江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

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江戸の三大盗賊 その1 鼠小僧次郎吉  「兎園小説余録」

2020-07-19 21:04:06 | 江戸の街の世相

戸の三大盗賊 その1 鼠小僧次郎吉

                 2020.7

江戸時代の泥棒、盗賊で最も有名なのは、鼠小僧次郎吉でしょう。

それに次ぐのは、稲葉小僧。日本左衛門です。
この3人について、「兎園小説余録」に記載がありますので、紹介します。

「兎園小説余録」(天保三年、1832年)は、大変面白い内容です。滝沢馬琴先生の編集です。


以下の文は、「兎園小説余録」の中にある文書の、現代語訳です。


鼠小僧次郎吉略記

このものは、元来は、木挽町の船宿某(なにがし)の子であった、と言う。
小さい時から放蕩無頼であったそうである。
家を追われて、武家の足軽として仕えたという。
文化中、箱崎奉行より町奉行に転役して、程なく死去された荒尾但馬守の家来であった。
その後、荒尾家を退職して、あちこちの武家に渡り奉公をっした。
これによって、武家の案内をよく知るようになった、とか言う説がある。

ついに、前代未聞の夜盗になった。この十五ヶ年の間、大名屋敷へのみ忍び込んで、或いは長局、或いは納戸金を盗んだと言う。

その夜盗に入った大名屋敷は、おおよそ七十六軒、忍び込んで盗めなかった大名屋敷は十二軒であった。
盗み取った金子は合計三千百八十三両二分余であった。
(軒数、金額は、「聞くままの記」にある。:原文の注)
これは、白状したままの数字であるとの事である。

かくて、今ここの(原典の注:天保三壬辰年)五月(原木脱字)の夜、浜町なる松平宮内少輔屋敷へしのび込んだ。
そして、納戸金を盗みトランと盗ろうと、主人の寝ている部屋の襖戸をあけた時、宮内殿は、目を覚した。
しきりに宿直の近習をび呼覚した。
「これこれの事がある。そこらをよく見よ。」と言った。
それで、みなは受け承わって、周囲を見ると、戸を引あけた所があった。
さては盗人が入ったのだ、と、これより家中迄さわぎ立て、残す限なく探すたので、
鼠小僧は、庭に走り出て、屏に乗って屋敷の外へ飛びおりた。
ちょうどその時、町方定廻り役(原典注:榊原組の同心の大谷木七兵衛)が夜廻りのため、はからずもその所へ通りがかた。
深夜に武家の塀に乗って、飛び降りたものであったので、有無を言わせず、立ちどころに搦め捕った。
さて、松平宮内殿の屋敷へ忍び込んだことを白状した。
留守居に届けてやりとりをし、夜廻りの途中で捕まえたことを説明し、最寄りの町役人に預けた。
明朝、町奉行所へ報告したが、直ちに、入牢させられた。

何度も取り調べた上、八月十九日、市中を引き廻しの上、鈴ヶ森において、梟首された。
このものは悪党ながら、人の難儀を救った事が、しばしばであった。
それで、恩をうけた悪党が、それぞれが牢見舞を贈ったが、大変多かった。

処刑された日は、紺の越後縮の帷子(かたびら)を着て、下には白練の単衣(ひとえ)をかさね、襟に長総(ながふさ)の珠数をかけていた。
年は三十六、丸顔にて小ぶとりであった。

馬にの乗せられた時にも、役人達へ丁寧におじぎをして、悪びれる事はなかった、と見た者の話であった。
この日、見物の群衆が大変多く集まり、伝馬町より日本橋、京橋辺は、爪も立たない程であったそうである。

鼠小僧の妹は三味線の師匠をしており、中橋辺に住んでいた。
次郎吉が召捕られた折まで、妹と同居していたと言う。
嘘か誠かは、わからないが、聞いたままを記した。



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