江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「福島県耶麻郡誌」中の怪異伝説  その8

2023-07-06 23:00:00 |  伝説
「福島県耶麻郡誌」中の怪異伝説  その8
2023.7

36.行無沼(ゆきなきぬま) 
岩月村(喜多方市岩月)入田付の東北に在り。
周(めぐり)は九百間(約1,620m)程で、四方を崖で囲まれていて、水面は、鏡のようで、景色の佳い地である。
北岸に貴船の社を勤請した。

鮒を産す。
それを、取れば、鎮守様の祟りがあるとして、魚をとらない。
又、舟を浮べることを禁じている。
ここに至る道の左右に雌沼・雄沼と言う二つの沼跡がある。
村老の説に
昔は水を多くたたえていて、風が吹けば、雌雄の沼の双方より大きな波が起こって、行きかう人が、時々溺死するものがいた。
このような危うい所であるので、一度ここに来て、生きて帰るものが無いとの意をもって「行無(ゆくなき)」と名付けたそうである。
この沼は、慶安元年(けいあんがんねん:1648年)に堤を築き、近村の貯水池とした。
不動滝に注ぎ出るのは、この水である。



37.鶏塚  
岩月村(喜多方市岩月)字(あざ)上岩崎に在る。
高さは、三尺ばかりである。
このような事が伝えられている。
昔、端村長窪の農民で利兵衛と言う者の先祖である池亀外記と言う者がいた。
どうした事であるか、この地に鶏千羽を埋めて塚とし、上に一株の松を栽えたと言う。
咳嗽を、わずらう者が祈願すれは霊験があるという。



38.阿弥陀堂跡  
松山村(喜多方市松山町)字(あざ)中村の東の十三町(約1500m)にある。
今は原野となってしまった。
昔、来迎寺と言う寺があった。
いつの頃にか廃し、ただ堂のみ残っていて、慈覚作の三尊弥陀の大佛を安置してあった。

村老の言い伝えには、こうある。
応仁の頃、山名左衛門と言う者がある時、日中川に出て川狩をした。
大変多くの鮭魚を穫った。
そして、来迎寺坊中の僧たちに命令した。
桔梗と蕨の葉につつませ、藤蔓で束ねさせて、それを背負わさせた。
(坊さんたちには、生き物を殺してはいけない、という殺生戒がある。)
僧たちは、困惑して、三尊弥陀の大佛に祈った。
すると、その威徳によって、かの三種の草は、枯れてしまい、今に至っても、この辺に生じない。
又、この時、日中川もにわかに押し切れて、西に流れ今のような水路となったと言う。
その後、天正年間(1573~1792年)に、兵乱で、焼けた時も、神女が天降って、炎火の中より、この三尊を取りあげ、その難を逃れたとのことである。
延宝年間(1673~1681年)に、会津藩より命令が下って、上三宮村(喜多方市上三宮町)の願成寺に移した。

注:ここに言う慈覚は、慈覚大師の円仁のことであろうか?



39.六郎原  
磐梯村(今の磐梯町)に在る。
昔、この原にて、亀井六郎と言う者が、白毛の鶉を初めて穫った。
それで、六郎原と名づけたと言う。

又、この原に帷子石(かたびらいし)と言う石がある。
源義経が帷子を召し替えた故に、名づけられたと言い伝わっている。

(訳者注:ここら辺に、源義経が、平泉目指して逃げた時に、通ったようである。磐梯町に接している会津若松の古い和菓子店には、弁慶の借用書というのが残っている。)



40.麓山(はやま)大権現社
月輪村(つきのわむら。今は、猪苗代町の一部にある。
この社は、大同二年まで湖水中に建っていた。
しかし、同年に湖面が上昇して一夜の内に、湖中に没した。
ある日、権現社が、岩舘山の項上に上った。
永保元年まで、この山に立っていた。
今の麓山と言う所は、昔、月山と羽黒と言う二つの社(やしろ)があったが、そこに権現社を、永保元年(1081年)に移し奉まつった。
三つの社(やしろ)があるようになったので、三ッの御山と名づけたと言う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿