ポーランドからの報告

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ポーランド人はレモンティー派

2006年11月28日 | 雑学

ポーランド人は、とてもよくお茶を飲む民族です。
なんでも、年間の紅茶消費量は、イギリスに匹敵するほどとか。

ポーランドでは、紅茶といえば、レモンティー。カフェで紅茶を注文したり、ご家庭にお邪魔してお茶をいただいたりする際、出された紅茶には、半ば自動的にレモンが付いてきます。お決まりのフレーズ、「レモンにしますか?それとも、ミルクにしますか?」 は、ポーランドでは通常聞かれることはありません。

というのは、ポーランドでは、ミルクティーは、子供の飲み物と考えられているからです。ですので、大人になったらもう飲まないし、お客様にも出しません。当然のことながら、カフェでも注文できません。(そもそもメニューにすらありません。)

奇遇なことに、そのミルクティーの本場、イギリスには、労働移民として、現在約100万人のポーランド人が住んでいます。イギリスでは、紅茶といったらミルクティーですが、イギリスのポーランド人は、やはりミルクティーの本場にいても、断固レモンティーなんでしょうか?それとも、イギリス紳士風に、ミルクティーをたしんでいるのかな?

   

ポーランド人の常套文句の一つに、「イギリスやドイツは、ポーランドと文化が違いすぎる」というのがあります。西欧・東欧の違いを言っているのかというと、そうでもなくて、「ロシアやウクライナは、ポーランドと文化が違いすぎる」という風に、同じスラブ人東欧国家の中でも、違いを強調したがります。いつもそれを聞くたびに、「そんなことを言ったら、日本なんてどんななのよ!」と激しい突っ込みを入れたくなる私だったのですが... だって世界的に見たら、文字や宗派の違いこそあれ、イギリスもドイツもポーランドもロシアも、白人・キリスト教・ヨーロッパ文化圏という風に、大まかに一括りにできるわけですから。

でも、日常の生活習慣のちょっとした違いや、些細なことほど、違いというのは受け入れがたい、ということなのかな、と最近思うようになりました。例えば、紅茶一つとっても、レモンティー派のポーランド人に、ミルクティー派のイギリス人。しかもポーランドで子供の飲み物であるミルクティーを、イギリスでは着飾った英国紳士や貴婦人が、高級カフェで飲んでいる- ポーランド人にとっては、これは多分カルチャーショックなのでしょうね。(日本でいったら、お雑煮の味がすまし味の関東人と味噌味の関西人が、結婚してからもめるとか。) またロシアの一般家庭では、サモバルという大きな3リットルくらいの容器に、紅茶を作り置きして、そこから飲むのですが、ポーランド人は、それを見てやはりカルチャーショックを受けるようです。(ポーランドでも昔はそうしていたみたいなんですが。)

イギリスのポーランド人が、イギリスにレモンティーを、イギリス帰りのポーランド人が、ポーランドのカフェのメニューに、(大人の飲み物としての)ミルクティーを、いつのまにか流行させたら、とても面白いですね!


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トラムを乗りこなす

2006年11月27日 | 日常生活

街中を網目のように走るトラム。ちょっとの買い物から、通勤・通学まで、地元の人の足となっています。観光にも便利で、ワルシャワやポズナニのように、見所が分散している街では、やはりトラムに乗って効率よく要所を見て回るのがベターです。最初はわかりにくく戸惑うこともあると思いますが、慣れてくると、とても楽なことに気づかされます。

トラムに乗るには、まずキオスクでチケットを買います。このチケットはバスとの共通チケットで、各自治体によって別々の物です。したがってワルシャワのトラムの券は、クラクフでは使えません。種類も各自治体によってさまざまで、例えばクラクフなら、一回券が2.5zl、一時間券が3zl、ポズナニでは10分券が1.2zl、30分券が2.4zlなどとなっています。そして乗車したら、自分で改札します。改札をしないと、たまに抜き打ちで検札がきたときに、無賃乗車とみなされてしまいますので、必ず改札しましょう。周りの人を見てみると、乗ってきても改札していない人が多いようにみえますが、みな殆どの人が、定期券か時間券を持ってるために、改札しない人達です。みんな改札していないから平気かな~、なんて思って改札しないでいると、自分だけ捕まってしまうことになります。。。

ちなみに、クラクフでは今、道路工事にともなってトラムの路線が大幅に変更されています。停留所に、白い数字の番号で示されている路線は変更なし、黄色い番号で示されている路線が、一時変更になった路線です。黄色い番号の路線は、ガイドブックや地図にあるものと経由が違いますので、よく注意しましょう。わからないときは、手っ取り早く、そこら辺にいる人に聞くのがよいと思います。みな親切に教えてくれます。

   

ところでポーランド人は、トラムやバスの中で、年配の方や妊婦、幼児を抱いた母親が乗ってくると、すぐに席を譲ります。日本では、優先席に座っていて、お年寄りが乗ってきても、見てみぬふりの人が多い中、ポーランド人のマナーの良さには脱帽しました。皆、いやいやではなく、ごく自然に席を立つ人ばかりなんです。しかし中には、乗ってきて、自分から「席を替わってくれ」と言って、若者をどかせて、席に着くおばあさんも^^ トラムで自然に席を譲れるようになったら、ポーランド流・トラム乗りこなし術は、もう完璧です。


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屋根裏部屋に泊まる

2006年11月25日 | ホテル

ポーランドは元共産主義の国なのだから、物価も安いんじゃないか... そう考えがちなのですが、実際はそうでもなく、日本と比べて大して変りはありません。とくにホテルの宿泊代などは、外国人相手の商売のため、正規料金で一泊2万3万はざらです。

というわけで、旅行者は、いかに安い料金でいいホテルに泊まるか..をいろいろと思案することになるわけですが.. 工夫の一つに、屋根裏部屋に泊まってみるという手があります。屋根裏部屋は、天井が斜めになっているため、やや利用しにくく、そのため通常よりも安い価格に設定されていることがあるからです。例えば、クラクフのホテル・ヴィト・ストフォシュ(Wit Stwosz)このホテルの料金表 を見てみると、4階の部屋はスペシャル価格となっていて、通常価格より少し安くなっています。これが、屋根裏部屋特別価格(!)です。

   

ホテル・ヴィト・ストフォシュは、中央広場に程近い、ミコワイスカ通りに立っており、ロケーションもよく、非常にお勧めの三つ星ホテルです。ただ一つこのホテルの難点を挙げるとすれば、発音が難しいこと(爆)! タクシーに乗って運転手さんにホテル名を言っても、わかってくれるかどうか。。ちなみに ヴィト・ストフォシュ とは、16世紀のポーランドの有名な芸術家で、クラクフの聖マリア教会の、有名な中央の祭壇(ヴィト・ストフォシュ祭壇)を創った人物です。


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カティンの森事件

2006年11月24日 | 歴史

カティンの森事件 とは、第二次世界大戦初期に、ソ連のスモレンスクにほど近いカティン(Katyń)の森で、約25,000人ものポーランド人の戦争捕虜・インテリ・軍幹部などが、ソ連のNKVD(ソ連の内務省、秘密警察)によって、銃殺され埋められた事件です。

この衝撃的な事件は、第二次世界大戦終了後も、実質ソ連支配の傀儡政権下では、調査されることもないまま、隠蔽されてきました。しかし1990年代の一連の体制変換を経て、やっと国内でも独自の調査ができるようになり、広く国民一般に知れ渡るようになりました。

   

もちろん、広く知れ渡るや、多くのポーランド人が、衝撃と激しい怒りを感じることとなりました。ワルシャワの、ロシア大使館の真向かいに「カティン記念館」が設立され、クラクフでは、一番観光客が多く集まる、ヴァヴェル城の入り口付近に、「カティンの森事件犠牲者の碑」(写真)が立てられました。元々ポーランドでは、第二次世界大戦では、ナチス軍よりも、ソ連軍の蛮行が恐ろしかったと証言する人が多数いるのですが、この事件も、それを裏付ける事例の一つと言えるかも知れません。

この「カティンの森事件」に対して、ポーランド政府は、ロシア側に謝罪と補償を求めていますが、ロシア側は一切応じていません。もちろんポーランド側も食い下がらず、現行のカチンスキ双子政権でも、「カティンの森事件の解決(=補償)」を、外交カードとして、事あるごとに持ち出しており、それを嫌悪するロシアとの外交関係が、現在かつてないほど悪化しています。( 関連記事

カチンスキ双子政権は、その発足当時こそ、国民からの支持率が、野党「市民プラットフォーム(PO)」と半々でしたが、最近では、対ロシア強硬路線に出る度に、支持率を上げています。その背景の筆頭には、もちろん、この「カティンの森事件」があります。ポーランドでは、第二次世界大戦は、まだ終わっていないのです。


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ビックリ仰天

2006年11月24日 | 歴史

先日中央広場を歩いていたら、広場の一角の建物正面に、ナチスの鉤十字(ハーケンクロイツ)のついた大きな赤い垂れ幕がかかっているのを発見し、何の騒ぎかと、びっくり仰天してしまいました。

その後家に帰って調べてみたら、映画のロケ撮影だったことが判明。「灰とダイヤモンド」「地下水道」などの名作がある、アンジェイ・ヴァイダ監督の新作 「Post Mortem.Opowiesc Katynska (カティン物語)」 という映画で、第二次世界大戦中の実話、 「カティンの森事件」 を題材にしており、今年の10月からクラクフなどで撮影に入っているとのことです。

残念ながら現場の写真を撮るのを忘れてしまったので、家に帰ってから、ネットの記事に写真がないか探したのですが、どの記事も申し合わせたように垂れ幕の写真がありませんでした。やはりいくら映画ロケ撮影用のセットといえども、鉤十字を現行のメディアに掲載するのはタブーのようでした。(ひとつだけ、鉤十字部分を覆った状態の垂れ幕の写真を載せている記事がありました。)

それにしても、街を歩いているときには、映画ロケだなんて知りませんでしたので、唐突に鉤十字を目にして、心底驚きました。もちろん驚いたのは私だけではなくて、事情をまったく知らない観光客らは、唖然としていました。特にイスラエルからの旅行客らは、怒りをあらわにし、「悪夢だ!いったい何の真似事か」と、腸が煮えくり返るといった感じで、クレームをつけていました。

もちろん、撮影スタッフ側も、景観への影響を配慮して、鉤十字付き垂れ幕は、撮影に必要な最低時間だけ掲げることとし、撮影時間以外は、鉤十字の部分を黒い幕で覆って隠したそうですが、それにしたって、ちょうど覆いが外れたときに鉤十字を見てしまった人は、本当に気の毒でした。


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石炭鉱山での爆発事故を受けて...

2006年11月23日 | 一般

ルーダ・シロンスクでの石炭鉱山での事故発生から40時間以上たって、事故の状況が徐々に明らかになってきています。まず、今回の事故は人災の疑いが極めて強いことが、早くも指摘されています。その後の調べで、事故で亡くなった作業員は、正規の訓練を受けていない、外部からの派遣作業員であったこと、経費削減・営業利益を第一にしたために、安全性がないがしろにされたことが、悲劇につながったという見方が出ています。

石炭鉱山での仕事は、非常に危険で、専門知識が必要とされる仕事です。当然のことながら、にわか仕立ての派遣スタッフに、このような専門的な仕事が勤まる訳がありません。しかも聞くところによると、これらの派遣労働者は、月給800ズローチ(約32,000円)という、信じられない低賃金で働かされていたそうです。命の危険を伴う仕事が、月給800zlとは、およそありえない金額です。

しかし事故のおきたシロンスク地方は、非常に失業率が高い地方で、労働者には仕事を選ぶ余裕がありません。危険と承知していても、ほかに仕事がないから、働くしかない-今回の悲劇には、このようなシロンスク地方全体が抱える大きなジレンマが背景にありました。


ところで、クラクフ郊外の、ヴィエリチカやボフニャの岩塩坑を訪れたことはありますか?とりわけ、ヴィエリチカ岩塩坑は、ユネスコ世界遺産に指定されており、毎年多数の観光客が訪れる場所です。当時の鉱夫の作業の様子を紹介した模型などを見ながら、地下の坑道を2時間に渡って散策する観光コースとなっており、とりわけ、地下100メートル余の聖キンガ礼拝堂は、天井のシャンデリアから、中央の祭壇、周囲の彫刻にいたるまですべて岩塩でできており、一見の価値ある場所です。

   

でも、なぜ、このような岩塩坑の地下に、礼拝堂ができたのでしょうか?それは、ヴィエリチカやボフニャの岩塩坑においても、昔からメタンガス爆発による死亡事故が相次ぎ、鉱夫らが、毎日死と隣り合わせの過酷な条件で働いていたからです。そのため彼らは非常に信心深く、毎日仕事のはじめに、一日の無事を祈ってミサをささげていました。そのうちに、岩塩を掘って空いた空間に、木造の祭壇と十字架を設置して、専用の礼拝スペースとしたのが、地下礼拝堂の起源なのです。その後、ガス爆発の時に、火の回りが速くなるという理由で、木製の十字架や祭壇が禁止されたため、代わりに岩塩を彫刻して、このようなすばらしい礼拝堂を創り上げたという所以なのです。

   

岩塩の結晶でできたシャンデリアに、壁一面を覆う彫刻-聖キンガ礼拝堂は、思わずため息がでるような、本当に素敵な礼拝堂です。でもその成立の背景には、いくつもの尊い命の犠牲があったこと、そして今日でも、シロンスク地方の石炭鉱山では、過酷な条件で働く鉱夫らが、ヨーロッパのエネルギー生産の礎となっていることを、少しでも多くの人に知ってもらえたら、と思います。


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石炭鉱山で爆発事故発生

2006年11月23日 | 一般

22日夕方、ポーランド西部の町、ルーダ・シロンスカ(Ruda Śląska )の石炭鉱山で、メタンガス爆発により、作業員23人が亡くなる事故がありました。この事故を受け、ポーランドでは現在、土曜日まで3日間の国喪期間に入っています。この期間、コンサートやイベントなどの催し物は、すべて延期か中止になりますので、ご注意ください。

事故があったのは、ルーダ・シロンスカの、HALEMBAという石炭鉱山で、ポーランドで最も危険な鉱山にランクされている、いわくつきの鉱山です。ここでは数年前にも19人が亡くなる事故があり、昔から安全管理体制が疑問視されていました。今回事故がおきた坑道は、危険度が極めて高いという理由で、今年3月に閉鎖されていた区画で、今回の事故は、その区画の処理をしている最中に起きた事故といわれています。

そして事故は人災の疑いが極めて強いことが、早くも指摘されています。その後の調べで、事故で亡くなった作業員は、正規の訓練を受けていない、外部からの派遣作業員であったこと、経費削減・営業利益を第一にしたために、安全性がないがしろにされたことが、明るみになっています。

シロンスク地方は、昔から石炭の採掘が主な産業となっており、Halembaのような石炭鉱山が各地に点在しています。西ヨーロッパへの輸出量も多く、ヨーロッパでの石炭需要の多くをまかなっています。今回の事故を受けて、ドイツ、ウクライナなど近隣各国から、いち早く弔いのメッセージが寄せられました。

今日23日は、現地にて、犠牲者の共同ミサが執り行われました。事故で亡くなられた方の冥福を、心よりお祈りします。


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ザコパネのお勧めホテル&レストラン

2006年11月21日 | レストラン・ショップ

というわけで、ついでにザコパネの街の楽しみ方をご紹介しておきます。

ザコパネの街は、メインストリートのクルプフキ通りを中心に、左右に広がっています。というわけで、このクルプフキ通りに近いホテルやレストランを選ぶのが、まずポイントです。

   

そんなザコパネで一番お勧めしたいホテルが、写真の、ホテル・サバウァ(Hotel Sabała)。1894年創業の歴史の古い3つ星ホテルで、クルプフスキ通りの中ほどにあります。ただお部屋が全部で51部屋と、とても少ないので、前もっての予約は必須です。もし予約がとれなかったら、せめてホテル2階のレストランだけでも利用してみてください。とても雰囲気がよくてお勧めのレストランです。

   

そしてホテル・サバウァの向かいにあるのが、おいしい川魚が食べられるレストラン(名前失念)です。肉食が主のポーランド人は、通常殆ど魚を食べません。そんなポーランドでは、おいしい川魚料理が食べられる店は、非常に限られています。というわけで、せっかく山岳地帯のザコパネに来たからには、川魚を食べてみましょう!さっぱりした味付けで、日本人の口にもよくあいます。マス(Pstrąg)や、鯉(Karp)などが非常においしくて、お勧めです。

   

食事が終わったら、今度はビールで宴会の時間。ここで、ビールのつまみとして最高の一品なのが、ザコパネの名産品、オスツィーペック(Oscypek)と呼ばれる茶色いチーズです。一見木彫り細工と見まがうほどきれいな彫刻が表面に施されているのが特徴で、おみやげ物としても大変人気があるものです。ただ味にかなり癖があるので、人によって、好き嫌いが分かれるようです。声をかければ気軽に試食させてくれますので、味見してから買うのがよいと思います。

   

さてさてそんなこんなで、大分夜も更けてきました。ザコパネは標高が高いだけに、気温が下がるのも早いです。そんなときは、土産物屋で、ザコパネ民族衣装を買ってみましょう。ザコパネ地方に住んでいる人は、グラーリと呼ばれ、独自の言語(チェコ語やスロバキア語の影響を受けたポーランド語の山岳方言)と民族衣装を持っています。また一般のポーランド人とくらべ、小柄でずんぐりしているのが特徴です。民族衣装を身に着ければ、もうすっかり現地人なりきりです!

ちなみにスキージャンプ競技の競技会場へは、ザコパネ駅前のロータリーから、ミニバスに乗り、約30分です。また以前ご紹介した、モルスキエ・オコ は、この時期一面雪に覆われていますので、訪れるなら夏がベストです。(上の写真もすべて夏に撮影したもので、冬のスキーの時期には、一面雪景色となっていますので、また印象も変ってくると思います。)


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ウィンタースポーツのシーズンが始まります

2006年11月21日 | イベント

11月も後半に入り、いよいよウィンタースポーツのシーズンとなりました!

ポーランドでウィンタースポーツ観戦といえば、なんといっても、スキージャンプ競技。ポーランドは、伝統的にスキージャンプ競技が非常に強く、毎年ワールドカップの常連になっています。中でも、アダム・マウィシュ(Adam Małysz)選手 は、2000-01年に若干23歳でシーズン総合優勝し、2002年のソルトレイクシティ・オリンピックでも、ラージヒル銀メダル、ノーマルヒル銅メダルに輝くなど、ポーランドの国民的スター的な選手で、その活躍が大いに期待されています。

ポーランドは、ウィンタースポーツは他にクロスカントリーやトライアスロンなども強いですが、なんといっても人気No1はやはりジャンプ競技です。ポーランドの山の首都と言われる街、ザコパネが、毎年ジャンプW杯ツアーの開催地の一つとなることも、根強いジャンプ観戦人気の理由のひとつです。

今年のワールドカップは、第一戦が今月24日、フィンランドのKuusamoにて、その後一週間おきに、ヨーロッパ各国を転戦してのW杯ツアーとなります。長く退屈なポーランドの冬の期間、ポーランド人は週末ごとにテレビの前に陣取って、ビールを片手に、ジャンプ競技でのポーランド勢の活躍を応援するわけです。


ところで、日本人選手の応援に、ザコパネへ出かけてみませんか?今年のサッカーワールドカップ・ドイツ大会では、沢山の日本人サポーターが現地までイレブンを応援に行きました。しかし、日本の冬のお国芸であるジャンプ競技には、まだまだサポーターが少ないよね... なんてふと思いました。周り180度全部ポーランド人の中で、日の丸を振って日本人ジャンパーの応援してみるなんて、なかなか雰囲気があって乙な経験になるんではないでしょうか?ちなみにポーランドで、日本選手陣らは、「カミカゼ飛行隊」「サムライ戦士」などと、その活躍が好意的に紹介されています。

ザコパネは、国際空港のあるクラクフからバスで2時間と、非常に便利な場所にあります。「ポーランドの山の首都」といわれるだけあり、民族舞踊を見ながらおいしい川魚料理をいただいたり、ザコパネスタイルと呼ばれる木造建築を見学したりと、ジャンプ競技観戦だけでなく、観光も十分に楽しめる町です。

ザコパネでのジャンプW杯は、来年2007年1月20・21日です。試合期間中は、当然現地のホテルは早くから埋まってしまいますので、もし、ザコパネ行きをお考えの方は、今のうちからもう予約が必要です。ちなみに、一週間前の13・14日にノルウェーのVikersund で、一週間後の27・28日にドイツのOberstdorf で、それぞれジャンプW杯があります。選手とともに、ヨーロッパ内を「転戦」してみるのも、面白いですよ!


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イゴール・ミトライの、人を悩ませるエロス

2006年11月20日 | 文化

今、クラクフ市民の頭を悩ませているのが、これ↓ 彫刻家、イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)氏のブロンズ像、『エロス(Eros Bendato)』です。 クラクフ旧市街、中央広場の、旧市庁舎の塔の脇の一角に、写真のような、巨大な人間の頭部が、でーんと横たわっているんです。 脇にいる人間と比較すると、その大きさがよくわかります。このエロス像の置き場所を巡って、作者のミトライ氏と、クラクフ市側で、折り合いがつかない状態が続いています。

 

イゴール・ミトライ氏 は1944年ドイツ生まれのポーランド人で、クラクフの美術アカデミー(Akademia Sztuk Pięknych w Krakowie, ASP)で絵画を学び、その後パリへ移って、彫刻と現代アートの勉強を続けました。1976年に最初の展示会をパリで開催すると、その後、ヴェネチア、ニューヨーク、フィレンツェ、ローザンヌでも展示会を開き、いずれも大成功を収めました。祖国ポーランドでは、2003-04年にポズナニ、クラクフ、ワルシャワの三都市で屋外彫刻・絵画展覧会を開催、今や世界的に活躍する現代アート彫刻家の一人となった人物です。ちなみに氏の作品は日本にもあります。北海道・洞爺湖町にある、とうや湖ぐるっと彫刻公園の、『月の光』という彫刻で、やはり非常に高い評価を受けています。 現在ミトライ氏はイタリアに永住しており、年に数回ポーランドに凱旋して、講演会などを行っています。

そして問題のエロス像は、2003年の屋外展示会終了後、ミトライ氏から、クラクフ市に寄贈されたものです。それにより、再び、このエロス像が、クラクフの街中に展示されることになったのですが、いざ像の設置場所を決める段階になって、2003年の展示会の時と同様、中央広場を希望したミトライ氏側と、「 中世からの伝統的な街並み をよく保存している中央広場に、このような現代アート作品を常設するのは、著しく景観を壊す」として、隣接する小広場(Mały Rynek)など、別の場所を提案した市側とで、話しの折り合いがつきませんでした。しかし 「エロスを置く場所は中央広場以外ありえない」とミトライ氏が強気の姿勢を見せたため、まずは4ヶ月の期間限定で中央広場に置き、その間に正規の設置場所を決定する、ということでひとまず決着、2005年10月に、中央広場での除幕式を向かえたのです。

人間の頭部の銅像という、非常に奇抜な現代アートが、期間限定ならまだしも、中央広場の一角という一番目立つ場所に、常設されるかもしれない- 当然のことながら、クラクフ市民の意見も、賛否両論でした。クラクフは非常に歴史の古い街で、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、などさまざまな建築様式の建物が見事に調和した街並みは、ユネスコ世界遺産にも指定されています。それゆえクラクフ市民も、クラクフの街並みを、非常に誇りに思っており、このエロス像の置き場所の話題も、相当高い関心を呼びました。「現代アートが加わって、クラクフがまた一歩進化する」と肯定意見が出たかと思えば、「中世からの伝統的な街並みが、現代アートによって破壊されるのは侭ならない」との批判も相次ぎました。とりあえず、現在の設置場所は一時的な場所であるということで、一刻も早い移転が望まれていました。正直私も、はじめてこのエロス像を見たときは、ビックリ仰天、景観が壊れてしまう、とかなりのショックを受けました。

それから何だかんだで一年以上が経過し... 今年の11月になってやっと、ミトライ氏と市当局の間で、エロス像の移転先についての話合いが持たれることとなりました。(ミトライ氏がやっとイタリアから帰ってきたんです。)

市当局側がまず提案したのが、先日オープンしたショッピングセンター、ガレリア・クラコフスカ に隣接する、駅前広場(写真)。今年の9月末に再開発が終わったばかりで、だだ広いだけで何もなく、確かにこの巨大な現代アートを移転するには理想の場所のように思えます。インターネットを通じて行った市民へのアンケートでも、希望の移転場所の第一位になった場所です。しかし「駅前広場は私有地なので何かと厄介だ」とミトライ氏が反対、あっさりお流れに...

   

次に候補に挙がったのが、中央広場に隣接する、小広場(Mały Rynek)と、旧市街のスオヴァツキ劇場前広場(写真)。とりわけ後者は、劇場ということで、ギリシャ神話の神であるエロスのイメージにもあうと、市側、ミトライ氏側ともに肯定的でした。 しかし結局話しの折り合いがつかず、最終的な決定権は市長にゆだねられることになりました。 (といっても市長の任期、もう終了間近なんですが...)

   

クラクフ美術アカデミーで学んだミトライ氏にとって、クラクフはいわば創作活動の原点ともいえる街。それだけに、氏の展示場所へのこだわりも一層で、なかなか移転場所が決まりません。(というか、中央広場から絶対に動かしたくない、というのが、ミトライ氏の本音のようです。)というわけで、まだ当分の間は、中央広場に横たわるエロス像が見られますので、像の前を通ったら、記念に写真を撮っておきましょう!

ちなみに私個人としては、旧市街西の三角形の野原、ブオーニア(Błonia)に移すのなどよいのでは、と思います。ブオーニアは、旧市街、中央広場から徒歩10分の所にある、巨大な三角形の原っぱで、隣には、国立博物館もあり、とてもよい場所です。(ローマ法王凱旋の時など、屋外ミサが開かれる場所です。)やはり私も、このような現代アートは、既存の街並みを壊すことがない場所-野原や自然公園など、背景に何もない所に置くのが、一番よいのでは、と思うのです。


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