サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

日系4世の女の子に日本語を教えようとしたら…

2009-05-01 17:07:51 | Weblog
 おととい、幼稚園のお友達の日系4世(お父さんはブラジル人)のラリサちゃんを家で預かった。おばあちゃんが用事があったので、午後に6時間くらいずっと家で長男と遊んでいた。

 以前から、子どもに日本語を勉強させるため、仲間がいた方がよいと思い、ラリサちゃんに一緒に勉強してもらおうと考えていた。日本ではちょうど2人とも一年生だし、いい時期だと思っていた。ラリサのおばあちゃんは2世で日本語も話せるし、日本食も作れるし、ラリサはおばあちゃんを「ばあちゃん」と呼ぶ。

 しかし、初日にしてギブアップ。まず、遊ぶ方が楽しいわけで、2人でなんだかんだ楽しそうに遊びが展開している。「日本語を勉強する?」とポルトガル語で聞くと、「~をした後で」と答えるばかり。

 長男は日ごろ、幼稚園以外では友達と遊ぶ時間が少ないように感じるので、楽しく遊んでいてもらった方が助かるなあという心境に。
 
 観察していると、ラリサはまだ日本語のひらがなやカタカナさえ読めないわけで、頭の回線もすでにポルトガル語のベースが完成しつつある。生まれた時から私と長時間過ごしてきた長男は、とりあえず、日本式に日本のやり方で教えて学習することが可能な状態にあり、今のところ一年生レベルの日本語を教えている(ちなみに、漢字より、平仮名をきれいに書くことの方が難しい)。幼稚園で困っているわけではないようだけど、ポルトガル語のレベル(語彙や表現法)が劣っていることの方が気になるところ(でも致し方なく)。

 ラリサは6歳で日本の文化になじみはあるけれど、言語に関しては、どうも、すでに外国語を話す子どもへの日本語教育の技術が必要なのではないかと感じた。もっとも、日本の学校にでも強制的に入れたら、順応できるかもしれないけれど、私一人で、対息子とラリサを同時に日本語を学ばせるのは、どうも自らの力量の無さを感じてしまった。
 それになんといっても、遊ぶのが楽しい年頃で、本当に疲れることなく次々と活動が展開している様子を見ていると、半ば強制的な日本語教育はしない方がいいのではないかとさえ思うことも。
 言語の発達、人間の発達って小さいころはある種の法則があると思うけれど、環境がものをいう言語習得は不思議な世界だなあっと。さらに使う言葉によって心や感じ方まで変化するなどといわれたら、もうチンプンカンプン!

市内の公園で撮影