サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

サンパウロで暮らす日本人女性

2009-05-18 17:41:29 | Weblog
 何を持って日本人と定義しているかといえば、例えば、日本語を母語、とする人とすれば、ブラジルには数十万人の該当者がいそうだ。

 とにかく、ブラジルには日本人女性(子ども時代を日本で過ごしてからブラジルに来た人)が今も多分、数万人と暮しているはずだ。多くは60、70歳代以上で、50年近く前にブラジルに渡ってきた人たちだ。

 最近も、ここ20年以内、特に10年以内にブラジルに来たという人も密かにいる。
 実は、最近来た人々とは、個人的になかなか知り合うチャンスが少ない。特に個人的に結婚などで渡ってきた場合が多く、その場合はブラジルに基盤を持つ旦那さんファミリーの傘下に入ってしまい、おなおさらのことである。
 何かのご縁で偶然出会い、万が一の時は、連絡を取り合える人がいそうだ、という程度の気分になれる。そのくらいの出合いがほとんどだ。
 それも無理なく、みんなそれぞれの生活があるし、サンパウロといったって人口1000万人の大都市で、かなり広いので、歩いてすぐいけるような場所に暮しているのではない。

 だけど、どこの国でもそうだと思うけれど、日本というアイデンティティーが内に身に付いている人であれば、3、4年もしたら、日本の香りが生活のどこかで恋しくなる。食べ物かもしれない、言葉かもしれない、男性、女性かもしれない!インターネットも電話もあるけど、体温の感じられる心の通う日本が!

↑ピエダージという日本人の多く暮す町の農園で育てられている柚子。この柚子入りのお風呂で体が温かくなるんだそう!まさに日本の香り。3個いただいたので、お漬物に使おうかな!?

 そして、やっぱり、一番葛藤するのは、小さな子どもを持つ女性に違いない。男性でも女性でも、一人でいる分には、もし悩めば、全く自分の計画したことをとりあえず自らの意思にもとずいて実行していくことができる。でも、小さい子どもがいると、自分の意思を貫き通して行動はできない。ましてブラジルで。特にブラジルは機械的に人間に便利に用意されているという場合が日本よりは少ない。
 かなり、自分を通したいと思う私でさえ、90%以上は子ども、残り10%を、どう100%に近づけるかが日々の課題である。子どもを保育園に預けたらという考えもあるけれど、そこに様々な子育て論からすっと動けないのが、これまた日本人女性だと思う。ほんとか、うそか、三つ子の魂。私は多少本当だと思っている(子どもによるとも思う)ので、これだけは譲れず、今日まで母子で過ごす時間を重視するにいたっている。
 
 同じような立場にある4人の女性と、ある場を借りて集まれるチャンスがあった。本当にうそ偽りなく、みなさん自分の意思をしっかり持った、責任感のある女性ばかり。本当にこの出会いは貴重で、すごく心に響く出会いだった。 みんな子育てを中心にだんなさんの仕事を手伝ったりするという生活をしていて、なかなか外で自分の思うように世界を広げていけるチャンスは持ちにくいという。でも、子供さんたちはみんなすくすくといい子に育っているように見えました!
 子どもたちはみんな日本の匂いをかぎながらブラジルで育っていて、母方から見れば新しい日系二世です。健全に、普通の日常に幸せを感じて生きれる子に育てる、それって、母親が外の世界で活躍することと同じ、もしかしてそれ以上に、女性にとっては大業だ、と感じる瞬間でした。
 
 4人のブラジルの生活は、みんな(私以外)、ブラジルに基盤(家族)を持つご主人なので、どうしてもご主人の歩調で生きているという、一見、すばらしい、でも、どこか自分で生きているようで生きている心地がしないという、ある意味贅沢な悩みですが、でも、実はすごいショックな悩みです。日本では普通に生きれる大人が、ある日、価値観も文化も違うところにポンと来たら、赤ちゃんのようなもので、自分の足で動けないのは、それまで動けていることを知っていた故に苦しいことです。もちろん、悩みなんて毎日色々発生するわけで、そんな時、全てあるがままを受け入れてくれる人、場所があるのは、重要です。
 自分の力や意思だけが全てではない、と言うことを初めて身をもって分かるようになったのは、私の場合、ブラジルだった。4人の方も同じように感じていると思った。当たり前のことが当たり前でなくなる。これは貴重な体験で、今の豊かさが続いてきた私たちが育った日本では、なかなか体験できないことかもしれない。おそらく、そういうことを日本で最後に大きな単位の人々が体験できたのは、1945年の終戦の時ではないか?そして、そこで培った強い精神が戦後の日本が復興したエネルギーではなかっただろうか?などと考えてしまう。
 神様はいると思う。それは目に見えないだろうけれど。不思議な縁から出会った4人の集まりが、それを証明しているように思った。