ポーランドからの報告

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ヨハネ・パウロ二世の列福調査 I

2007年03月31日 | ヨハネ・パウロ2世

先代ローマ教皇であるヨハネ・パウロ二世の二回忌を4月2日に控え、今ポーランドでは、ヨハネ・パウロ二世の列福調査についての話題で連日もちきりです。とくにヨハネ・パウロ二世が生前に行ったとされる奇跡について、ポーランド国営放送(TVP)などで、連日トップニュースで報道されています。

福者(Beato) とは、徳と聖性を認められた信徒に対し、死後に与えられる称号とされています。バチカンのローマ教皇庁にて列福(Beatificatio)されることにより、福者となります。 列福されるには、まず当該人物の出身の司教区にて徳と聖性についての調査(列福調査)が行われ、その資料はローマ教皇庁の列聖省に送られて、再び審査されます。この二度の審査により福者の位置に加えるのがふさわしいと判断されると、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂において列福が宣言されます。 さらに列聖調査がおこなわれ審査に通れば、列聖(Canonizatio)され、聖人(Saint)に列せられることになります。

   

この列福審査の中で、一番重要となるのが、生前その人物が奇跡を起こしたかです。というのは1831年の教改正以降、殉教者を除き、列福には、生前に1つ以上の奇跡、つまり現代科学で説明できない超科学現象を起こしたという証拠があることが望ましいとされているからです。そのためヨハネ・パウロ二世の場合も、生前に奇跡を行ったかどうかが、列福されるかの焦点のひとつとなっています。

現在連日メディアでの列福報道が過熱しているのは、ヨハネ・パウロ二世が奇跡を行ったと証言する修道女(シスター)が現れたからです。フランスの修道女マリー(Marie-Simon- Pierre)さんは、医者もさじを投げたほどのパーキンソン病をわずらっていましたが、ヨハネ・パウロ二世の奇跡により、すっかり病状が回復したのだそうです。これまで表舞台には姿を現しませんでしたが、ヨハネ・パウロ二世の列福がいよいよ近くなったため、今回メディアに登場したのだそうです。

通例、列福調査は該当人物の死後5年が経過しないと開始されず、また一連の列福調査から列福までの手続きには死後数十年を要するのが通常とされています。例外として、生前から聖女の呼び声が高かったマザー・テレサが、死後6年で列福されていますが、来月2日の二回忌を機に、今回ヨハネ・パウロ二世が列福されれば、史上もっとも早い列福となるため、各方面から注目されています。とくに現教皇のベネディクト16世は、就任当時からヨハネ・パウロ二世の列福に意欲的で、逝去からわずか1年2ヵ月後の2005年6月に早くも列福調査を開始しており、今後の展開が期待されています。

ところでヨハネ・パウロ二世自身、晩年長きにわたってパーキンソン症候群をわずらっていたのは有名ですが、フランスの修道女に奇跡を起こしパーキンソン病を治したのなら、なぜ自分の持病は奇跡で治せなかったのかな~などとふと思ってしまいました(素朴な疑問として)。ちなみに日ごろからポーランド・カトリック教会がポーランドの政治やメディアに顔を出しすぎることに批判的な我が家の夫は、今回のヨハネ・パウロ二世の列福調査についても、公共のマスメディアが、列福調査について連日トップで報道していることで、またまた機嫌が悪くなっています。というわけで、とりあえず今後もヨハネ・パウロ二世の列福調査に注目したいと思います。


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ポーランド人とカトリック I

2007年03月30日 | 文化

ポーランドはカトリックが国教の国。国民の95%以上がカトリックの幼児洗礼を受けています。日ごろ教会に行くかとか、お祈りをするかとかは、個人差が大分ありますが、それでもポーランド人の殆どが、カトリック教徒としての誇りを持っており、それゆえ日常生活はもとより、政治や教育の場にいたるまで、聖書やカトリックの教えの影響が非常につよく認められます。

   
   

最近の若者の間では、教会に足を運ぶ人の数がめっきり減ってきているようですが、それでも街のあちこちにある教会の中に一歩入ると、「こんなに大勢の人が中にいたのか!」とびっくりするほど、大勢の人が熱心にミサに参列している光景に出会います。同じ中央ヨーロッパでも、宗教色がだいぶ薄れてきているドイツやチェコとは異なりポーランドでは、カトリックは、今もなお、生活の隅々まで根付いています。


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復活祭とうさぎ

2007年03月29日 | 日常生活

うさぎは、イースターエッグやにわとり、ひよこ、子羊と並んで、復活祭のシンボルです。うさぎは多産であるため、「子孫繁栄」の象徴であると考えられています。復活祭の食卓では、テーブルにうさぎのマスコットを飾り、ハムやソーセージとともにウサギ肉のペーストが並びます。

   

写真はうさぎをモチーフにした紙ナプキン。毎年この復活祭の時期になると、このようなイースター仕様の紙ナプキンが販売されます。おてもかわいらしいし重くないのでお土産にもお勧めです。


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復活祭

2007年03月27日 | 日常生活

今年の復活祭は4月8日です。ポーランドでは、復活祭の主日(8日)と翌日の復活祭の月曜日(9日)は、休日となりますので、旅行者の方はご注意ください。

復活祭は移動祝日といわれ、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が変わります。今年は4月8日ですが、来年は3月23日とだいぶ早まります。去年は4月16日とだいぶ遅めでした。

   

もともと復活祭は、ユダヤ教の「過越の祭り」と同じ日に祝われていたといわれています。この「過越の祭り」は「ニサンの月」(ユダヤ教の太陰暦で3月~4月にあたる月)の14日と決まっていました。しかしキリスト教が各地に広まっていく中で、復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こり(パスカ論争)、その結果、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日が復活祭の日とされました。これはグレゴリオ暦では、3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日になります。

毎年復活祭の季節がくると、やっと本格的な春の始まりという感じがします。なので復活祭が早い年は春の訪れも早く感じて心が軽くなるし、逆に復活祭が遅い年は、春の訪れも遅く感じて何か損をした気分になってしまうのは、私だけでしょうか。。


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中央広場のイースター市

2007年03月26日 | 日常生活

昨日からサマータイムになりました。日照時間もだいぶ長くなり、春の訪れを感じさせます。

4月上旬の復活祭(イースター)を間近に控え、各地の中央広場にはイースター市が出ています。写真はクラクフ・中央広場のイースター市。色とりどりのイースターエッグや、復活のシンボルであるにわとりやひよこ、ウサギのマスコットが並んでいます。どれもとてもかわいらしく、値段もお手ごろ。地元の人向けの市ですが、旅行のお土産品として買ってみるのもお勧めです。

   
   


[写真]イースター市:買い物客の装いは厚手のジャンパーなど冬の服装ですが、色鮮やかなイースタークッズが、「春」を感じさせます。

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アダム・マウィシュ選手がシーズン総合優勝!

2007年03月25日 | マウィシュ

スキージャンプW杯の試合がすべて終了し、ポーランドのアダム・マウィシュ選手(Adam Małysz、日本のメディアではマリシュと表記)が1453点でシーズン総合優勝しました!

今日3月25日スロベニアのプラニツァ(Planica)で行われた個人最終戦フライングヒル大会(HS215m、K点185m )にて、アダム・マウィシュは、215点で今季9勝目、通算38勝目の勝ち星を挙げ、4シーズンぶり4度目の個人総合優勝がきまりました。

もちろんポーランド人は大喜び!新聞各紙やテレビ・ラジオなどのメディアでは、いずれもトップニュースでこの吉報を伝えていました。

  

ところでポーランドには、競馬や競輪ならず 競スキージャンプ なる賭け事があります!W杯ジャンプ大会ごとに マウィシュ-アマン、マウィシュ-ヤコブセン、モルゲンシュタイン-アマンなどと、1着-2着を予想し賭けるのです。ポーランド人はもちろん皆マウィシュ選手を応援するのでマウィシュが上位の配当は低くなるのですが、それでもマウィシュ選手が買った日は、ただでさえうれしい上に配当金も入り、いっそうビールがおいしくなります。

次のジャンプ大会は今年8月。だいぶ時間が空いてしまいますが、マウィシュ選手にはこのままのコンディションで次回試合に向けてがんばってもらいたいと思います。

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国民生命の日

2007年03月24日 | 一般

今日3月24日は、Narodowy Dzień Życia-「国民生命の日」 でした。新しい家族を築くことのすばらしさ、そして生命の尊さを国民一人一人が考える日ということで、2004年8月27日にポーランド国会で祝日に制定されました。

今年のテーマは Razem na zawsze-ずっと一緒にいよう!  新しい生命の誕生する場である家族、その家族の大切さ、両親が一緒にいることのすばらしさを考えよう、というテーマだそうです。今年で3回目と、まだまだ知名度が低いため、 ポーランド国営放送(TVP)の夕方のニュースなどで積極的にとりあげていました。

   

その夕方のテレビのニュースによれば、ポーランドの最近の離婚率は33%だそうです。カトリックのお国柄から、そして日本以上の住宅難から(離婚しても住む家がないため離婚できない)、以前は離婚はほとんどありませんでしたが、最近は多くなってきています。もちろん男女のごたごたはどこの国にでもつき物で、ポーランドでも、登場人物みんなが不倫しているメロドラマがあったりと、「離婚」というのはすごく日常的なテーマです。とはいえ西欧諸国に比べると、まだまだ低い数字なのが幸いといえます。(ちなみに日本の離婚率は38%)

またポーランドでも少子化問題は深刻で、女性一人が生涯に生む子供の数(合計特殊出生率)は 1.39(2004年度)と、他の先進国同様非常に低い数字となっています。 カトリックが国教のポーランドでは、生めよ増やせよをモットーに多産を賞賛しているため、妊娠中絶は原則ご法度、出産も医療保険で一切無料なのですが、出生率が一向に伸びません。幸い私の周りでは、私自身を含め最近ベビーブームなので、少し期待したいところです。ちなみに 「赤ちゃんポスト」 の制度が日本でも熊本市の慈恵病院で導入されて話題になりましたが、ポーランドでもいち早く導入されており、 少子化対策への取り組みは非常に積極的です。この「生命の日」の祝日の制定で、さらなる出生率の伸びが望まれています。

ところでここはひとつ、日本政府にも同様の祝日なりキャンペーンを、是非期待したいところです。


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ビゴス論

2007年03月23日 | ポーランド料理

ビゴス(Bigos)は起源も古く伝統のあるポーランド料理です。

酢キャベツ(サワークラフト)に、豚肉・牛肉、きのこやスパイス、たまねぎ、プルーンなどを加え、大鍋で煮て作ります。適宜スパイスや野菜を足しながら何回も煮込むのが伝統的な作り方で、キャベツがくたくたになるまで2・3日じっくり煮込むのがポイントです。煮込めば煮込むほど美味しくなるといわれ、「ビゴスは二日目からがおいしい」といわれています。

   

 [写真]狩猟人風ビゴス

ビゴスにまつわるこんなエピソードがあります。今からおよそ3年前、EU加盟を目前に控えた2004年4月下旬、レストランでビゴスが出せなくなるのでは、との懸念がメディアをにぎわせました。ビゴスの調理方法がEUの食品衛生基準に合わないので、ポーランドEU加盟後はレストランのメニューから外すようにEUが決定したというのです。

もちろんポーランド人は大反発!「ポーランドの伝統に根付いている料理をポーランド人が食べることをEUが禁止する権利はない。」EU加盟の日まで、メディアを中心に議論や憶測が飛び交いました。結局、一転して加盟後もレストランでビゴスを出してよいことになり、5月1日ポーランドは晴れてEU入りの日を迎えたのでした。

アダム・ミツキエヴィチの代表作『パン・タデウシュ』にも記述があるように、ビゴスはポーランドの伝統料理の代表格です。世界中どこにいてもポーランド人はビゴスが恋しくなります。2005年の愛知地球博でも、ポーランド館のレストランでビゴスを出して大好評でした。


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ホテル・ディアメント

2007年03月22日 | ホテル

カトヴィツェで開かれるヘヴィーメタルの祭典、メタルマニアの開催日が近づいてきました。我が家も夫が行きたがっていたのですが、今回は私が妊娠中ということで、遠出は控えてもらいました。というわけで、メタルマニア開催にちなんで、今日はカトヴツェのお勧めホテルをご紹介します。

ホテル・ディアメント・カトヴィツェ Hotel Diament Katowice
Diament とは「ダイアモンド」の意味。名前の通り、宝石のように素敵な洋館です。カトヴィツェ中央駅から徒歩5分、中央広場にも好アクセスです。

 

カトヴィツェは、ポーランド南西部の大工業都市で、かつて社会主義時代はスターリングラードの名前で知られていました。ワルシャワから特急で2時間半、クラクフからも1時間20分と交通の便はよく、昨今はヨーロッパ系格安エアラインがカトヴィツェ空港へ就航しているため、西ヨーロッパからも好アクセスです。

そして今回のメタルマニア初め、U2など世界規模のアーティストがコンサートを行うイベントの街。もちろん宿泊施設は沢山ありますが、それでもイベント開催時は、よほど早くにホテルを予約しないと、すぐに満室になってしまいます。


このホテル・ディアメントは、カトヴィツェ近郊の街グリヴィツェにも系列ホテルを持っていますので、あわせてご紹介します。

ホテル・ディアメント・グリヴィツェ Hotel Diament Gliwice
グリヴィツェ駅と中央広場の両方に好アクセスな三つ星ホテルです。

 

グリヴィツェは地方工業都市ですが、NGKポーランドなど日本企業の進出が相次いでおり、日本人も頻繁に渡航する街です。アクセスはカトヴィツェ、クラクフまたはヴロツワフからが便利です。


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ビドゴシュチュ訪問記 ③

2007年03月21日 | 人々

今回夫と妹がビドゴシュチュに呼ばれたのは、 Międzynarodowe Studium Turystyki i Kultura という旅行関係の専門学校にて、日本についての講義をするためです。

この学校、とても変わっていて、授業がすべてエスペラント語で行われます。エスペラント語とは、当ブログ「ポーランドからの報告」でも以前紹介しましたがユダヤ人ザメンホフが作った人工国際共通語で、ポーランドやロシアを中心に、愛好家によって話されている言語です。校長の A.Grzębowski 氏は、自ら経営する 旅行代理店Flugo にて、通常のパッケージツアー旅行のほかに、エスペラント愛好家のために世界エスペラント大会へのキャラバンを出しており、その延長で1991年に授業をすべてエスペラント語で行う旅行専門学校を作るにいたりました。エスペラント愛好家の間でも、 INTERNACIA STUDUMO PRI TURISMO KAJ KULTURO (ISTiK) と呼ばれ、世界的に有名になっています。

建物は三階建てで、一階が旅行代理店Flugo、二階がA.Grzębowski 氏の自宅、三階が ISTiK の教室となっています。

   

 [写真] ISTiK 校長の A.Grzębowski 氏 (右)

今年の8月に、第92回世界エスペラント大会が横浜で開かれるため、Flugoでは、日本への旅行キャラバンを企画しています。そこで今回私の夫と妹が、学生や旅行希望者向けに、日本についての講義を頼まれたのでした。

   
   

 [写真] 日本旅行・参加希望者への説明会

そして下が学生への授業風景。写真のとおり、学生はもっぱら外国人です。中国人学生が非常に多く大多数を占め、アフリカ諸国からの留学生もちらほらといました。夫によると、エスペラント語での講義は簡単でしたが、教わる側の学生のエスペラント語のレベルが人によってさまざまで、どのくらい理解してもらえたのか不明とのこと。エスペラント語を上手に話せる人もいれば、まったくの初心者も結構多かったようです。とくに中国人学生に初心者が多く、あまりにも通じない場合は、エスペラント語ではなく日本語の単語を黒板に漢字で書くと、わかってもらえたようでした。それにしても 移民のほとんどいないポーランドですが、ここビドゴシュチュの ISTiK は、もはや他民族都市の様相を見せていました。

   
   

 [写真] 授業風景: 居眠り、途中退室なんでもありだったそうで...

しかもこの前の学期では、中国人学生の大部分が逃走してしまい、オドラ川を泳いで渡っているところを国境警備隊に見つかってお縄となったそうで、、 ISTiK入学の条件はエスペラントを理解すること、そして一年の学費は1200zl=約5万円と一般大学に比べ非常に手軽なことから、どうやら学問のためではなく、ヨーロッパ移住のためのビザ獲得手段として利用してる人もいるようなのでした。

とこんなわけで、夫と妹は、無事4日間の講義を終えて帰ってきました。ビドゴシュチュ滞在は、とても「濃い」体験になったそうです。


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