サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

見てしまった

2009-09-28 18:50:26 | Weblog
 サンパウロの道路では、信号の停車中にフロントガラスを洗ってくれる人やジャグリングを披露してくれる人、お菓子や花を売る人などがいる。もちろん、有料。
 
 時々、稀な商売をする人がいるのは聞いたことがあったけれど、まさか本当にいるとは思わなかったのが・・・
 昨日、信号待ちの時に、杖をついて足を引きずりながら、帽子をもって、お恵みを願う人がいた。ところが、車が走り始めると、さっさと歩道の方に早足で杖もつかずに移動!
 職業:演技派の役者というのが適当だろうか。嘘つきという怒りよりは、まさに生きる力というか、そこまでして稼ごうとするパワーを実感。

↑警察 

コリアンドッグになったアメリカンドッグ

2009-09-27 16:49:56 | Weblog

 子どものころ、確かアメリカンドッグという名前の食べ物を食べたことがあった。ソーセージを包んだあげパンのような、ケチャップをつけたりして。
 ブラジルでは似たよなソーセージをパン生地に包んだ食べ物はあるけれど、同じタイプのアメリカンドッグを見かけたことがなかった。
 ところが、先週に韓国街へ行くと、一軒の揚げ物屋があって、まさにアメリカンドッグの姿をした食べ物を見つけた。ちゃんとソーセージを包んだあげパンで、串が突き刺さっていた。
 店の人に名前を聞くと、サウシッシャ・コリアーノと言われた。韓国のソーセージ。アメリカンドッグではない。お店はどうやら韓国の人が経営しているらしく、従業員のブラジル人は韓国の食べ物と認識しているようだった。食文化の伝播は興味が尽きず

2009-09-25 17:31:31 | Weblog

↑シュラスコ(ブラジル式バーベキュー)の店を窓越しから眺める。本物の大きな肉の塊が回りながら直火で焼かれている。
 肉屋さんで肉を200グラム注文すると、店員さんに不思議そうな顔をされたり、笑いをこらえられているのが明らかだと感じることがある。そう、100g、200gなんていう量を一家族で購入するなんていうのは、試食サイズ、食べ残して捨てるお肉の量に等しいくらいに思われているのかもしれない。こんな焼肉料理こそ肉料理…

リベルダージの焼きトウモロコシ

2009-09-23 17:55:43 | Weblog
 サンパウロのあちらこちらの路上では、夕方近くになるとゆでたトウモロコシとトウモロコシで作ったパモーニャとクラウという食べ物を売っている人がいる。
 ゆでたトウモロコシも悪くはないけれど、どうして焼いたトウモロコシがないのかなあと思っていたけれど、最近はリベルダージ(東洋人街)のみで焼きトウモロコシが販売されるように。


ダノンおじさん

2009-09-22 16:48:28 | Weblog

 ヤクルト・レディーならぬダノンおじさんが家の近くで活躍している。アパートの管理人さんも時々購入している。ヤクルトとは違って一個一個で商品が購入できず、大きな袋に色んな乳製品がセットになっている。
 アミーゴのダノンおじさん、仕事の合間に広場で座って聖書を繰り返し読んでいる姿を時々見かけます。

アミーゴの信仰ある生活

2009-09-21 18:09:53 | Weblog
 近所には徒歩2分以内にこじんまりとした教会が2つ、未知なアフリカ由来っぽい信仰のありそうな家が一軒…と、明らかに何か志を同じくする結社の集会所がある。
 ほかに、いつもあいさつをしているアミーゴと少し付き合いを深めてみると、実は日常の仕事とは別に、週末は聖書を片手に仲間を集めて講義している宗教家であることを知った。本当に近所のごく普通の民家で、なんと形は違うけれど同じような活動をするアミーゴが2人もいる!
 大きな団体の支部とかではなく、真面目に人生を考える人たちで、それぞれが土曜や日曜には自宅で集まりを開いている。ブラジルらしく、聖書がやはり基本になっている。
 内輪な宗教というと一瞬イメージされがちな怪しげという雰囲気はなく、聖書を通じてよい生き方、もっといえばキリスト教らしく神様と共に生きるということを再確認するという感じだった。講義するアミーゴは、本当に人がよくできているなあと、日々の付き合いで感じていたけれど、実はこういう真面目に生き方を考えて講義までしている人であったことを知り、納得。説得力はあるけれど、威圧感がないアミーゴたちです。

↑ギターを弾きながら、聖書の一説を歌う。スライドには歌詞が。
 お誘いを受けて、集まりにお邪魔させてもらうと、ギターをひきながら聖書のフレーズを歌い、その後に聖書の一説を解説してくれた。解説というよりは、自分に言い聞かせると言う雰囲気だった。全てポルトガル語なのだけど、さすがブラジル人仲間に講義する立場だけあって、難しい言葉も噛み砕いて説明してくれるので、辞書がなくてもポルトガル語でも結構理解できるものだった。通ってもあまり語学力が伸びない語学学校に通うよりよほどポルトガル語力が高まりそうな気が。ポルトガル語の理解を深めるためにはやはり聖書はいいのかもしれない。
 人の道には、言葉やテキストは違っても、やはり人類普遍の何かがあると感じたひと時だった。
「ボリビア露天市」

↑ポルトガル語の新約聖書