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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

黄華堂医話における河童

2021-12-06 22:58:35 | カッパ

黄華堂医話における河童

                                2021.12
筑後、肥後、豊後のあたりには、河伯が多い。
別名を水神とも河童とも水虎とも言う。
民間では、川太郎と言い、またカッパとも言う。
その姿は、猿に似て小さく、髪は赤色で太く長いと言う。
水に入れば、その髪は見えなくなる。
この者は、よく害をなす。
水辺を歩く人がいれば、水から出て、力比べをしようとする。
カッパと相撲をとった人は、必ず寒熱の病にかかると言う。

肥後の村井椿寿子(医者)は、毎度、このカッパのために寒熱の病にかかった病人を、治療したと私に語った。

また、肥後の川尻という所に、ヒョウスラリ(原文ではヒヤウスラリ。これもカッパの別名か?あるいは、別の妖怪であろうか?)の守りであると言って、河伯を制する人がいる。奇妙な事である。
(編者注:この文意はよくわからない。)

「黄華堂医話」著者 橘南渓 より


「天草島民俗誌」河童記事  その11から15

2021-12-06 20:59:04 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その11から15

「天草島民俗誌」(浜田隆一著、東京郷土研究社、昭和7年、1932年)

                              2021.12

河童は、夏は川にいて、冬は山に登る    「天草島民俗誌」河童記事  その11
河童は、夏は川に居て、冬は山に登り、しゃかぎの根にかくれている、と云う。
そして、その河童のいる木は枯れている、と云う。
夏の川で、子供が遊んでいると、友達に化けて来て、綺麗な花などをくれるから、来い、とだましてじご(しり)をとる、と云う。
(以上、池田瑞穂君の報告)

川の河童が山に行く日  萬鉄五郎  その12
浦村では、川祭の日は、川の神様が年に一度山に帰る日である。
その日は、川にいる河童が、みな山に行く、と云うので、皆泳ぎに行く。
泳がない者は、川に魚釣りに行くことになっている。
        

河童の妙薬  「天草島民俗誌」河童記事  その13
昔、浦村に小さなお寺があって、その前に一つの御堂があった。
そのお堂に、毎晩怪物が出る、と言うので、村で一番強い男が、それを退治に行った。
夜中になると、何物か毛だらけの手で頭を撫でた。
それで、すぐにひっ掴んでグッと引いたら、外の地上に、ドシンと大きな音をたてて、何か落ちた。
早速 馬乗りにまたがり、山刀で殺そうとすると、
下から
「私は何も悪いものでない、河童ですから、今までの事は許して下さい。」
と言うので、許してやった。
けれども、後でまた悪い事をしない用心の為に、片腕を切って逃した。
すると、一週間ばかりたって、夜中に自分の家の戸をコトコト敲く昔がした。
出て見ると、この間の河童がションボリ立っていて
「どうか、腕を返して下さい。
そん代りに、怪我の妙薬を差上げますから。」と言うので渡してやった。
河童は、その腕を切口にはめ、上に薬を塗るとすぐによくなった。
その薬を、その強い男に渡して帰って行った。
(蓮田辰夫君の報告)
         
冬は山に行く河童  「天草島民俗誌」河童記事  その14

河童は、春分から秋分までは水の中に居て、秋分から春分までの寒い間は山に行く。
春分から秋分までの暑い間は河の中にいて、盛んに活動するので、河の水が濁る。
山に居る時には「クロモの木」の根にいる。(迫頭才次郎氏) 

        
河童は、もとは人形であった   「天草島民俗誌」河童記事  その15

昔、「たかたんばんじょ」という人がいた。
有名な大工で、或る城を造るとき、沢山の人形を作って、それに魂を入れて、仕事の手伝いをさせた。
そして怠けたり、言うことを聞かなかったりする時は、才槌(さいづち)で頭をたたいたので、自然と頭の上が凹んで来た。
仕事が完成してから、この人形たちが
「わしだ(わたし等は)これから何ばしやっしゅかい?」と言つた。
すると「たかたんばんじよ」は、
「お前達んごたる ひゆじ(?)は、人の尻どん 取ってちくらえ」と言った。
それで、この人形たちは、川に行つて棲み、河童となった。
今は、頭の上は皿の様に凹んでいて、人の尻を取って食っている。
(仁田長政君の報告)


「天草島民俗誌」河童記事  その6からその10

2021-12-01 22:35:29 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その6からその10


                         2021.12

河童と相撲をした子供   「天草島民俗誌」河童記事  その6

大江村の桑津留での話。
赤崎という少年が、桑津留の淵の傍を通っていると、河童から声をかけられた。
それで、水中でしきりに相撲を取って、泡を吹いてしまった。
そのところを、村の人が折よく発見して、救い上げて、連れ帰った。
家へ帰って来ても、絶えず「河童と相撲をとりに行く」と言って、仕方がなかった。
それで、神官を呼んで祈祷をしてもらったら、次第次第によくなった。

大江では、河童の腕は、ちょうど蕎麦稈を束(たば)ねた様で、頭に皿の様なものを載せていると云う。(木田円作君談話)
         
 
河童に礼をさせて、皿の水をこぼさせる  「天草島民俗誌」河童記事  その7
今から百年も昔の話。
今の牛の首、農学佼の門前から二十間ばかり奥の方から、谷まぎった(谷を横ぎった)ところに、山下金三という勇士があったと云う事である。
その人は、相撲が強くて百姓であった。
或る日、今の山口村の奥の方の山に薪とりに行き、夕方家へ帰って来ようとした。
その途中、荷の上に一羽の鷹が来て止った。
そしてそのまま家の戸口まで来て、それから飛んで行ったので、不思議に思った。
ふりかえって見ると、龍神様の松の木に行ってとまった。
その木を、今でも龍神様といって拝している。
また、この人がある時、何時ものように広瀬の白岩に行って田の中で働くいていると、どこからか、
「金三、相撲とろう」と言う声がした。
顔をあげて見ると、河童があぜに、腰かけていた。
金三も一緒に腰を下して、
「おー、わる(汝)が田ん草ば取って、加勢したらとろうだ」と言った。
すると、「ほんとうか?そんなら。」と言った。
見ている中に、じゃぶじゃぶと田の草をとってしまった。
そして又「相撲をとろう」と申し出た。
ところが金三は、
「昔から、相撲をとる時には、両方から頭下げて、礼をしてからとるごて(事に)なっとるけん(なっているから)。礼ばしてから、むかって来い。」と言った。
すると、河童はペコペコ頭をさげて向かって来た。
二人は、投げたり投げられたりして、日の暮れるまで遊んでいたと云う話であった。
河童は、頭に皿があって、その中に水が入っていると、力が限りなしに出て来る。
それで、相手に先づ礼をさせ、皿の水をこぼさせてから、取り組むのである。
(金沢国吉氏談。金沢国彦君報)
        

河童の頭に小便をした話  「天草島民俗誌」河童記事  その8
或る時、一人の相撲の強い人が、どこかに相撲に行くのに、途中に川があって、そこは、飛び石になっていた。
家を出る時に、母親が仏飯を食べさせて送り出した。そして、その川を渡るとき、小便がしたくなったので、その川の中にした。
すると、川の中から「誰だ?おれの頭の上に、小便をするのは!」と言う声がした。
「何だ。おれだ」と言い返した。
すると、水の中から、一匹の河童がポカリと浮き上って来た。
そして、互に口論をはじめた。
河童は、
「お前は相撲取の様だが、おれと相撲をとって勝てば向うへ行ってもよい」と言い出した。
そこで相撲をとると、河童は又「あなたは、眼が光って、恐ろしい。」と言って、遂に降参した。
眼が光るのは、仏飯を食っているからである。
(池田瑞穂君の報告)


         
河童を見た   「天草島民俗誌」河童記事  その9
或る百娃が、朝、田を見に行くと、向うの川で、小さな子供がジヤブジャブやっていた。
それで、近づいて見ると、驚いたのか、川の中ヘドブンと入ってしまった。
河童であった。
(池田瑞穂君の報告)        

 

馬が河童を引きずって来た話     「天草島民俗誌」河童記事  その10

ある時、一人の百娃が、馬を田の中で働かせたので、泥で大へん汚れてしまった。
それで、川に連れて行って、洗って、岸の木に繋いでおいた。
すると、馬のたづなを、誰か牽いて海の中へ引っぱって行こうとした。
馬は驚いて、一目散に、家へ逃げ帰った。
よく見ると、たづなの先には、一匹の河童が巻きついていた。
それで、捕らえて、縄で縛って馬小屋の天井につるしておいた。

翌日、下男が馬の「はむ}にかける水を持って行って見ると、昨日のカッパは、しなびていた。
その水を頭からさっとかけてやったら、たちまち勢いづいて縄を振り切って逃げて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 


「天草島民俗誌」河童記事  その1

2021-11-26 20:51:33 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その1


「天草島民俗誌」(浜田隆一著、東京郷土研究社、昭和7年、1932年)


河童     「天草島民俗誌」河童記事  その1

河童に教わった妙薬で、名医となった話    
今から五百年程前、或る村に、一人の骨つぎ医者がいた。
ある夜、一心に筆をとっていると、畳の間から冷たい手が出てきて、自分の尻ぺたを撫でた。
それで、驚いて素早く刀に手を掛けたが、もう居なかった。


次の夜も、机に向って本を読んでいると、また撫でるので、刀に手をやったが、やはり間に合わなかった。
けれどもある晩、遂に首尾よく、斬り落してしまった。
よく見ると河童の手であった。
そのまま机の上に置いて、又読書を続けていると、外で河童の泣声がする。
しかし、知らんふりをしていた。


翌晩、河童は窓から「もう決して悪戯(わるさ)をしませんから、手をかやして(原文のまま)下さい。」と嘆願した。
そして 「今夜までに接がなければ、接げませんから」と言った。
医者は不思議に思って「一日も経った手をどのようにして接ぐのか?」と訊ねた。
河童は、自分達の骨接ぎの方法を教えた。
それを医者は、すらすらと書きとって置いた。


それから患者がある時は、その方法でやって見ると実によく接(つな)がるので、たちまち名医として有名になった。
(中原清峯君報)


河童は大きくなったり小さくなったりする
河童は、大きくなったり小さくなったりする。
小さくなった時は、馬の足跡に千匹でも入ると云う。

村の川に、橋がまだ架からぬ前、飛石であった時分は、老人がその飛び石を渡ると、煙草入れを流した。
老人が欲しがって、それを取りに水の中に入ると、引込んだりした。
女が渡ると、櫛や油びんなどを流して、引込んだりした。
冬は山に打って、柴の葉に化けて居て、人間の尻を取る。
〔林田靖史君報。教良木村〕


河童の姿
僕のお父さんも、河童を見たと言っていた。
格好はまるきり犬とそっくりで、頭が少し犬よりか平たいと言っていた。
(田中留君報)


河童の妙薬   「天草島民俗誌」河童記事  その2
或る所に一人の女の人がいた。
その人の家は川端に近かった。
そこの川は、丁度 瀧のようになっていて、下は深く甕(かめ)のようになっていた。


女の人が或る晩、縫物をしていると、台所の方でコトコトと音がするので、不思議に思って行って見ると、そこに有ったはずの野菜が、食いちらかされてあった。
そこで、その辺をよく見ると、鶏の足あととも判らぬ、又人間の足あとも判らぬ小さな足かたが、雨あがりの地べたについていた。


あくる日、隣に行って爺さんに話すと
「そこん先の川に、がわっばがいると言うこっちやで。ひょっとすれば、そん がわっぱかも知れんわい」と言った。
この女の人は、女ながらも、こんな淋しい家に一人でいる位、度胸のすわった人だったので、その晩は、河童が来たら手を折ってやろうと思って、出刄庖丁を磨いで、今夜はわざと野菜を自分の前に置いて縫物をしていた。
しばらくすると、障子の破れる音がして、やがてその破れから不思議な手が’ニュウと来て野菜をにぎった。
女の人は、すぐその手を握って一方の出刄庖丁でジヤキンと斬り取った。
すると外では、苦しそうな叫び声が聞えて、はしり出した様な物音がした。
女は、その手を大切にしまって、床に就いた。


翌日、起きて外に出て見ると、血が川の方へ続いているので、いよいよ河童であると思った。
二三日経った或る晩、戸をコツコツと敲く音がするので戸を開けて見ると、片腕の無い頭の上が皿のようになった爺さんが立っていた。
「どなたですか」と聞くと、
「わしは、この川に棲む河童ですが、この前あなたの家まで来ると、好きな野菜が台所にあったので、つい口をつけて見ると、非常においしかったので、食いちらして帰りました。翌晩も、その昧が忘れられず、また台所に行きましたが、そこには、見あたりませんでした。ふと見ると、あなたの前に置いてあるので、しめた!と手を差のべたところを、斬り落されたのでした。もう決して、こんな事はしませんから、あの腕を返して下さい。その代り、返して下されば、傷にはどんなのでもよく利く薬を差上げますから。」と言った。
それで腕を返してやったら、果して不思議な薬瓶をくれた。


今もその薬がその村には伝わっているそうだ。
(仁田長政君報、宮地岳村)

 


人形に化けた河童   「天草島民俗誌」河童記事  その3
昔、或る所に一人のおばあさんがおられた。
そのおばあさんは、一人で住んでいて、川端に家があった。
毎日夕方になると、川端に妙な嗚き声がするので不思議に思っていた。


あくる日の昼頃、川に洗濯に行かれた。
すると向う岸から、おばあさんの方へ美しいべんた人形が流れて来た。
そこでおぱあさんは喜んで、その人形を拾い上げ、洗濯を什上げて家へ帰って、その人形を大切に戸棚の中にしまって置いた。


夜になって、その人形の鳴き声を聞こうと思い、今に鳴くか鳴くか鳴くか、と待っているが、中々泣かない。
一時(いっとき)すると泣き声が聞えて来た。おばあさんは戸棚をあけて、その小さな人形を取り出し、その晩は、自分の懐に抱いて寝ることにした。
すると夜中頃、おばあさんは、自分のお尻がモザモザするので、手をやってかかって(触って)見ようとしたが。
クスクスと笑ってすぐに死んでしまったという。
(真西哲雄君報、柄本村)

 


河童は、仏様のご飯を恐れる   「天草島民俗誌」河童記事  その4
昔、或る浜辺を一人の子供が歩いていると、突然海の中から、小さな頭に髪が生えて皿の様になった物が、ジャブジャブと上って来て、
「坊ちゃん、相撲をとろう」と言ったので、その子は面白がって晩まで飯も食わずに取っていた。


夜になって家に帰ると、家の人達は、
「今まで何處(どこ)に遊んでいたのか?」と問うた。
子供はニコニコ笑いながら、
「浜辺で、何ぢゃいろと相撲ばとった」と話したので、皆大へんびっくりした。
そして子供は、
「約束しておいたから、明日も行く」と言うので、しきりに止めた。
けれども
「明日来なければ打殺す、と河童が言った。」と言う。


仕方が無いので、翌日は、仏様に供えた飯を食べさせて、自分も後からつけて行った。
すると砂原に河童がちゃんと宝ものを持って来ている。
そして今日こそ海の中へ子供を引きこんでやろう、と持っていた。
ところが、そこへ来た子供は、仏様に供えた御飯を食べて来たので、目の玉がキラキラ光っていた。
それで、河童は、恐ろしくてたまらず、宝物も何も打捨てて、海の中へ逃げこんでしまった。
そこで、二人はその宝物を持って帰って大変な長者になり、今でもそうだという話である。
(小崎博善君報、棚底村)

 

河童の小包   「天草島民俗誌」河童記事  その5
昔、或所に郵便配達が海水浴をしていた。
そこへ、河童が現われて、
「この小包を送ってくれ、そうするとお前の尻は取らないから。」と言うので、その小包を受取った。
そして、受取人の名前をよく見ると、「島原の河童の大将」とあった。
それには、「人の尻を干した数が九十九、配達人の尻まで百」と記してあった。
配達人は、それを先方に届けず、白分の家へ持って帰った。
それからまた四五日経って海水浴をしていると、先日の河童が来て、その尻を取ってしまった。

 

 

         


「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

2021-11-25 18:34:19 | カッパ

「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

                                 2021.11

城河原村   「天草島民俗誌」河童雑記  その16
内の川の上流の宇田代というに、川に沿って道路がある。
そこを三人の男が通りかかったら、川の中に茄子を沢山つけてあるのを、河童どもがしきりに食べていた。
そして、その三人の中に、その茄子の所有者も混って居たが、その男には見えず、他の二人にだけ河童が見えた。
三人とも、今 現に生きている人である。
 
     

宮田村  「天草島民俗誌」河童雑記  その17
字(あざ)大宮田、
数十年昔「みやなぎ」という相撲とりが、隣村に行く時に海岸を通っていると、河童が出てきて、相撲をとろう、と言った。
用事があるから、帰途に相手になろうと言った。
そして、帰る時に、仏様に供えたご飯をいただいて来た。
果してまた河童が来た。
『さあ相撲をとろう』と言うと、
「あなたは、眼が光って恐ろしい」と言ってかかって来ない。
そこで先刻の約束を守らぬのは、不都合だと責め立てた。
そして結局、以後は宮川の人の尻は決してとらぬ、と言う約束をさせた。

年に一度づつ河童祭がある。
      


佐伊津村  76 「天草島民俗誌」河童雑記  その18
佐伊津の堀内で、五十年程前のことである。
村の或る男が、夜おそく用件で歩いていた。
そこの沼池の附近の茄子畑で、二尺位の大きさの子供のようなものが、がやがや騒いでいた。
驚きと怖れを抱きながらも、怖いもの見たさに近づいて行くと、その姿が何時の間にか消えてしまった。
 
或る日「ガクリョウ」川に、或る女が洗濯に行った。
水の底に小さな子供のようなのが、仰向けに寝ていた。
驚いて飛んで帰り、人々を呼んで、再び行って見たが、もうその時はいなかった。
   


久玉村  「天草島民俗誌」河童雑記  その19
久玉と深海の境に「おなぶつ」といふ淵があった。
その附近を自動車が通る時、四五年前までは毎晩河童が邪魔して困ったという。

或る時、一人の美女が川のほとりを通っていると、又一人の美女が現れて来た。
その女は、重箱を下げていた。
そして重箱の中から、金をつかんでは、川の中に投げ込んだ。
そこで、他の女が、それがほしくなって、拾おうと思って、川の中に入った。
すると河童にとられてしまった。
そこを『女淵川』とい。


坂瀬川 「天草島民俗誌」河童雑記  その20
今から百五十年ばかり前の話。
庄屋の某(これは庄屋と言わずに、ただの百姓にしている話もある)が夫婦で、田の草をとっていると、河童が出て来て「爺、一緒に泳ごうではないか」と誘った。
爺さんは、「うん。泳ぐから、草をとって加勢をしろ」と言うと、河童は加勢をして、草をとってしまった。

いよいよ游ぐ時、爺さんは、自分の尻のところに鎌をくくりつけて一諸に游いだ。
河童は、その鎌を捨てろといった。
爺さんが、「おれの尻をとりたくてそんなことを言うのか」と河童の腕をとって引っ張り廻したから、河童はたまらず降参した。
それから二人は、河傍の石に腰を下して休んでいると、「どうぞ一度でよいから尻をとらしてくれ」という。
「よしそれでは、この川の水を逆さに流して見せろ。そしたらとらしてやる」と言った。
河童は、心の中で何か祈願すると、川の水が逆さに流れ初めた。
(坂瀬川の満潮時の逆流)
爺さんはあわてて、
「待て待て、鉄のかたまりが腐れる時は、とらしてやる」と言って、鉄の塊を小山の上に置いた。
それから河童は、日に数回小便をかけて、ひたすらそれが早く腐れるのを待った。
数年の後に果たして腐れた。
そこで、河童が尻をとることを請求すると、今度は又、約束を仕直した。
小山の上に大きな男石をおいて、これが土になったら、約束に従がおう、と言った。
けれども、石は中々土にならない。
河童は、その上に糞を垂れたりして、早く土になる様苦心したが、駄目であった。
今でもこの石はあって、その上が少しクボんでいるのは、その糞をたれたあとだと云うことである。
こうして河童は、永遠に尻をとる機会を失ってしまった。

爺さんは、死後、神に祀られて「別当さま」と呼ばれ、その祠(ほこら)が今も大師山の下に在る。
游ぐとき「別当様の子孫でござる」と言えば、河童に尻をとられない。


これに附隨して、坂瀬川は逆瀬川で、河童が逆さに流したから起こったのだと言う。
坂瀬川の川底が所々深く凹んで居るのは、逆さに流そうと思って、河童が掘ったのだ、といっている。
 


余言   「天草島民俗誌」河童雑記  その21     河童雑記 末文                 
天草では、まだ中学生に至るまで、河童の実在を信じている。
古老は、「河童が陸上に上がったことは、その何ともいえない生臭い臭いでわかる。」と言う。
「河童に尻をとられたのと、溺死したのとは全然違う。溺れたのは、身体が冷く硬くなるが、河童にやられたのは、身体がいつまでもくたくたと柔かく、尻の穴がぽんと抜けている。」
と言っている。

かって二三年前、御所浦島の小学校の生徒を渡す渡船が(御所浦島に小学校があって、附近の小島の生徒は、毎日船で往復するのである)岸に着く時に、どうしたのか不意に転覆してしまった。
水の中にあっぷあっぷしている生徒を、附近の村人達がかけつけて、みな救い上げた。
しばらくしてから、もう一人足らないことが判った。
大騒ぎをして探したが、どうしても見つからぬ。
その時、或る者がひょっと思いついて、先刻転覆したままになっている船をもとにかへして見た。
すると、その中からその子供が現れて来た。
勿論死んでいた。
それから、これを河童がとったのだ、という評判が高くなった。
しばらくは、そこを渡るものがなかった、という話である。