サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

信じる力

2009-05-24 18:36:01 | Weblog
 ある雑誌にクエートで10年間医者として勤務していたという女性の話が載っていた。
 クエートと今の日本が何が違うって、生きる気概が違うらしい。そして日本に帰ってきて驚いたのは、冷たい医師と看護師が多いということだったらしい!つまり、笑いのない医師と看護師というような。

 その根本的な違いを考えてみると、クエートではアラーの神を心から信じている人がほとんどで、命は神から与えられたものと信じている。だから、医者という職業の人間に「あと寿命が~です」なんていわれても、それがどうしたとはいわないけれど、それほど落ち込まないのだそう。今の日本の場合は、多くが余命を医者に告げられると、ひどければ自らのお葬式の予定を立て始めてしまうのだとか…医者だってたかが人間なのに、偏差値教育に洗脳されて人間の医者が偉いと言うような幻想がはびこり、その医者の言うことを鵜呑みにしてしまう。やっぱりどこかおかしい。お医者さんでも、人間以上の力を信じる人なら、そのクエート的お医者さんに近いかもしれない。とにかく、日本の医療現場に問題があるとしたら、人間を超越した力を信じないことに問題があるように思う。
 
 とにかく、アラブの人はアラーの神が守ってくれているのだから、死ぬということは最後まで自分や周囲の人間が決めること自体が信じられないことなんだと思う。決して医学の知識がないというわけではないそう。
 で、その信じる力が、難病を克服したりすることにもなるそう。

 これを読んでブラジルにもその精神に近いものがあると思った。少なくても私がお付き合いしているブラジル人たちはしっかりと信仰を持っていて、まさに、アラーの神ではないけれど、生かされているということを信じて生きているように見える。これは、すごい重要なことだと思う。この信じる力があって、初めて人間は幸せを知ることができると思う。そして、やっぱり、人としても尊敬できる人物に近づけると思う。実際、ブラジルの多くの人には尊敬に値する、私には、今の多くの日本人にはかけているものがあって、それこそ生きる気概、もっといえば信じる力が強いということにつきる気がする。
 お医者さんにしたって、あくまでも人の病気を支えるサポーターと言う感じで、友人のように一生懸命相手を知ろうと努めて会話してくれるし、多分、死ぬ間際まで笑いながら一緒に過ごしてくれそうな雰囲気がある。冷たい偉そうな医者は通用しない世界だと思う。

 考えてみれば、病院という言葉がよくないのかも。日本語をよく知らないけれど、イメージからすると、病院という言葉は、病(病気)の館という気がしなくもない。そんな病気が集まるところでは、そこで働く人だって冷たくなりかねない。ホスピタルといえば、例えばブラジルはホスピタリティーをものすごく重要視する国。つまり、おもてなしとか歓待とか、相手を尊重するといった精神の意味もある(日本人にも大いにある精神だと思う。自分を表に出さず人を立てるというか・・・)。そう考えると、ブラジルのHOSPITAL(オスピタルと読まれる)もおもてなしの館みたいな感じがして、それだったら医者が楽しく会話してくれるというのも納得したり。
 
 いずれにしても、机の上だけで学んで得られるものではないかもしれないけれど、やっぱり人間である以上、学んだり、教化されないと信じる力は養えない気もするような・・・さらにいえば子どものころから両親をはじめとする家族や社会の身近な人々の生き様が需要であるかもしれない。

↑バナナ泥棒ができそうな高さに実がついている。