縁側でちょっと一杯 in 別府

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シンガポールで考えたこと(1) ~ 「イメージ・オブ・シンガポール」にて

2009-01-17 15:20:48 | 海外で今
 セントーサ島に行った際、「イメージ・オブ・シンガポール」というアトラクションに入った。シンガポールの歴史、文化、民族の紹介をする施設である。二人ともシンガポールのことはよく知らないので、ちょっと勉強を、と思ったのである。
 シンガポールの場合、そもそも歴史といっても短いし、“シンガポール民族”なるものはいない。民族構成としては華人系が3/4と大部分を占め、あとはマレー系、インド系と続く。よって文化の紹介といっても、シンガポール固有の文化ではなく、各民族の文化である。シンガポールでは各民族や文化が完全に融合、同化はしておらず、今でも混在、併存した状態にある。その意味で、シンガポールは人種のるつぼ、メルティング・ポットというより、サラダ・ボウルと言われる。
 だからこそ、シンガポール国民としてのアイデンティティ確立のための一助として、シンガポールは各民族が協力して作り上げてきたことを訴える、こうした施設が作られたのであろう。

 が、この「イメージ・オブ・シンガポール」、日本人にはちょいと居心地が悪い。

 話はそれるが、シンガポールはイギリスから独立したのではなく、マレーシアから独立したのである。1959年にイギリスから自治権を獲得したシンガポールは、1963年マレーシア連邦に加入した。しかし、マレー人を優遇するマレーシア政府と対立し、1965年、マレーシアから分離、独立したのであった。当時よりシンガポールの政治・経済の実権は華人が握っている。そんなこんなで、おそらくマレー人は華人のことをよく思っていないだろう。

 こうした中、国を一つにするには共通の敵を作るのが良い。それが日本なのである。
 ここの展示によると、シンガポールの歴史上最大の試練は日本との戦い、だそうである。僕には、第二次世界大戦で日本軍がシンガポールやマレーシアでイギリス軍と戦ったとの認識はある。が、シンガポール軍と戦ったとの意識はなかった。もっとも直接の戦闘というよりは、日本占領下の統治の方が問題は大きかったようだ。当時、日本軍は中国と戦っており、日本軍にしてみればシンガポールの華人は敵の仲間、シンガポールの華人にしてみれば日本軍は仲間を殺す悪者、という構図だったのである。日本軍による華人の弾圧、華人のゲリラ的反抗、ともに激しかったようだ。

 シンガポールの試練・日本との戦い として、日本軍の中国での戦闘の映像が流されていた(注:シンガポールではなく、南京など中国での映像である。あの、ここはイメージ・オブ・”シンガポール”のはずでは??)。炸裂する爆弾、砲撃で破壊される建物、そして逃げ惑う人々。最悪なのは、大きな穴を掘って多数の死体を埋めるシーンに続き、日本兵が皆万歳をして喜ぶシーンが続くところ。さすがにこれは編集のし過ぎだろう。悪意すら感じてしまう。ここで日本語で話そうものなら、「おまえは日本人か」と言って、近くの人に殴られそうな雰囲気だった。

 が、皆さまご安心を。僕は誰にも殴られなかったし、シンガポール滞在中、取り立てて危険な目に合うことはなかった。シンガポールの対日感情は悪くはないし、ここは極めて安全な国だから。
 次回はシンガポールの政治について考えてみたい。

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