ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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山口瞳の人生作法/山口瞳 ほか

2006-04-10 20:47:16 | 
曇り。

ブログを始めるときに意識したのは、山口瞳の「男性自身」だった。
いや、とても恐れ多いことで氏のように書けるなどと、大それたことを思ったわけではなくて、
「男性自身」のような物事の捕らえ方と”続ける意思”を持って書きつづけられればいいなと思ったのである。
あとは植草甚一のように好奇心が縦横に広がる感じで、興味の赴くままにいろんなことを書いて残しておく日記にしたかった。
このブログのコンセプトというか目指すところはそんなところにあって、山口瞳という存在は文章を書いて残すという作業において、
私の中では非常に大きな存在である。

この本は、山口瞳を偲んで編纂された文集で、治子夫人、子息の正介氏を始め、
山口瞳に所縁のある人たちが氏との思い出やエピソードを綴っている。
本人のエッセイ風の文章も所蔵されているが、やはり読んでいて心動かされるのは結婚前に夫人に送ったラブレターの数々である。
夫人にしてみれば、このような極私的な内容を公開するには躊躇いもあっただろうと思う。
こういった類のものは本来当事者二人だけの胸に大事にしまっていとおしく慈しむべきものであろう。
他人、しかも出版を通じて不特定多数の読者に開陳されていることを思うと、やはり心して読まねばと思う。
それなりの意図を持って公開されたものであろうから。
若さが横溢した手紙の数々は瑞々しい。そして氏の不器用さが垣間見られて微笑ましくなってしまう。
若く不器用な二人のストレートな愛の交歓に、山口瞳夫妻の剥き出しでひりひりとするような人間性が伝わってくる。

山口瞳氏は非常に不器用な人だったそうである。そしてその不器用さゆえに愛された人でもあった。
自分はどこか器用には生きられないな、と思っている私のような人間にとって「男性自身」は道標のようでもある。

江分利満氏はブログ隆盛、日記で溢れかえったのこの時代をどう見ているのであろうか。聞いてみたい気もする。


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