縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

8月、『敵こそ、我が友』を見て

2008-08-14 00:07:47 | 芸術をひとかけら
 目的は手段を正当化するのか。
 国家は国民を裏切らないのか。
 人間は正しい存在なのか。

 この映画を見ると、いずれの質問にも自信を持って答えられなくなってしまう。人間の弱さ、そしてその一方での残虐さ、更には国家権力の恐ろしさを再認識させられた映画だった。

 『敵こそ、我が友』。これは、敵の敵は味方であり、たとえそれが以前は自分の敵だったとしても、どんなに残酷、極悪非道だったとしても、利用できるものは利用しよう、という国家のあり方を言ったものである。
 クラウス・バルビーは、第二次大戦中のナチス占領下のフランス、リヨンでゲシュタポを指揮した男である。巧みに人を操っては密告などで情報収集を行い、多くのユダヤ人やレジスタンスを逮捕、拷問しては収容所に送り、“リヨンの虐殺者”と恐れられた。
 戦後、当然の如く裁かれ、その報いを受けたかというと事実は違う。アメリカの庇護の下、フランスへの引き渡しを免れ、ぬくぬくと暮らしていたのである。バルビーの知識・ノウハウ、そして旧ナチスの情報網をアメリカは必要としたのだった。彼はアウグスブルクのCIC(アメリカ陸軍情報局)で工作員として働いていたのである。ソ連やフランス共産党に関する情報収集や、他の情報部員の教育にあたったという。
 そして、フランスの要求に抗しきれないと判断したところで、アメリカは彼をバチカン経由(協力者に極右の神父がいたのである)で南米はボリビアに逃がしたのであった。ご丁寧に偽名から偽のパスポートまで用意し、おそらく当座の資金も渡したのであろう。更に驚くのは、バルビーだけが特別扱いだったのではなく、相当数の人間が同じように南米に渡ったということである。
 その後彼らは南米でナチス再興を目指して軍部に接近し、アメリカのCIAとともに軍事クーデター扇動に一役買うことになる。第二次大戦の実戦経験を持つ彼らは南米の軍部には貴重な存在であったし、CIAにとっても頼もしいパートナー、プロ集団であった。

 最初の問いに戻ろう。目的は手段を正当化する、つまり、戦争に勝つためには何をやっても良い、反抗するものは皆殺しにしても構わないのだろうか。
同様に、国家は国民を裏切ってはいけないのだろうか。例えば、一人の人間が将来多くの人々を救うと考えられるとしたとき、国家が彼を、彼がどんな人間であろうと、守ることは否定されるのだろうか。
 人間は常に正しいことを行う存在なのか。戦争という極限状況において、あるいは国の制度自体が間違っていたとき、それでも人間は正義を行うものなのだろうか。

 理想主義的に言えば、最初の二つはNOであり、最後の質問はYESである。が、現実はどうだろう。
 僕はアメリカのやったことが正しいことだとは思わない。しかし、これが現実であり、そしてそれは今でも起きているのである。
 共産主義との戦いのためであれば、狂信的なイスラム主義者であろうと独裁者であろうと支援、利用したアメリカ。資源のためであれば、人権を抑圧している国であろうが気にせず支援する中国。そして、今まさにグルジアに侵攻したロシア。

 正義とはなんだろう。我々は何をなすべきだろう。そんなことを考える良いきっかけになる映画だった。

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