千年来のカトリックの国、ポーランドにも、その昔、異教の神を信仰していた時代がありました。
今となってはカトリック一色となったポーランドの街並みに、異教時代の面影は殆ど認められません。それでも辛抱強く、よーく眼をこらして探してみてください。例えば、クラクフ旧市街南にそびえ立つ、ヴァヴェル城。その城下に、スラブの神様は、今でもひっそりと立っています。
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其の名も、太陽神、シヴィアトヴィド(Światowid) -
このシヴィアトヴィドは、キリスト教以前、西スラブ人によって広く信仰されていた神さまです。白馬にのった軍神で、東西南北を見渡す四つの顔を持ち、またの名を太陽神と呼ばれ、五穀豊穣の神であり、同時に戦争の神でもありました。呼び名の由来は、世界を見渡す神-シヴィエントーヴィド(Świętowit)が訛ったものといわれています。
元々ポーランド人を含むスラブ民族は、スラブ神話の神々と精霊を信仰する多神教の民族だったのが、千年の歴史を経て、徐々にキリスト教化されていったものです。異教時代、スラブ民族は文字を持っていなかった為(文字はキリスト教とともに伝来)、現代スラブ神話として知られるものは、すべて口承民話によるところですが、それでも、この太陽神シヴィアトヴィドをはじめ、雷神ピョルン、狩猟の女神ジェヴォーナなど、さまざまな神話が伝わっています。
しかしカトリックの影響が非常につよい現代ポーランドにおいては、国史においても、966年のキリスト教受容からが重要視される傾向があります。それゆえ、キリスト教受容以前については、今から高々、千余年前のことに過ぎないにもかかわらず、ともすると異教時代の歴史そのものが、「先史扱い」か、もしくは「神話と同格扱い」になってしまうこともあります。実際、一体何人のポーランド人が、このシヴィアトヴィドについて知っているかは、まったく未知数です。
このシヴィアトヴィドが立っているのは、ヴァヴェル城下、ゲルトルーディ通りとストラドムスカ通りの交差点の緑地の一角です。旧市街中央広場からは、グロツカ通りをまっすく進んだ突き当り交差点向かい、トラムなら、Wawel駅下車、徒歩1分のところです。最近向かいに立てられた「カティンの森事件犠牲者の追悼碑」の方が目立つので、その影に隠れて、このシヴィアトヴィドには、殆ど立ち止まる人もいません。それでもシヴィアトヴィドが大好きな私は、いつも前を通るたびに、そっと拝んでしまいます。