江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

天狗に裂かれし女  「土佐風俗と伝説」 天狗怪禽

2024-06-21 23:56:27 | 天狗

天狗に裂かれし女  「土佐風俗と伝説」 天狗怪禽

                     2024.6

今は昔.安政五年(1858年)の頃だそうである。
高岡郡岩目地(いわめぢ:今の加茂村)の婦人が、天狗につかまれて、ある木の山で引き裂かれて、その死骸が松の枝に掛かっていた。
その事が、真覚寺日記の安政五年二月六日の條に記されている。
当時、大いに、噂されていた、と。

 


天狗に浚(さら)われた村娘 「土佐風俗と伝説」天狗怪禽

2024-06-20 23:52:43 | 天狗

天狗に浚(さら)われた村娘 「土佐風俗と伝説」天狗怪禽

                     2024.6

今は昔、安政三年(1856年)三月の頃、高岡郡宇佐村字芝に一人の娘がいた。
同郡の日下(くさか)村に下女奉公をしていた。
ある夜、たちまち天狗にさらわれ、空中を飛び、その夜宇佐村の我が家の近くへ連れられて来て、おろされた。
そして、その娘の衣類の袂(たもと)に、椿の葉などが沢山入っていた。
又、数日は、魚の臭気を大にいやがった、とのことである。
後日、その娘に様子を聞くと、振袖を来た美人が誘いに来て、大内(おうち)堤の上を通ったことは、はっきりと覚えていた、とのことであった。

 

 


上の山の天狗  「土佐風俗と伝説」天狗怪禽

2024-06-19 23:49:44 | 天狗

上の山の天狗  「土佐風俗と伝説」 天狗怪禽

                2024.6

今は昔、土佐郡薊野(あざみの)村に斎藤平兵衛実純(谷秦山の門人)と言う大胆な武士がいた。
ある年の正月に、上の山と言う深山の奥深くに鴨打ちに行った。山路をたどりたどりして、ふと黒味の林へ入った。

老木が森々(しんしん)と打ち茂がり、昼も寂しい様であるが、ここは昔からの魔所であった。

ふと頭の上に、大きな鳥の羽音が聞こえた。
不思議に思い、見上げた所、丁度、長さは五尋程(ごひろほど:7.5m位か?)の翼をひろげた鳥の様な大きな物が、ふわりと樹上に止まっていた。
流石(さすが)の平兵衛も気味悪くなり、鴨打ちどころか銃を小脇に抱えて一目散に山を下った。
その後、平兵衛はこの日の怪鳥のことを人に話した。この世の中に、天拘と言うものは無いと思っていたが、そのように言い切ることは出来ない、と常に物語った。


『浪華奇談』怪異之部 7.天狗清兵衛

2024-03-06 20:07:23 | 天狗
『浪華奇談』怪異之部 7.天狗清兵衛
             2024.3
安永(1772~1781年)の頃、浪花に天狗の清兵衛と言う者がいた。
天狗に仕えた故に、このように名付けられた。
この者は、傘張りを業(なりまい)としていた。

私の父が、天狗の話をこまごまと問うた。
清兵衛は言った。
「初めて天狗に誘われた時、虚空を飛行して、大いなる高堂の甍(いらか)の上に私を置いた。
ここは、何処でしょうかと問うと、『京都の大仏のやねの上だ』、と天狗は答えた。
次に、天狗の住みかへ連れて行かれて、私の俗身を変え改めてさせられました。私は、飛べるようになり、超人のようになり、所々へ使者として仕えさせられました。それで、大坂の我が宅(いえ)の屋根の上にも時々来ました。私が家を出て百日目には、百ヶ日の仏事を家内で勤行するを、屋上にいてくわしく聞いていました。
それから、三年を歴ると、暇(いとま)をつかわすから家へ帰ってよい、と言われました。そして、金比羅の木像を頂き、又眼病の灸穴を教えてもらいました。

その後、明和卯年(8年。1771年)お陰参り(伊勢神宮参拝)流行の節、天満橋北詰にて、以前の天狗の主人に逢いましたが、
『いかに清兵衛。伊勢参宮の望みは、なきや。』と言われました。
『参り度く思います。』と答えた。
『それなら、すぐさま連れて行こう。』と言った。
往き帰りとも、私を馬にの乗せ、あるいは駕篭に乗せてくれました。
私に銭を渡し、『この銭を参宮の者達に施こすように』、と言いつけられました。
それゆえ、おしげもなく、参宮の者達にほどこして、もうお金は尽きたと思う時分には、又々銭を持ち来たって、与えられたので、どのくらい多くのお金か、わからないほど、参宮人に与えました。
さて、帰るのには、元の天満橋まで送ってくれた。」と語った。

私の父が、話のついでに、かの天狗の住所を聞きたいと言った。
清兵衛は、
「この事は、言うことが出来ません。もし、口外したならば、いますぐ私は、体が引きさかれます。」
と舌をふるわせて、恐ろしがった。

この清兵衛は、正直一途のものであったそうである。

天狗の姿の出典  青栗園随筆

2021-07-09 22:39:53 | 天狗

天狗の姿の出典

天狗の姿は、今一般的には、鼻が長く、修験道の山伏のような姿をしているとされている。
では、この姿は、どこから来たのだろうか?
この答は、「青栗園随筆」にある。

以下

天狗は、中国の書には、星の名である、としている。
(訳者注:天狗星≒流れ星)
「博聞録」に、山陰に獣あり。狸蛇に似ている。、これを名づけて天狗と言う。
又、杜工部(杜甫のこと。唐代の詩人)には、「天狗の賦」がある。これまた天狗とは、猛獣の事である。

日本では天狗は、人の顔をしている。しかし、見た者はいない。

狩野元信(画家)は、鞍馬山の多聞天の安置しているお堂で、夜通し起きていて、明け方に障子に映った、その天狗の影をみた。そして、それを絵にかいた。
それが始めて今の天狗のをに描いた、との事である。

この画は、今も多門天のお堂にある。

この像は、修験者の姿である。
それ故、太郎坊次郎坊など山伏の名に準じて、好事の者が呼びならわしたのであろう。

 以上、「青栗園随筆」-広文庫より