縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

アンネが信じたもの

2006-09-10 23:56:00 | 最近思うこと
 先月、ドイツのノーベル賞作家 ギュンター・グラスが、かつてナチス親衛隊に所属していたことを公表して話題になった。(因みに、ナチス親衛隊というのはヒトラーに忠誠を誓った集団であり、士気の高さや装備などの点においてエリートとされた軍隊である。一般の軍、国防軍とは区別されていた。)平和運動にも積極的に関与し、ドイツの良心とも言われるギュンター・グラスが、ナチスに、それもアウシュビッツなどホロコーストを進めた、あの親衛隊に属していたというので議論を呼んでいた。
 僕は彼のことはよく知らない。唯一、彼の小説を映画にした『ブリキの太鼓』を見たことがある程度だ。自ら成長を止めた少年とヒトラーを選んだドイツとを重ね合わせたというのが映画のモチーフだったと記憶している。ドイツらしく(?)思慮深い、まあ早い話、全体に暗く、あまり面白い映画ではなかった。

 しかし、彼はなぜもっと早くにこの事実を公表しなかったのだろう。人間誰しも過ちを犯すものだし、まして彼が親衛隊に加わったのは十代の頃である。当時の社会を考えれば、あまり責められることではないだろう。大切なのは過ちに気付くことであり、そして、気付いた後、如何に行動するかではないか。

 『アンネの日記』を読まれた方は多いと思う。僕は読んだことはないが、2度、今は博物館になっている“アンネ・フランクの家”を訪れたことがある。

 アンネ・フランクはドイツ系ユダヤ人であり、第二次大戦中、迫害を逃れオランダはアムステルダムへと移住した。が、そこにもナチスのユダヤ人狩りの手が及ぶようになり、1942年7月からアンネ一家はここ“アンネ・フランクの家”での篭城生活を余儀なくされた。事務所の3,4階、外界から隔絶された狭いスペースである。本箱の裏が出入り口になっており、忍者屋敷の趣きがあるが、現実はそんな生易しいものではない。それは生と死とを分けるためのカモフラージュである。見つかれば命がない。事実、ここにはアンネの家族など8人が潜んでいたが、ナチスに捕らえられて皆収容所送りとなり、戦後助かったのはアンネの父親オットーだけだった。アンネはガス室送りにこそならなかったが、収容所の劣悪な環境の中、チフスで死んだという。これが現実である。

 “アンネ・フランクの家”は1999年に増改築された。従来の建物を新しい建物・装備で覆う形となり、展示はビジュアルでおしゃれになったが、若干篭城生活の臨場感が薄れてしまった気がする。僕が初めて訪れた時はまだ当時の建物だけで、きわめて素朴であったし、8人が狭い中ひしめきあって暮らしていた、その生活感がひしひしと伝わってきた。個人的には昔の方が好きだ。

 さて、その中で強く印象に残った展示がある。『アンネの日記』の一節である。多少記憶があやふやだが、確かこんな内容だったと思う。“In spite of everything, I believe people are really good in heart.” 意訳すれば、「こんなに厳しい、残酷な運命を強いられているけど、私は人間って心の中はみな良い人だと思うの。」といったところだろう。
 これを見て本当に涙が出てきた。何も悪いことをしたわけではないのに、狭い隠れ家から外に出られない、死と隣り合わせの生活を余儀なくされる。不条理極まりない。それなのに、なぜこんなことが言えるのだろうと胸が熱くなった。

 明日は9月11日。未だテロや対立・抗争に終りが見えない。残念ながら“people are really good”かどうか自信の持てない世の中だが、だからこそ、僕もそう信じたい。

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2 コメント

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映画で見ました。 (にゃんこままの部屋)
2006-09-11 09:50:23
ミリー・パーキンス主演の映画で「アンネの日記」を観ました。

最初は、オードリー・ヘップバーンにオファーがあったそうですが、自分自身の少女時代と酷似しているので、演じるのが辛く断ったそうですね。



「光の少女アンネ」とも言われ、どんなに過酷な環境でも、明るく快活な少女だったと言われます。

もし生かされるならば、新聞記者になりたいという願いも持っていたそうです。



世界中の人たちがアンネのように「人間は皆、本当はいい人なんだ。」と信じられるようになって欲しいと思います。
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ほんとうに (えんちゃん)
2006-09-11 22:41:09
そんな世の中になると良いですね。

でも、なんかこの言い方、ちょっと傍観者的かな。



まあ、大したことはできないけど、他人(ひと)を励ましたり、元気付けたり、あたたかい気持ちにできたりしたら良いな、と思います。



世の中を変えよう!と思うのは無謀な気がしますが、自分を変える、そして周りを変えて行くのは、少しならできそうな気がします。
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