ポーランドからの報告

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アウシュビッツ=ビルケナウ収容所の改名騒動

2007年01月27日 | 歴史

日本からポーランドにくる旅行客の方のほとんどが、アウシュビッツ収容所を訪れます。しかしポーランド人に「アウシュビッツに行く」というと、あまりよい反応が返ってきません。「せっかく日本から来たのだから、わざわざそんな所に出かけなくてもいいのに」「クラクフには、ヴァヴェル城や中央広場、ヴィエイリチカ岩塩坑など他に見るべき所は沢山ある」と、皆一様に苦虫をかみつぶしたような顔になります。

どうしてかと理由を夫に尋ねたところ、意外な答えが返ってきました。「アウシュビッツ収容所はポーランドにあるのだから、ポーランド人がこの強制収容所を造ったのだろう」と誤解されることを、ポーランド人は大変恐れているのだというのです。現にイスラエルでは「ポーランド人がアウシュビッツ収容所を造った」と考える人がいて、ポーランドに対する恐怖と憎悪の念が一部であり、そうでなくとも歴史的にポーランドは反セム人種的な国であるという印象が知られているので、それ故ポーランド人は濡れ衣を着せられるのを大変嫌悪しているのだそうです。

「むしろ勘違いということなら、日本では、アウシュビッツはドイツにあると思っている人も多い」と私が説明すると、今度は夫の方が、とても意外という顔をしました。日本ではアウシュビッツの悲劇というと、ドイツ人(ナチス)vs ユダヤ人という捕らえ方が一般的だと思います。「ポーランド人がアウシュビッツ収容所を造った、などという発想は、およそ出てこないだろう」と付け加えると、ほっとした顔になっていました。

  

それにしてもポーランドに来てからわかったのですが、ポーランド人は神経質なまでに「ポーランド人がアウシュビッツ収容所を造った」と誤解されることを恐れているようです。それを象徴しているのが、昨年夏に一部で話題になった、アウシュビッツ収容所の改名騒動です。

アウシュビッツ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ、オシフィエンチムなどさまざまな呼び方をされるこの強制収容所ですが、ユネスコ世界遺産登録での正式名称は、Auschwitz Concentration Camp (アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所) となっています。この正式名称をめぐってポーランド政府から改名の要請が出ており、現在ユネスコ側との調整が続いています。ポーランド政府いわく、現在の名称は「ポーランド人がアウシュビッツ収容所を造った」との誤解を招くので、the Former Nazi German Concentration Camp of Auschwitz(旧ナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所) に変更するよう、昨年3月からユネスコに提案しているのです。変更後の名前では、旧ナチス・ドイツによる収容所であることを明確に示す名称となっています。

この改名騒動の始まりも、アメリカやドイツなど欧米のメディアで、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所が「ポーランドの強制収容所」と紹介されたことがきっかけといわれています。それをうけ直ちにユネスコに改名を要求するほど、それほど神経質なまでに、「ポーランド人がユダヤ人を迫害した」と思われることを、ポーランド人は嫌っているのです。

さてこの改名騒動ですが、昨年夏にリトアニアで開かた会議では、ユダヤ人団体の反発を受け、当面のあいだは見送りとなっています。今後の展開に注目したいと思います。


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ホロコースト記念日

2007年01月27日 | 歴史

62年前の今日1月27日、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所解放が、ソ連軍によって解放されました。

アウシュビッツ=ビルケナウ収容所では、第二次世界大戦中、ユダヤ人をはじめヨーロッパ中の28の民族が強制収容され、重労働をさせられた上殺されました。アウシュビッツAuschwitz、ビルケナウBirkenau はそれぞれドイツ語の地名で、ポーランドでは「Oświęcim(オシフィエンチム)」、「Brzezinka(ブジェジンカ)」と呼ばれています。クラクフの西70kmのところにあり、バスで1時間半ほどです。

  

アウシュビッツ収容所の入り口はには『働けば自由になる』と書かれた標識が掲げられています。この門をよく見ると、3番目のBの文字が上下さかさまにつけられているのがわかります。この門を作らされた囚人が、せめてもの抵抗として、わざと逆につけたと言われています。

  

日本同様ヨーロッパでも、第二次世界大戦の悲劇が徐々に忘れられてきています。なんでも、イギリスの高校生の約50%が、アウシュビッツが何の名前だか知らないのだそうです。とはいえポーランドの学生は、中学校や高校の課外授業で必ずアウシュビッツ=ビルケナウを訪れますので、ほぼ全員がこの悲劇について多かれ少なかれ知っていますが、それでも当時の生存者の方も少なくなってきており、歴史教育に改めて力を入れる必要性を痛感します。

一昨年の60周年時より、毎年1月27日がホロコースト記念日に定められました。今日は当地で記念式典が開かれています。



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