サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

計算の仕方

2014-07-30 07:33:22 | Weblog

 払った記憶のない余分の1レアル。
 18レアルのものを買って18レアルしか払っていないのに、19レアルを払ったことになって1レアルのお釣りを受け取る。
 払ったのに払ってないと言われることはほとんどない。
 多いか少ないかはともかく、お釣りが間違われるという事はよくある話で、総合すると、多分、+-0。

自然のままが美の秘訣

2014-07-27 08:25:43 | Weblog


 バラは美しさの代名詞。
 霧でツユに濡れた姿もうつくしい。
 コンクリートの合間で、独り凛と生きる野草もうつくしい。
 自然のままの美しさがいい。
 大手化粧品会社に勤める人が説いたという美の秘訣。
 何も塗らないこと。
 天然のヘチマ水くらいを化粧水に。
「美容と健康とエコなパパイヤの食べ方」


お仏壇感覚のイコン

2014-07-26 05:42:00 | Weblog


 東方正教会の文化圏のご両親が、ブラジルでも子どもたちに遺した信仰の証。
 高齢の日本人移民の家庭にはお仏壇がある方が珍しくないけれど、東方正教会といえば、やっぱりイコン(聖像)。
 マダムのイコンコレクション↓

イカの塩辛

2014-07-25 06:03:07 | Weblog

 吉田兼好じゃないけど、友達にしておくとよいものブラジルバージョンと言えば…
 神父様とお医者様なんて聞いたこともあるけれど、
 原料から、いや栽培、捕獲から始まって、自分の食べたいものとか故郷の料理を何でも作ってしまえる技能者は心強い。
 イカの塩辛まで作ってしまえるなんていうのは、もう海外生活の達人。

レトロなペルーの日本移民

2014-07-24 06:50:46 | Weblog

 第二次世界大戦前、ブラジルのサンパウロで機械による大量生産の縫製、既成服産業で一財築いたのは、ユダヤ移民やレバノン、シリアを中心としたアラブ移民だった。戦後、過去30年以上の間では、韓国移民が参入したと言える状況になっている。
 それと同じ分野で目立った足跡を残したのが、戦前にペルーに移民した日本人移民だった。以前から聞いてはいたけれど、それを証明してくれるレトロな美しい写真数点が。綺麗に整って並んだ生地や小間物が印象的。

 第二次世界大戦によって、ことごとくその功績が火消しされたようだったけれど、過去にペルーで日系大統領が誕生したのにも、こうしたがんばった日本移民の存在があったんだろうな、と今さらながら。
 それまで高い仕立服しかなかったペルーで、大量生産で安く、高品質の服を生産したことで、庶民からは圧倒的に支持されたとのこと。過去の仕立て服業界を牛耳っていた人たちからはひどい脅しもあったそうだけれど、やっぱり多くの人の支持強しだったということかな。