湊稲荷は、亀島川(日本橋川の支流)が隅田川と合流する地に建つ鐵砲洲稲荷神社の別名です。現在は埋め立てられて消失していますが、お社の直ぐ北を八丁掘と呼ばれた桜川が流れていました。時代劇や時代小説でお馴染みの、“八丁掘の旦那”は、八丁掘の近くに江戸町奉行所の組屋敷が在ったため、この地に住む与力や同心を俗に“八丁掘”と呼んだものです。
八丁堀は、京橋川(こちらも今は埋め立てられて消失している)とつながっていたため、八丁掘を京橋川と呼ぶこともあり、池波正太郎著「霜夜」(鬼平犯科帳(十六)に収録、文藝春秋)の中で、湊稲荷は、「京橋川が江戸湾へ流れ入ろうとする手前に、稲荷橋が架かっている。橋をわたった右手に、湊稲荷の社がある。」という具合に書かれています。
隅田川を挟んで対岸には佃煮発祥の地である佃や、もんじゃ焼で知られる月島、更に南に勝どきの地が広がっています。しかし、江戸時代には、月島も勝どきも造成されておらず、佃島が島として在るだけだったので、正に池波先生が書かれたように、目前には江戸湾の海が広がっていました。この風景は、江戸名所図会にも描かれています。
湊の字は、意味としては港と同じです。現在は芝浦や青海の辺りが東京港と呼ばれる部分ですが、江戸時代には湊稲荷の周辺こそが江戸湊の玄関口であり、江戸で消費する物資が集まる水運の中心地でした。それ故、湊稲荷は船員達の海上守護の神として全国的に崇拝されていました。
湊稲荷(鐵砲洲稲荷神社) 東京都中央区湊1-6-7
JR・東京メトロ日比谷線 八丁掘駅から約600m 徒歩約8分
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