サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

バイリンガル教育にどうしてブラジルの例があまりないのだろう

2009-05-06 17:10:30 | Weblog

 ふと、思い立ったように、インターネットでバイリンガル教育を検索した。色々なページがあるようだけど、2,3個のサイトをのぞいてみた。

 そしたら、多くの研究例とか実践例があるけれど、やっぱり英語と日本語のような例の話が多い。アメリカやカナダの話題、日本国内での語学教育の話題が多いような気がした。しかも、子供が中学校を卒業するくらいまでの例が多い気がした。

 アメリカでの英語と日本語のバイリンガル教育の研究が盛んなのは納得。そもそも、アメリカには日系アメリカ人の存在もあるし、アメリカンスクールだとか日本では話題になるし、なんだかんだいっても、日本は20世紀をアメリカとの接触を密に生きてきたような気がする。

 ところで、バイリンガル教育といえば、ほんとはブラジルだって日本人にとっては最高の実験場だったわけで、今でも実験場だと思う。なんせ、100年前から日本人が数十万人やってきて、たくさんの子供が生まれ、日本語とポルトガル語を話さなければいけなかった環境。だから、グローバル化した世界で、日本人が生きるために必要なこと、語学教育のあり方なんか、本当はヒントがいっぱい転がっている。しかも、ブラジルの場合は、すでに70歳、80歳の人に、そのバイリンガル教育、国際理解教育の成果が見られる。たった15歳くらいで英語が話せただの日本語が話せただのという話題を超えて、バイリンガル環境で生きた人の人生を見ることができる。

 だけど、インターネットでは、この最高の実験場であったブラジルの例はほとんど紹介がない。もし、2世を焦点にあわせるなら、多少過ぎた時代なのかな?いや、今も、かなりの日本人女性や男性の2世が生まれている。サンパウロだけでも知っているだけで10人くらいの幼児のいる日本人(父母のどちらか)を知っている。被験者なんていうと怒られそうだけど、我が家の子供も含めて日本の外国語習得の研究者から見ると格好の被験者だと思う。
 
 たった、5,6歳でも、子供の環境によって、全く語学の習得の仕方に歴然とした差がある。そんなこといえば、性格にだって0歳の時から差がありそうだけど。
 個人的にブラジルの高齢の二世の方々を知ってみて、世界のどこで育つ子供であろうとも、日本人を親に持つ子ども(それは日本の子どもたちにもいえる)として世界で強く生きるには、言語もさることながら、実はそれ以前の生きる力、生きる意欲とか、好奇心、思いやり、両親を大切にするとかの方が重要に思うようになった。言葉は二の次かもしれない。
 あえて言えば、2世の場合(数ヶ国語を話したり翻訳梨で考えられるようになるには)、小さな子どもの時に母語、母国語に接する経験もバイリンガル教育には必要なような(程度は謎)。このことは日本では当たり前に行われるけれど、外国では気をつけないと、外国の環境が強い時間が幼児期に多すぎて日本語の環境が少なくなる場合がある。それは日本語習得には不利になることがあるようだ。もっとも、母語にまつわる言語発達の話は、言語教育に関する問題ではなくて、人間の発達のための幼児教育のテーマかもしれない。
 
 子供を育てるのにはマニュアルなんてないし、語学教育もマニュアルなんて無さそうだけど、当たり前のことだけど、子どもに愛情を持って接することが教育の原点だと思った。
 自分の都合で一緒にいながら時々子どもの話を無視してしまう私。日々改心。