ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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お家さん/玉岡かおる

2008-04-09 19:54:29 | 
明治以降の日本は欧米列強に追いつけ追い越せと急速に近代化を進めてきた。
富国強兵の名のもとに持ち前の勤勉さで瞬く間に欧米と伍するまでに成長を遂げてきたアジアの小国。
もちろん、これらは歴史の教科書に書いてあることで、現代を生きる我々にとっては歴史の一コマに過ぎない。
マクロな現象は教科書の一文にあるのみで、そこにあった生身の人間たちの営みを容易に窺い知ることは今となっては容易ではない。
しかし、当時確かに今日の我々へとつながる繁栄の礎を築いた先達たちがいた。

鈴木商店。総合商社の走りだったこの会社は近代日本を疾風のごとく駆け抜けていった。しかしそのことも今となっては、あまり語られることもなくなった。
明治の初期に樟脳と砂糖の小さな個人商店から出発した鈴木商店は瞬く間に神戸を、関西を、そして日本を代表する企業へとのし上がっていく。
現在、関西を発祥とする名門企業の多くが鈴木商店の出資によって設立されたことは意外に知られていないかもしれない。
神戸製鋼、双日のルーツである日商、帝人、日本製粉、大正海上火災保険(現、三井住友海上火災保険)など、枚挙に暇がない。

もともと辰巳屋の番頭だった鈴木岩治郎が、明治の始め暖簾わけをして開業したのが始まりだった。
金子直吉、柳田富士松という優秀な番頭が店を支え、順調に商売を伸ばしていくが岩治郎が急逝してしまう。
主がいなくなってしまいこれで店はたたまざるを得なくなったと誰もが思っていたが、岩治郎の妻よねは実際の経営を金子と柳田に任せる形で商売を継続するのである。
よねは経営には一切口出しをせず、従業員たちが世界中を飛び廻って縦横無尽に商売が出来るよう、奥を取り仕切り、妻や子達に気を配る。
鈴木商店は「お家さん」と呼ばれるよねを頂点とした大家族として世界を股に駆けた総合商社のさきがけとなっていく。
店は神戸港に入る船の殆どが鈴木の荷を扱うほどまでに急成長するのだ。

物語は、鈴木商店の躍進の物語というよりも、それを奥で支えた女たちの物語と言っていい。
とりわけ、よねの身の回りの世話をしていた珠喜の物語は、男を支えるが故の女の哀しみと、数奇な運命に翻弄されていくうねりのようなダイナミズムを感じる。
かつて、このような女たちの物語があったことに驚嘆するばかりである。
おっとりとした上品な関西弁で語るよねの語り口をはじめ、女たちへの眼差しが著者のリスペクトに溢れている。
それは著者も同じく播磨に産まれそこで生活をしている女性だからであろう。

気骨溢れる明治人たちに接していると平成の私たちのなんと矮小なことかと思うのだ。


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