉と温かみある声、作業療法士・言語療法士・理学療法士の先生方の声・・私は本当に、この人達が天使に見え心を打たれました。病院のベッドで寝ている間、これまでの人生を振り返ると、いかに我儘で自己中心的、傲慢さを思い出す度に心のいたるところにを針で刺されるような思いをしました・・この年齢・・いや病気にならないと気付かない愚かさ・・人は周囲に支えられてしか生きていけないことを痛感しました。親も亡くしていますが両親に孝行することなく会社でも俺様状態・・娘には説教ばかり・・他人様の言うことに耳も傾けず、自分一人で頑張ってきたと勝手に思い込んでいた・・半年の入院で本当に思い知らされ昨日、あらためて、あるサイトにたどり着き、目に再び飛び込んできた文章・・この世は魂の修行、やがて老いた身体を脱ぎ去り帰るところに帰る。帰るときに持っていけるものは、この世で経験したことだけ。あの世がある?ない?そんなことは、今、論じるつもりはありません。ただ病気になって思ったことは、なんとなくですが修行させられてる・・生かされてるという実感です。反省と感謝が心のどこからか少しずつにじみ出るようになりました。言葉の使い方にも変化が出ています。物への執着や拘りは無いとは言いませんがきわめて減りました。必要な物があればいい。ブランド品など全く欲しいとも思いません。また車を運転できるのなら軽自動車で十分。会社にも籍はまだありますが役職など全く意識なく以前の私では考えられない価値観になりました。すると楽になり喜怒哀楽の怒も減りました。心、穏やかに暮らせるようになると楽です。肩肘はらず素直に毎日が過ごせ、時々、美味しいものが頂ければ十分・・どんな境地でいられるか?いつも欲望でぎらぎらは・・??でしかありません。魂の修行・・器を大きくしていくことかな?そんなことを思う今日このごろです。
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