↑絵に描けそうなメルヘンチックなデザインの花。
同じ枝というか株に咲いている花なのに、2色の花が咲く植物を何種類か見かけるサンパウロ。
雄花と雌花の違いなのか、実は、がくと花びらの違いとか、はたまた気まぐれで2色になっているのかは謎のまま。
↑絵に描けそうなメルヘンチックなデザインの花。
同じ枝というか株に咲いている花なのに、2色の花が咲く植物を何種類か見かけるサンパウロ。
雄花と雌花の違いなのか、実は、がくと花びらの違いとか、はたまた気まぐれで2色になっているのかは謎のまま。
偶然かもしれないけれど、酒売り場の店頭には、案外と見かけなかったコリンチャンス(サンパウロの庶民派人気サッカークラブ)のラベルが付いたカシャッサ。
よく売れるからか、それとも、店主の敵様のラベルの酒などは置かないのが信条か・・・は分からないけれど、ようやくカシャッサの卸売り店の倉庫で見かけた、コリンチャンス銘柄のカシャッサ。
年末、トヨタカップのサッカー選手と一緒に飛行機で日本に飛ぶのかなあ。
「登録商標は4000から5000種類というブラジルの酒カシャッサ」
少しばかり、「ジャックと豆の木」を思い知らされる小豆の成長ぶり。
どんどんツルを巻きつけながら上へ上へと成長している。
今さらながら、マメ科がツルを巻きながらぐんぐん成長することを思い知らされ、ジャックと豆の木の物語が生まれたのも分かるような気がする。
一本の茎から出た花なのに、白い花と黄色い花が咲いている。
理科でもマメ科の話はよく出てきたけれど、サンパウロの気候では特に簡単に栽培、観察、実験、そして食べがいのある植物だとも判明する。
陸地で国境を接する人々は、何を基準に何人と規定するのかは、海に囲まれた土地にしか縁のなかった者にとっては、未知なテーマでもある。
言葉や習慣か、はたまた顔つきか・・・
ウクライナ女性の顔の美しさが個人的には好みで、それこそ陸地に国境があるだけに色んな血が入っているだろうし、色んな顔立ちがあるけれど、ウクライナの中でも、白人的な彫りの深さと、アジア人の柔らかさを感じさせるような肌の質感、そして眼光がエキゾチックに思う。
そんなウクライナ人のような顔立ちをしている、ポーランド系ブラジル人母と日系ブラジル人父の少女がいる。まさしく思い描くのに近いウクライナ顔のブラジル人で、ついつい魅せられてしまう。
水が入っていた5Lのプラスチックボトルに、蛇口の部品を取り付けてお酒を入れて再利用していた。意外と水漏れしないものらしい。
結果的には無いところの必要性から生まれたプチ創造的なリサイクルボトル。
右も左も、待ち時間に縫い物をする保護者たち。
本を読むよりは確かに頭は休まるけれど、縫えない人は、なんだか恥ずかしいような肩身が狭いような。
ヨーロッパでも日本でも、なんとなく得体の知れない怪しいイメージが付きまとうものらしい。
ドイツの空港でブラジル人と称する人に出会った人が、そのブラジル人が怪しげな動きだったと話していた。
どんなブラジル人だったかは知る由もないけれど、初めてのドイツ旅行で、言葉も空気も違うし、単に迷っていて挙動不審に思われてしまったのかもしれない。
そのドイツでは、若い世代となると、一般的には昔ドイツ人が移民したという認識が薄いらしい。日本でも日系人がいる事くらいは知られていても、実のところ、その実態はほとんど知られていないのと大差が無い。もちろん、地域差にもよるかもしれない。日本でも九州や沖縄ならブラジルにいる日本人をもっと近く感じられているような気もする。ドイツも地方によってブラジルにいるドイツ人の存在が身近に感じる人が多い土地があるかもしれない。
ブラジルでドイツ移民の子孫が伝統文化を大切に、ドイツの民族舞踊を一生懸命に踊る姿を見ていると、もしかしてご先祖様を訪ねてドイツの空港に降り立ったドイツ系ブラジル人だったかもしれない、と、ふとそんなことが頭をよぎり、そんな人が怪しまれたのだとしたらなんとも不憫な気もしたり・・・
ギリシアの踊り。海洋民族っぽい動き↓
サンパウロでも、時々、ほんとうに時々見かけるきれいなネット模様をしたおいしいメロン。
フェイラ(露天市)の試食でおいしいメロンがあり、ちょっと小さいけれど、値段もネットメロンの4分の一くらいだったので、思わず割引もあるので2個購入。
家でメロンにかかったネットを取り外すと、メロンのネット模様は完璧ではなく、ネットになり損ねたような柄だった。
香りと味はよかったけれど、夕張メロンみたいなきれいな網目模様を作るのは結構難しいのだろうと改めて感じ入る。
2ヵ月ぶりくらいのまとまった雨で空気がすっきりしたサンパウロ。
ホースの水では間に合わず、おとといまで、枯れ葉一直線だった公園の葉っぱはよみがえったかなあ。
せっかくきれいに咲いたバラは乾燥には強いらしく、雨では散ってしまった。
政治家も、
ピザ屋さんも、
「私がやります」
「私がやってます」
な風に自分の顔写真で前面アピール。
誰が何をするかは見えにくい社会、時にはいい加減な仕事でとんでもない目に遭うことが日常生活で発生するだけに、自分写真が信用をアピールすることになるのかも知れない。