アミーガに連絡が付かないということで、久々にエジプトおじちゃまと電話で2時間ほど話すことになった。
なんだかんだと話は尽きず、主に聞き役で。
中国生まれのユダヤ人のアミーゴの話になった時、そういえば、19世紀のアヘン戦争の時代にアヘンの取引で中国で大もうけをしたセファラジーのユダヤ商人、デイヴィッド・サスーン(英: David Sassoon、1792年10月 - 1864年11月7日)がいたねという話をこちらから振ってみた。おじちゃまのサンパウロのユダヤ人のアミーゴにもサスーン氏がいるとか。
イギリスがアヘンを売っていた事になっているけど、大もうけしていたユダヤ商人サスーン。いずれにしてもエジプトおじちゃまはスコットランド系の子孫でもあり、イギリスに近い存在だけど、つい口をすべらせて、イギリスはアヘンなんか売ってよくなかったよね、と言ってみた。
というか、最初は一生懸命アヘン、アヘンと言っていたけど全く意味が通じず、そうか、国際的に通用しない言葉がアヘンなんだと気付いた。それで翻訳機にかけるとアヘンは英語でOpiumと表示され、これで話が完全に通じた。
東アジアを狙ってきていたイギリスをはじめとする西洋勢に対して、ちょっと一言、過去のアヘン販売を指摘してみたけれど、おじちゃまも言うには、中東周辺では古代から薬効があるとして薬品として使用されてきたアヘン。レクリエーションで楽しみすぎるのがいかがなものかというだけの事で。
当時の中国の庶民にはレクリエーションなアヘンを求めずにはいられないような気分があったからこそ、まあサスーンのような抜け目ない商人が大もうけできるチャンスが転がっていたというわけで、過去のそれぞれの状況を考えてみると、何事も100%悪いともいえないなと。
●サッスーン一族の興味深いサイト↓
http://takao-sato.seesaa.net/article/258152978.html
【デビット・サッスーンに縁ある仲間らしき写真】↑
サッスーンの写真をインターネットからとろうとしたら、プチ衝撃の事実が発覚...
郷里の神戸で結構歩いていたところに今は結婚式会場サッスーンとやらがあるとか。
東アジアでサスーンと言えば、このサスーンしかいないわけで、やっぱりこのサスーン(の多分、子孫)が昔住んでいたらしく、今は結婚式会場に利用されているとか。しかし、神戸に上の写真みたいな仲間たちが歩いていたらちょっと怖いぞっ!
そういえば神戸には昔インド人街があったなんて話は聞いた事があったけれど、肌の浅黒いインド人を思い浮かべていたけれど、このサスーン一族はインドに拠点を置いていたと言うから、サスーンの取り巻きインド人みたいな人が神戸にいたのかもしれない。昔、神戸の繁華街の駐車場をうろついていた時、お金持ちインド人が駐車場に高級車で乗りつけているという話をしていたことも思い出す。
ちなみにデイヴィッド・サスーンはオスマントルコ帝国出身の(バグダッド生まれ)ユダヤ人と言えるような人。ブラジルにもオスマントルコ時代の迫害や経済の悪さからから逃れたシリア人、レバノン人、もちろんユダヤ人だっているため、日本人移民の出港地だった神戸とブラジルはもちろん、何だか中国、中東まで今のサンパウロからつながる感じで。なんだかんだ言っても地球は一つなんだなと、エジプトおじちゃまとの会話からあれやこれやと思いめぐらされたひと時。
Wikipediaより↓
旧サッスーン邸(きゅうサッスーンてい)は兵庫県神戸市北野町にある異人館。北野・山本地区の伝統的建造物。
1892年(明治25年)にチャン氏の自邸として建造された西洋館であるが、1985年まで居住していたユダヤ系シリア人貿易商デヴィット・サッスーンの名をとり、一般に旧サッスーン邸と呼ばれている。 外観は典型的なコロニアルスタイルで、館の南側に広大な庭園があり、内部は木彫など優れた意匠で飾られている。
現在、一般公開はされておらず、館内に設置されたチャペルと100坪の芝生庭園を使ったウエディングの会場として利用される。
・ウェディング会場としての情報
明治25年(1892年)に、外国人貿易商デヴィッド・サッスーン氏の私邸として建造されたこの洋館は、昭和60年(1985年)までは実際に居住していた邸宅。現在は神戸市の指定文化財であるため、通常は非公開とされていますが、ウエディングのためだけに使用が許されています。120年以上もの歴史を刻む、希少価値の高い本物の異人館です。