ポーランドからの報告

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ベスキドの雫(しずく)

2007年01月31日 | 日常生活

ポーランドでは、やはり生水の飲用は控えた方が良いとされています。ですがその分、ミネラルウォーターが至る所で売られていますので、それほど不自由しません。旅行者の方も、気軽に買ってみましょう。値段は、キオスクや普通の小売店などで買うと、500mlで約2zl前後=80円前後です。ポーランド語で水は Woda ヴォダですが、英語でウォーターといっても、響きが似ているので通じると思います。

ミネラルウィーターは世界的には Evian などが有名ですが、ポーランドでは、ポーランド産のものがシェアのほとんどを占めています。数社からいろいろなブランドが出ていますが、今日はその中で私がいつも愛飲している Kropla Beskidu ベスキドの雫(しずく) をご紹介します。

   

ベスキド(Beskid)とは、ポーランド南東部のベスキディ山脈(Beskidy)のことです。このベスキディ山脈は、ザコパネで知られるタトラ山脈とならび、2000メートル級の山々が連なって隣国スロヴァキアとの国境をなしており、また山麓から湧き出る天然水は、ポーランドの貴重な水源となっています。そしてなによりもタトラ山脈やベスキディ山脈とは、ポーランド人がノスタルジーを感じる場所なのです。(日本人の富士山に匹敵する、といったら少しオーバーかもしれませんが、平らな国ポーランドでは、山への憧れがとても強いためです。)そのベスキディ山脈から湧き出た新鮮な水のしずく、いわばポーランド版「南アルプスの天然水」といった感じでしょうか?「なんとも粋なネーミングだな」と思っていたら、発売元はコカコーラ・ポーランド社と判明。「さすが業界大手は消費者の心を捉えるのがうまいな」とあらためて感心してしまいました。

左の青いボトルが、ガス入り水(gazowana)、右の透明のボトルが、ガスなし水(niegazowana)です。私はいつもガスなし水を愛飲しています。ガス入り水は、夏の暑いときにキンキンに冷えているものを飲むと美味しいのですが、ぬるくなってしまうとちょっと飲みにくくなるので、ガスなし水がお勧めです。


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ポーランドで運転免許をとる ①

2007年01月30日 | こぼれ話

実は昨年から自動車教習所に通っていたのですが、先日ついに運転免許を取ることができました。というわけで「こぼれ話」編の第一回のテーマは、『ポーランドで運転免許を取る』です。

自動車教習所の経営は、車と教室スペースさえあれば簡単にできるビジネスのため、今ポーランドには、実に沢山の自動車学校(Szkoła Jazdy)があり、その中から値段や立地などの条件のよいスクールを自由に選ぶことができます。自動車教習所、および教習車は青字のLのマークがトレードマークですが、街中のいたるところにこのL字マークがあふれています。

   

私の自動車教習所通いは、ふとしたことから始まりました。クラクフ郊外の私の家から徒歩5分のところに、普通の民家なのに青字にLの教習所マークの看板がついているおうちがあり、「え!?ここが教習所なの?」といつも不思議に思っていました。どっからどこを見渡しても普通の住宅地だし、所内の練習コースらしきものも一切みあたらないし..(後でわかったのですが、日本のように所内で練習してから公道へ、ではなく、ポーランドではいきなり路上スタートのため、どこでも自動車教習所が開けるのためです。)

去年あたりからそろそろ運転免許を取りたいと思っていたので、5月半ばのある日、散歩で前を通ったさいに、お家の人に「免許取りたいんですけど..」と尋ねてみました。するとなんとその日から始められることになったのです!

本当は5月4日から始まっていたコースだったので、いきなり学科の三回目からの途中参加となりました。しかもまだ全然お金を払っていないのに、教科書をもらい、授業を受講できました。(この辺がポーランドらしくて好きです!)授業料はテキスト代など込みで全部で1200zl、200zlの6回払い、支払い時期はいつでもOKとのこと。とうわけでこんな感じで半ば強引に、気が付いてみたら自動車教習の日々がスタートしてしまいました。
つづく

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ポーランドで運転免許をとる ②

2007年01月30日 | こぼれ話
私がポーランドで自動車教習所に通う際に、メリットとして考えていたのは以下の点です。(ただし世の中うまい話ばかりではなく、実際には裏話がありました。それについては後述します。)

 ・料金が安い 約1200zl=約5万円→実際にはもっとかかりました(後述)
 ・EUの全加盟で有効
 ・マニュアル車免許
 ・有効期限がない(一度とったら書き換えなし)
 ・日本の免許に書き換え可能(運転免許試験の相互免除に関する二国間取極、2004年発効)

もちろん事前に以下のようなデメリットも承知していました。

 ・免許取得までにものすごく時間がかかるらしい
 ・免許取得後、3ヶ月以上たたないと、日本の免許に書き換えることはできない

   

当初はただひたすら安上がりだからという理由ではじめた自動車教習所通いだったのですが、実際に通いはじめてから、加えていろいろとメリットがあることに気づきました。一番びっくりしたのは、生涯有効な免許をもらえるという点です。ポーランドでは、眼科医の診断期間によって、免許の有効期限がきまります。なので眼科医が生涯有効の診断をしてくれば、免許は生涯有効、書き換えなし!なんともびっくりですが、私も幸い生涯有効の免許を手にいれることができました。

またやはりポーランドでも他の欧州の国同様、マニュアル車免許の交付です。これもなんとなくお得な気がしました。(なんでもポーランド在住の某車メーカーさんのお話ですと「マニュアルのほうがオートマより燃費が良い」「オートマは高齢者が乗るもの」という考えがあるらしく、オートマ車は500台に一台くらいしかありません。)

さてさて異国ポーランドでの自動車教習所通いは、最初は恐ろしいくらいすべてがスムーズに進みました。学科の授業は、TESCO(テスコ)という郊外の大型スーパーの近くの中学校の校舎を借りての授業で、我が家からはだいぶ遠かったのですが、なにせ教官の自宅が我が家の近所ということで、毎回車で送り迎えしてもらえました。また5月後半からは路上教習も始まったのですが、これも自宅前スタート、自宅前終了となんともお手軽。「教習所通いってこんなに楽なのか!」とすっかり有頂天になってしまったのでした。

しかし後々になって、これがとんでもないハマリであることが判明したのです。デメリットもあるのは百も承知の上で始めたとはいえ...
つづく


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ポーランドで運転免許をとる ③

2007年01月30日 | こぼれ話

ポーランドでは、学科と技能の両方に国家試験があります。自動車教習学校の卒業試験を受けてから、さらに学科と技能の国家試験を受けるのです。学科試験は22zl(1000円弱)、実技は112zl(約4500円)とポーランドの所得水準と比較すると結構高く、しかも一回落ちると一・二ヶ月待たされるので、できるかぎり落ちないようにしなければいけません。ちなみに日本の制度と違い、一発合格というシステムはなく、運転免許交付には、自動車教習所の卒業が必須となっています。

まず学科試験ですが、あらかじめわたされた486題のうちから18問出題され、16問以上正解で合格となります。この学科試験の問題はCDなどで市販されているので、家で自由に練習できます。ただ問題18問といっても、問題一題につき各3つ選択肢が提示され、それぞれについて○×判定(マークする・しない)ですので、A、B、C、A・B、A・C、B・C、A・B・Cという7通りの正解が存在することになり、まぐれではまず当たりません。ですので、実質18x3=54題の○×、うち52問正答で合格、ということになります。

  

さてこの学科試験ですが、それなりに難しかったように思います。もちろん外国人である私にとって、すべてポーランド語での授業、試験だったわけですから、難しかったのは当然としても、ポーランド人にもそれなりに難しいらしく、結構落ちる人は居るみたいです。というわけで、念には念をいれて準備していった結果、学科はなんとか一回で合格することができました。学科試験に受かったら、次は技能試験に合格すれば、晴れて免許取得です。
つづく


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ポーランドで運転免許をとる ④

2007年01月30日 | こぼれ話

ところで「ポーランドでの運転免許取得はハマリ」と書きましたが、なにがハマリかというと、受からないんです、この技能の国家試験に!何ヶ月たっても!まず3回は落とされます。周りの経験談を聞いても、8回目で受かった人、10回目で受かった人、12回受けてあきらめた人までいて、とんでもないハマリらしいのです!一般に日本では「外国では日本より運転免許が取りやすい」というイメージがありますし、私もそう信じていたのですが、日本より難しい国もあることが判明。その典型がポーランドでした。

しかも一回落ちると、次の試験まで二ヶ月待ちで、その間公道での練習は一切できません。(日本の仮免のような制度はありません。)しかし初心者ですから、二ヶ月もたてば、習ったことをだいぶ忘れてしまいます。それでしかたなく、自動車学校を卒業した後、試験にそなえて、さらに運転技能の個人レッスンを受けざるをえなくなります。私も当初1200zl(約5万円)で済むと思ったら、この個人レッスン代がかさみ、結局トータルで約2500zlくらい(=約10万円)かかってしまいました。それでも日本で免許をとるのに比べたら、やはり格安なのでしょうが。しかしなんとも無駄が多いシステムです。(一方自動車教習学校の方は、プライベートレッスン代が入って大盛況。巷に自動車教習学校があふれているのにも納得です。)

   

元々ポーランドの運転免許試験は、おそろしく簡単でした。しかしやはり交通事故が多かったため、2000年度に試験制度が変更になり、今度は一気に難しくなってしまいました。まず所内での駐車などの基礎技能を確認の後、路上に出るのですが、受験者の70%が所内で落とされるという究極の難しさでした。それで2006年度にもう一度試験制度が改定されて、今度は所内が比較的易しく(図の枠内前進後退とハンドブレーキを使った坂道発進のみ)、かわりに路上が厳しくなったのですが、それでも所内で落とされる人が少なくありません。図をみるとあまり難しくないようにも見えるかもしれませんが、試験の審査がこと細かいのと、一度落ちると次に二ヶ月待たなければならないというプレッシャーから、脱落者が結構でてしまうのです。

あまりにも難しくて何回受けても受からず、ということで、皆どうしていたかというと、試験官に賄賂(ワイロ)を渡して、合格にしてもらっていたのだそうです。このワイロの相場は約1500zlとのことで、自動車教習学校が1200zlですから、かなりの高額です。(というか最初からこのワイロを受け取るために、試験の難易度が恐ろしく難しく設定されていたといえます。)しかしこれも昨年春までのことで、あまりのワイロ横行に困った当局は、昨年の4月から、試験用自動車に4台の監視カメラを設置し、徹底したワイロ防止策にでました。これで困ったのが、実は試験官です。いままでワイロが重要な副収入であったのを、いきなりワイロ禁止にされては、収入が減ってあがったり.. というわけで、受験生にとっても、依然として何度受けても受からない、泥沼地獄の試験になってしまいました。(落とせば落とすだけ受験料収入が増えるため。)

   

しかしそもそも、運転免許とは生活に必要なものであり、そのための試験も、落とすための試験ではなく、受からせるための試験ではなくてはいけないのに、へんな試験制度のせいで、運転免許をあきらめなきゃいけない人もでてくるなんて、なんか趣旨が本来の所からずれた所へ行ってしまっているとは思いませんか!?

結局私は、昨年5月から今年の1月末までと、免許取得に9ヶ月かかりました。これでも学科試験1回、技能試験3回で合格と、他に比べてだいぶ早い方だったと思います。何度かもうやめようかとも思いましたが、一度始めたものを途中で投げ出したくなかったので、なんとか最後までがんばりました。結局日本より安上がりに運転免許が取得できたので、結果オーライですが、この9ヶ月の間かなり神経をすり減らしましたので、人にはあまりお薦めしません。お金はかかっても、まじめに練習していればちゃんと免許がとれる日本のシステムの方が、はるかに健全だと思います。 終わり


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ご注意ください

2007年01月29日 | 日常生活

今日の夕方のニュースでやっていたのですが、クラクフ中央駅の治安が今後やや悪くなる可能性ありとのことですので、旅行者の方はお気をつけください。

なんでもクラクフ中央駅では今駅構内の工事をしていて、それにともない、今まであった警察の駅派出所が一時的になくなるそうです。そのため通報してから警察が通報地点まで到着するのにかかる時間が、いままでは10分以内だったのが、30分以上かかることが予想されるそうです。警察の方でも、駅職員の間でも、治安の悪化を懸念しているそうですが、今のところ解決策はないそうです。。

   

駅舎には浮浪者やホームレス、物乞いなどさまざまな人がいますので、十分気をつけてください。駅舎は遅くまで開いている上、人通りも多いので、こういった人達にとって、寒さをしのげる上に施しまで期待できる最適の場所なのです。

夜行列車や夜行バスを利用される予定の方は、なるべく駅舎内ではなく、隣接する ガレリア・クラコフスカ のカフェなどに入るか、中央広場付近のネットカフェなどで時間をつぶすのがよいと思います。


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エロス像、結局中央広場に置くことで決定

2007年01月29日 | 文化

置き場所を巡ってずっと議論が続いていたクラクフ・中央広場のエロス像ですが、結局どうやら中央広場の今の場所にそのままずっとおかれることになりそうです。
(これまでのいきさつについては前回の記事をご覧ください。)

もちろん今でも反対意見は根強くあるのですが、最終的な決定権が市長にゆだねられ、11月の統一地方選挙でその市長を選んだのがクラクフ市民で、その市長がOKと言っているのだからしかたがありません。それにしても当初の4ヶ月限定が一年になり、結局ずっとそのままになってしまうのは、なんともポーランド的... 最初からミトライ氏の作戦勝ちだったような気もします。

 

ただ私個人的にはやはり非常に残念に思います。このエロス像のような奇抜な彫刻は、巨大なパンテオンやコロッセウムを持つローマやアテネのような街に似合う現代アート。ルネッサンスやバロック建築のきめ細かい彫刻が美しいクラクフの街には、およそ不似合いです。そもそもスケールが釣り合っていません。

スケールということで言えば、パリの象徴であるエッフェル塔も、できた当初は景観を壊すと避難轟々だったようですが、時間が経つにつれ街に馴染んでくるようになったといわれています。クラクフのエロス像も、時間がたてば見慣れてくるのでしょうか。。ただパリのような大きな街と違って、クラクフはとても小さな町。見所は旧市街がほとんどですし、その中でも中央広場はクラクフの顔ともいえる存在の場所です。だから何もクラクフに置くにしても、旧市街のど真ん中の中央広場である必要はまったくないはずです。その点も反対派の人々から厳しく指摘されていた点で、例えばポズナニで展示会を行ったときも、旧市街の真ん中ではなくすこし外れた場所に設置されたことを挙げ、もっとふさわしい場所があるはずだ、と今回の決定を非難しています。(ちなみにエッフェル塔のある場所は、街の中心からはかなり離れています。)

贈り物は本来もらってうれしいものですが、受け取り方法を強制されるのも... 困ったことです。


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クラクフのユダヤ人 III イザークシナゴーグ

2007年01月29日 | 歴史

カジミエジュ地区は、中世の昔にクラクフの隣町として建設されたユダヤ人地区です。ポーランドのユダヤ人地区の多くが第二次世界大戦で破壊されてしまった中、このカジミエジュ地区は、中世から残るユダヤ人地区として、大変貴重な場所です。

カジミエジュには、数多くのシナゴーグが残っています。シナゴーグとは、キリスト教の教会にあたるユダヤ教の礼拝場所です。残念ながら戦時中にクラクフを占領したナチス軍は、シナゴーグの装飾品のほとんどを奪略しました。それでもいくつかのシナゴーグは、今日でも使用されています。

 

カジミエジュ地区の中心街、シェローカ通り広場やユゼファ通りに近いイザークシナゴーグでは、戦前のクラクフのユダヤ人の暮らしを、ビデオとパネル展にて紹介しています。

 

シナゴーグに入る際、男性は帽子をかぶらなければいけません。紙でできた帽子を入り口で借りることができます。

 

戦前はクラクフの人口の1/4がユダヤ人でした。ビデオでも、イザークシナゴーグ前の広場やユゼファ通りを黒背広に山高帽のユダヤ人が大勢行き来している様子を見ることができます。しかし現在カジミエジュ地区でその姿をみかけることはめったにありません。彼らは一体どこにいってしまったのでしょうか?

戦争のもたらした悲劇についてとても考えさせられる場所です。ゲットーの英雄広場にあるゲットー博物館とあわせて訪問されることをお勧めします。


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クラクフのユダヤ人 II プワシュフ労働収容所跡

2007年01月28日 | 歴史

クラクフのユダヤ人は、クラクフ・ゲットーに集められた後、クラクフ市街に隣接する、 プワシュフ収容所(DAWNY OBÓZ PŁASZÓW) に収容されました。

1943年、クラクフ・ゲットーが解体されると、ゲットーのユダヤ人はクラクフ郊外のプワシュフ強制収容所へ連行されることとなります。このプワシュフ収容所は、ユダヤ人の労働力搾取を目的としていたため、労働力の近く、すなわち市街地のすぐそばに設けられました。絶滅収容所ではないため、ガス室などの絶滅施設は設置されませんでしたが、それでも虐待行為は日常茶飯事であり、加えて日々の重労働から命を落とす人も少なくなく、収容されていたユダヤ人は、毎日死と隣り合わせの生活を強いられました。

 

映画『シンドラーのリスト』にも登場しますので、ご存知の方も多いかもしれません。 シンドラーは、自身の工場をプワシュフ収容所の所属とし、工場の敷地内にプワシュフ収容所所属の私設収容所を設置、工場のユダヤ人労働者を強制労働収容所へ送ることなく、引き続きシンドラーの工場にとどめました。 過酷な労働条件の上、日常的な虐殺が耐えなかったプワシュフ収容所に比べ、シンドラーの工場での労働は、天と地の差でした。

 

プワシュフ労働収容所は、1944年に解体され、クラクフのユダヤ人はすべて絶滅収容所として悪名高いアウシュビッツへ送られることとなりました。この時すでに東側からソ連軍が快進撃を続けており、証拠隠滅のため、プワシュフ労働収容所は閉鎖されることになったのです。

 

このプワシュフ収容所があった場所は、現在モニュメントが残るのみです。収容所の建物自体は戦時中に解体されてしまった為一切残っておらず、また敷地も空き地のまま再開発もされていません。

このプワシュフ収容所跡へのアクセスですが、なにせクラクフの住宅地が、このプワシュフ収容所跡を避けるような形で広がっているため、距離の割りに非常に交通の便が悪いです。中心地からは、バスやトラムを乗り継ぎ、さらに停留所からも徒歩30分くらいかかります。一番よいのははタクシーです。でも運転手さんにびっくりされるかもしれません。それほど訪れる人がほとんどいない場所です。


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クラクフのユダヤ人 I クラクフのユダヤ人墓地

2007年01月28日 | 歴史

クラクフ・カジミエジュ地区、ミオドーヴァ通り(ul.Miodowa)を東へ進み、スタロヴィシルナ通り(ul.Starowiślna)を渡ってさらにいくと、ユダヤ人墓地があります。「地球の歩き方」などのガイドブックにも記載がないため、観光客の姿はほとんど見かけることは無い場所です。

このユダヤ人共同墓地の入り口の一角に、第二次世界大戦で犠牲になったユダヤ人の合同慰霊塔があります。クラクフには、第二次世界大戦開始前に、およそ6万5千人のユダヤ人が住んでいました。当時のクラクフの人口がおよそ24万人ですから、約4人に1人がユダヤ人であった計算です。しかしそのほとんどが、第二次世界大戦にて、ベウジェツ(Bełżec)、マイダネク(Majdanek)、アウシュビッツ(Auschwitz)などの絶滅収容所へ送られ、ガス室の露と消えました。

  

この慰霊塔をよく見ると、様々な形に切り取られた別々の墓石からできているのがわかります。周囲の壁も、同様にモザイク状に切り取られた墓石が敷き詰められているのが認められます。これは、ポーランドを占領したナチス軍が、ユダヤ人墓地から墓石を切り取り、こともあろうに、強制収容所の周辺の道路の舗装に使ったためです。戦後になって、道路にされていた墓石を回収し、このような慰霊塔としたのです。ナチス軍の残虐さは、ユダヤ人の生者を殺害するにとどまらず、このようにユダヤ人墓地を徹底的に破壊することで、死者への冒涜も行ったのでした。
つづく


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