この本は、舞踊家、志賀山一流十世家元、中村万作こと原田弘夫の伝記である。あの当時(第二次大戦前後)の日本にこんなスケールの大きな人間がいたんだという驚きと感動、それに戦時下のヨーロッパの状況がわかり、大変おもしろい本だった。
彼は、能、舞楽といった日本古来の舞や、日本舞踊、モダンバレエなど、多くの舞踊を究め、自らの舞を確立した。「ぶるな、気取るな、はったるな。舞は神への供物である。匂う光のように舞え」というのが、志賀山流の極意であり、彼の舞は、まさにそんな舞だという。
日本では無名だったものの、27歳の彼はパリで踊るチャンスを得た。芸術の都、パリ。しかし、時は1939年、今まさに第二次大戦の火蓋が切られようとしている。そんな中で彼の踊りは瞬く間にパリの人々を魅了し、その人々の興奮と感動の渦は、ついにはフランス政府から文化有功勲章を授与されるまでに至った。そして開戦。ナチスドイツによるパリ占領。彼はナチスを嫌い、反ナチのドイツ将校と付き合い、またレジスタンスのフランス人学生を助けたりもした。ナチスに利用されることを上手く避けながらなんとか戦争を乗り切り、モスクワ、満州を経て、漸く日本へと戻った。
このほか、藤田嗣治や近衛秀磨、そしてパトロンであった製薬会社サンドのオーナー、エドゥアール・サンドとの交流も描かれている。
話の筋はこんなところである。題名の薔薇色のイストワールとは、前線で戦うドイツ軍兵士の慰問に訪れた際、彼の舞が戦意高揚どころか逆に兵士たちに望郷の念や生きることへの執着を思い出させてしまい、あなたの踊りは薔薇色のイストワール、つまり妖しく官能的なドラマだと言われたという出来事に由る。
東洋の得体の知れない若者の踊りを評価し感動し、更には戦意を失くしてしまうほど深いところで心が揺さぶられる。しかし、これが日本だったらどうだろう。人々がそこまで芸術に感動することがあるだろうか。次週は今回書けなかった当時のヨーロッパの状況、それにヨーロッパと芸術について書くことにする。
彼は、能、舞楽といった日本古来の舞や、日本舞踊、モダンバレエなど、多くの舞踊を究め、自らの舞を確立した。「ぶるな、気取るな、はったるな。舞は神への供物である。匂う光のように舞え」というのが、志賀山流の極意であり、彼の舞は、まさにそんな舞だという。
日本では無名だったものの、27歳の彼はパリで踊るチャンスを得た。芸術の都、パリ。しかし、時は1939年、今まさに第二次大戦の火蓋が切られようとしている。そんな中で彼の踊りは瞬く間にパリの人々を魅了し、その人々の興奮と感動の渦は、ついにはフランス政府から文化有功勲章を授与されるまでに至った。そして開戦。ナチスドイツによるパリ占領。彼はナチスを嫌い、反ナチのドイツ将校と付き合い、またレジスタンスのフランス人学生を助けたりもした。ナチスに利用されることを上手く避けながらなんとか戦争を乗り切り、モスクワ、満州を経て、漸く日本へと戻った。
このほか、藤田嗣治や近衛秀磨、そしてパトロンであった製薬会社サンドのオーナー、エドゥアール・サンドとの交流も描かれている。
話の筋はこんなところである。題名の薔薇色のイストワールとは、前線で戦うドイツ軍兵士の慰問に訪れた際、彼の舞が戦意高揚どころか逆に兵士たちに望郷の念や生きることへの執着を思い出させてしまい、あなたの踊りは薔薇色のイストワール、つまり妖しく官能的なドラマだと言われたという出来事に由る。
東洋の得体の知れない若者の踊りを評価し感動し、更には戦意を失くしてしまうほど深いところで心が揺さぶられる。しかし、これが日本だったらどうだろう。人々がそこまで芸術に感動することがあるだろうか。次週は今回書けなかった当時のヨーロッパの状況、それにヨーロッパと芸術について書くことにする。