ポーランドからの報告

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ビドゴシュチュ訪問記 ③

2007年03月21日 | 人々

今回夫と妹がビドゴシュチュに呼ばれたのは、 Międzynarodowe Studium Turystyki i Kultura という旅行関係の専門学校にて、日本についての講義をするためです。

この学校、とても変わっていて、授業がすべてエスペラント語で行われます。エスペラント語とは、当ブログ「ポーランドからの報告」でも以前紹介しましたがユダヤ人ザメンホフが作った人工国際共通語で、ポーランドやロシアを中心に、愛好家によって話されている言語です。校長の A.Grzębowski 氏は、自ら経営する 旅行代理店Flugo にて、通常のパッケージツアー旅行のほかに、エスペラント愛好家のために世界エスペラント大会へのキャラバンを出しており、その延長で1991年に授業をすべてエスペラント語で行う旅行専門学校を作るにいたりました。エスペラント愛好家の間でも、 INTERNACIA STUDUMO PRI TURISMO KAJ KULTURO (ISTiK) と呼ばれ、世界的に有名になっています。

建物は三階建てで、一階が旅行代理店Flugo、二階がA.Grzębowski 氏の自宅、三階が ISTiK の教室となっています。

   

 [写真] ISTiK 校長の A.Grzębowski 氏 (右)

今年の8月に、第92回世界エスペラント大会が横浜で開かれるため、Flugoでは、日本への旅行キャラバンを企画しています。そこで今回私の夫と妹が、学生や旅行希望者向けに、日本についての講義を頼まれたのでした。

   
   

 [写真] 日本旅行・参加希望者への説明会

そして下が学生への授業風景。写真のとおり、学生はもっぱら外国人です。中国人学生が非常に多く大多数を占め、アフリカ諸国からの留学生もちらほらといました。夫によると、エスペラント語での講義は簡単でしたが、教わる側の学生のエスペラント語のレベルが人によってさまざまで、どのくらい理解してもらえたのか不明とのこと。エスペラント語を上手に話せる人もいれば、まったくの初心者も結構多かったようです。とくに中国人学生に初心者が多く、あまりにも通じない場合は、エスペラント語ではなく日本語の単語を黒板に漢字で書くと、わかってもらえたようでした。それにしても 移民のほとんどいないポーランドですが、ここビドゴシュチュの ISTiK は、もはや他民族都市の様相を見せていました。

   
   

 [写真] 授業風景: 居眠り、途中退室なんでもありだったそうで...

しかもこの前の学期では、中国人学生の大部分が逃走してしまい、オドラ川を泳いで渡っているところを国境警備隊に見つかってお縄となったそうで、、 ISTiK入学の条件はエスペラントを理解すること、そして一年の学費は1200zl=約5万円と一般大学に比べ非常に手軽なことから、どうやら学問のためではなく、ヨーロッパ移住のためのビザ獲得手段として利用してる人もいるようなのでした。

とこんなわけで、夫と妹は、無事4日間の講義を終えて帰ってきました。ビドゴシュチュ滞在は、とても「濃い」体験になったそうです。


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ハルクローヴァの風に吹かれて~Villa AKIKO I

2007年02月16日 | 人々

ポーランド南部・ザコパネの北東30kmの小さな村、ハルクローバ(Harklowa)-隣国スロヴァキアとの国境近くに位置する、人口1500人ほどの、とても小さな村です。この村でペンションを経営されている日本人のご一家がいます。 Villa AKIKO の三和昭子さんご一家です。

   

 三和昭子 さん 
Villa AKIKOのオーナー・女将さんです。お料理から接待まで経営の全般を担当。昭子さんの人柄を慕って、これまでに5000人以上、世界約30カ国のお客様が訪れました。

 三和のぶ さん
Villa AKIKOの若女将、三和家次女 。お母様の昭子さんとこれまで二人三脚でペンションを盛り立てきました。お客様の送迎から観光旅行の添乗、ガイドまで何でもOKのオールマイティな秀女。趣味のスカイダイビングは、ノヴィ・タルグの飛行場に通い、1996年の世界選手権大会には日本代表選手として出場するほどの腕前。ポーランド人のだんな様ミハウさんとの間に、2歳の娘ユリアさんがいます。

   

 三和りょう さん
Villa AKIKOの影武者、三和家長男 。ペンション建設時から、数少ない男手として力仕事でペンション経営に貢献してきました。現在はワルシャワで歯科技工士として活躍されています。ポーランド人の奥様マウゴジャータさんとの間にお子様が生まれたばかり。ハンドグライダーのライセンス取得者でもあります。


三和昭子さんがペンション経営を始めようと決心したのは、今から14年前の1993年のことです。当時のポーランドは、まだ社会主義体制から体制が変わってすぐの時代でした。

標高780mから眺めるタトラ山脈の美しい稜線、ベスキディ山脈の豊かな森と水源、マウォポルスカの木造教会。クロッカスや雪見草の咲き乱れる穏やかな春、ブルーベリーやフランボワーズが実る高原の夏、キノコ狩りに紅葉狩りの黄金の秋、一面銀色に染まる雪深い冬。ハルクローヴァのさわやかな風に吹かれ、新鮮な空気の中ですごす時間、そして眼下に広がるガリツィア地方の牧歌的な景色は、昭子さんの心を捉えました。-ただ純粋に 「ここで生きていきたい」と思った- そのライフスタイルはポーランド人からも高い関心を持って注目され、雑誌『ELITY』ポーランド語版・2003年6月号で、この Villa Akiko が見開き6ページにわたって特集されました。

 Villa AKIKO
 34-434 Debno Harklowa Os.Ariake 1
 TEL.(+48) 18-275-1728


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ハルクローヴァの風に吹かれて~Villa AKIKO II

2007年02月16日 | 人々

山奥でのペンション作りは、本当に何もないところからスタートしました。荒地を均す道路工事から始まって、建物の基礎工事、内装工事、プールやジムの設置etc.. 完成までに3年もの月日がかかりました。何もなかったところに建物ができたということで、住所も新たに作ることになり、昭子さん自らOS.ARIAKE(有明地区)と命名。ARIAKE はポーランドで初めての日本名正式住所として登録されました。

  
  

さてこうして完成された客室は、内装はガリツィア地方の伝統的なスタイルを貫きながらも、お部屋名は、さくら・もも・うめ・あんず..etc と和波折衷!そしてお食事は、自家栽培している白菜や大根などの日本の野菜を使って、手作りの日本食を出すこだわりです。こんなオーナーの昭子さんの人柄を慕って、これまでにポーランド国内外の大勢の日本人・外国人ツーリストがこの Villa AKIKO を訪れています。


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ハルクローヴァの風に吹かれて~Villa AKIKO III

2007年02月16日 | 人々

ヨーロッパ旅行というとガイドブックに掲載されている有名所を駆け足で見て周る旅になりがちですが、観光地だけが旅のデスティネーションではありません。時にはこういった山奥のVillaを訪れ、気楽なひと時をすごすのも、また一味ちがった贅沢ではないでしょうか?付近の国立公園を散策したり、川釣りを楽しんだり。少し足を伸ばせば、ユネスコ世界遺産にも指定されている、マウォポルスカの木造教会群を訪れることもできます。

   

そしてもちろん、四方を自然に囲まれたロケーションならではの、楽しいアトラクションの数々。カヤックやイカダでの川くだりや、湖でのウインドサーフィンを楽しんでもよいし、。ノヴィ・タルグの飛行場で軽飛行機やグライダーに挑戦したりと、スポーツ好きの方も、たしなむ程度の方も楽しめます。

   

そしてアウトドアスポーツに疲れたら、Villaの室内プールやジム、ジャグジーでくつろいでと、もうここは一大リゾートスパ!その他スキー、マウンテンバイクや、ロッククライミングから乗馬までなど、四季折々のイベントが用意されています。

   

Villa AKIKO
 34-434 Debno Harklowa Os.Ariake 1
 TEL.(+48) 18-275-1728
 FAX: (+48) 18-264-4005
 Mobile: (+48) 601-45-4765


Villa Akikoへのアクセス:電車の場合
 ・ワルシャワ中央駅から特急電車でクラクフ中央駅へ(所要時間2時間30分)、クラクフからバスでノヴィ・タルグへ(1時間30分)、ノヴィ・タルグからハルクロヴァまでタクシー(約10 km)
 ・車の場合:クラクフ -ノヴィ・タルグ国道E77号線経由で95号線 (約70 km)、ノヴィ・タルグ - ハルクロヴァ国道969号線 (約10 km)


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日ポの架け橋に... 音楽を通じて、麻衣子さんとプシェメックさん I

2006年11月15日 | 人々

「人々」のコーナーでは、ポーランドで出逢った、素敵な人々をご紹介していきます。

まず最初にご紹介するのは、高村麻衣子さんと、プシェミスワフ・フミェレフスキー(Przemysław Chmielewski )さんのご夫婦。麻衣子さんは、ピアニスト、プシェメックさんは、バイオリニストの、音楽家夫婦です。

 

麻衣子さんは、3歳でピアノを始め、4歳から「桐朋学園こどものための音楽教室」にて学びました。第9回ミロシ・マギン国際コンクール(パリ)、シニアの部にて優勝、ショパンのワルツを力強く引き、ポーランドの先生方から高い評価を受けました。また第15回イビザ国際コンクール(スペイン)では、20世紀作品最優秀演奏者賞を受賞されています。

大学は早稲田大学第一文学部に進学。卒業後は2000年に渡仏し、パリのエコールノルマル音楽院にて3年間ピアノと室内音楽を学び、ディプロマを取得しました。

記念すべきデビューは、2003年、ポーランドにて。ワルシャワ郊外、ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家を始め、ポーランド各地にて、デビューリサイタルを行いました。現在、ソリストとしての他、室内楽奏者、伴奏者として、日本とポーランドを中心に、幅広く活躍されています。

 

一方のプシェメックさんは、1975年、ポーランド・ウッジの音楽家一家に生まれ、ポーランドウッジ音楽院、スイスローザンヌ音楽院にてヴァイオリン、作曲、電子音楽を学びました。第12回ポーランド国際室内楽コンクール第1位となったほか、ポーランド現代音楽協会国際アカデミーやオランダ、ドイツ、フランスなど数多くの国際音楽祭に参加し、ソロやアンサンブルで活躍されています。また、お父さまは、ワルシャワショパン協会前会長で、現在のポーランドを代表するピアニストです。

お二人は、麻衣子さんが、プシェメックさんのお父様にピアノを師事していたことがきっかけで知り合いました。お互いに音楽家の二人は、すぐに意気投合、昨年2005年の6月に国際結婚し、シャンゼリゼ通りにほど近いアパルトマンでの、新婚生活がはじまりました。

仕事でもいつも一緒のお二人は、P.フミェレフスキー&高村麻衣子のペアで、日本でも、バイオリン&ピアノリサイタルツアーを数多く手がけています。二人一緒にいると、自然と音楽の話になる、というお二人。とてもお幸せそうでした。


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日ポの架け橋に... 音楽を通じて、麻衣子さんとプシェメックさん II

2006年11月15日 | 人々

麻衣子さんご夫婦とは、今年の8月、パリ在住のお二人が、休暇を利用してポーランドに遊びに来ていたときに、クラクフでお会いしました。

お二人とお会いしたのは、クラクフ中央広場から徒歩2分、ミコワイスカ通りに程近いオープンカフェ、「Re」 というお店です。中央広場に近いのに、あまり混んでいない穴場スポットで、地元の人ご用達のビアガーデンとなっているスポットです。

麻衣子さんご夫婦の会話は、パリ在住とあって、もっぱらフランス語が中心。そんなわけで、一つのテーブルを囲んで、フランス語、英語、日本語、ポーランド語が飛び交う会話となりました。

   

ところで、麻衣子さんは、昨年、Maiのペンネームで、絵本作家としてもデビューされています。タイトルは、「Salut!(サリュ!)みんななかよし」 麻衣子さんとプシェメクさんの、結婚前の手紙のやりとりがヒントになって生まれたというこの1冊は、心に癒しと和みを...と、ピアノの演奏と同じ思いを込めて、日本語とフランス語で綴られています。

ピアノに哲学に絵本作家と、とても多彩な麻衣子さん、そしてだんな様のプシェメクさんの、これからのますますのご活躍を、期待しています。

   

さてさて、そんなお二人の近況ですが、明日16日から19日まで、ポーランド西部の町、シュチェチンで開かれる、 第4回国際現代音楽フェスティバル(IX Międzynarodowy Festiwal Muzyki Współczesnej im. Witolda Lutosławskiego) にて、コンサートを開かれるそうです。コンサートは、18日の土曜日、夜19時から、場所は Klub 13 Muz というところです。ちょうどその時期に近場にいる皆さんは、是非コンサートに出かけて、お二人の演奏を楽しまれてはいかがでしょうか?


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