縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

三木たかし、青函連絡船、そして津軽海峡

2009-05-11 23:08:19 | 最近思うこと
 作曲家の三木たかし氏が亡くなった。下咽頭癌。まだ64歳の若さである。

 僕らの世代では作曲家としてより、「スター誕生!」の審査員としての印象が強い。山口百恵や中森明菜など多くのアイドルを輩出したオーディション番組である。辛辣な審査員が多い中、彼はまだやさしかった気がする。
 新聞記事を見て、「津軽海峡・冬景色」や「つぐない」が彼の曲であることを知った。そういえば、先日亡くなった清水由貴子も「スター誕生!」の出身、彼女のデビュー曲は彼の作品だそうだ。彼女の死は、事情は何にせよ、氏には堪えたと思う。「命を粗末にするな。世の中、生きたいのに生きられない奴がごまんといるんだ。」、と。
 氏のご冥福を祈る。

 先日、青函連絡船に乗った。えっ、青函連絡船はとうの昔に廃止になったのでは、って。その通り。青函連絡船は飛行機との競争に敗れて次第に利用者が減り、そして1988年、青函トンネルの開通とともに終航となっている。
 そう、僕が乗ったのは、今は函館で記念館となっている「摩周丸」だ。ただ、摩周丸もそうだが、最後まで運航していた八甲田丸や十和田丸に、僕は本当に乗ったことがある。中・高の修学旅行や学生時代の帰省など、函館・青森を4、5往復したからである。東京-札幌は、東北新幹線のなかった頃は夜行に乗って1日半、新幹線が出来てからは朝出て辛うじて夜に着いた。
 上野から東北に向かう夜行、カップ酒の酒盛り、どこか温かい東北訛り、窓の外は雨、いや、みぞれのようだ。隙間風が冷たい。あぁ、まるで「津軽海峡・冬景色」の世界。早朝青森に着き、立ち食いそばであったまる。
 確かに風情はあるが、やはり飛行機の速さには敵わない。

 実際に青函連絡船で、つまり津軽海峡で「津軽海峡・冬景色」を歌ったことがある。別に恋に破れて北に帰るというシチュエーションではない。たしか季節は初夏、中学の修学旅行である。甲板の上、皆で「ご覧あれが竜飛岬、北のはずれと~♪」とおもしろがって合唱した(注:通常、竜飛岬は見えません、悪しからず)。

 ところで、昨日の深夜、NHKで忌野清志郎の特番、追悼番組を見た。ライブの映像が多かったが、RCサクセションはあまり聞いたことがなかったので新鮮だった。最近の歌と違い、清志郎の歌は同じ言葉やリズムの繰り返しが多い。悪く言えば単調な曲の作りである。が、しかし、彼の歌にはそれを聴かせる力がある。飽きさせない。テレビではなく、一度生で彼のステージを見たかったな、と思った。
 彼は58歳。早すぎる死。同じく癌である。あっという間に駆け抜けた、しかし皆に鮮烈な印象を残した人生であった。

 NHKといえば、今年の紅白、石川さゆりは追悼の意味で「津軽海峡・冬景色」を歌うのだろうか。といっても、既に紅白で「津軽海峡~」を5回歌っているらしく、追悼も何も関係ないようであるが。であれば、個人的には「天城越え」の方が良い。
 えっ、「天城越え」はもう6回歌っているって。どうもスミマセン。

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